[特集・ミチカケ]鼓童の新衣裳が誕生するまで

鼓童の新衣裳が誕生するまで

文・坂本実紀(ライター)

太鼓打ちの腕を浮かび上がらせ、多様な見せ方でミチカケの世界観を広げた新衣裳。

今回は、鼓童代表で衣裳を依頼した船橋裕一郎と、新衣裳を手掛けた堂本教子さんのお二人に、衣裳の誕生秘話をお聞きしました。 

鼓童の印象と依頼の成り行き

―船橋さんが新衣裳を堂本さんに依頼したきっかけを教えてください。

船橋主たる衣裳は半纏としながら「半纏ではない衣裳も作っていきたい」と思っていました。

ある時、Noismさんの舞台を鑑賞した時に金森さんに堂本さんを紹介していただけたんです。

―堂本さんは依頼を受けた時どう思われましたか?

堂本さん:依頼を受けてぱっと頭に浮かんだのが、月見寺とも呼ばれる本行寺にあった石碑にかかれている「ほつと月がある東京に来てゐる」という、種田山頭火の句です。

そうして、鼓童と言えばやはり太鼓。すごい運動量でダイナミックな動き方もできるほうがいいなと考えると「どこまでやったらいいんだろう」と考えながら、デザインと実用性の塩梅をみながらすすめました。

衣裳のイメージ共有

―鼓童からはどんな要望を伝えたんですか?

船橋:まずミチカケや、衣裳の色は月と海のブルーな感じということ。そして、自分の中にあったイメージもお伝えしました。

デザイン面では、鱗文様の様な強い印象や意味を与えないもの、和風でも洋風でもないフラットであまり時代性もないようなもの、男女を超えてユニセックスなもの、半纏と同じ舞台に上がってもいい汎用性のあるもの。

仕様面ではフードを取り入れ、太鼓打ちの腕が見える様にノースリーブでお願いしました。さらに片側や両側出せたり、同じ衣裳だけど、トランスフォームできるようなバリエーションのある衣裳ができると嬉しいです!と、どんどん要望をお伝えしていきました。

堂本さんは、Noismさんの様な身体性を重視するカンパニーと仕事をされているので、信頼感はすごくありました。

―イメージもさながら、使いやすさも重視した依頼だったんですね

堂本さん:最初はコンセプトから静かな、雲の間の月の満ち欠けの様な間(はざま)のような抽象的なものを考えていて、染めてぼかす手法も考えていたんです。

でも、着数が多く、機能性が高く、乾きもいい、いろいろな要望を叶えられるものが必要でした。そこで、軽量化のため、時に省くこともしながら扱いやすい衣裳を目指し、最終的にあの生地を選んだんです。

フードをつけるとちょっと重くなったり、腰にかかってしまうので、当初はフードの大きさや、裏地に銀を入れるかなども悩みながらすすめました。

和の要素を取り入れるためにも、上半身は脱げて下半身は動かない仕様を着物から取り入れています。着物はよくできてるんです。それでも、試作品時は紐が多く「片肌脱ぎ」や、「諸肌脱ぎ」ができて、かつ動けるようにするのは大変でした。

 

理想の叶った衣裳完成

船橋:堂本さんは、「衣裳が邪魔しちゃいけない」と常におっしゃってくれました。一番最初のデッサンはある意味違和感がなかったのですが「もうちょっと自由にやっちゃってください」と伝えると、次に来たものがもう「これです!」という出来上がりでした。

完成品を着てみると、みんな「格好良い!動きやすい!ストレスもない」って嬉しそうに言ってくれて手ごたえも感じました。本当に素晴らしかったです。

堂本さん:稽古や舞台も見させてもらいながら1年ほどかけてじわじわできてきましたね。

船橋:堂本さんも舞台がお好きなので、いくつか最近の鼓童の作品を見ていただきながら「こうじゃない舞台になっていきます」ということをお伝えしてたんです。

堂本さん:舞台のお声掛けもすごく嬉しかったです。衣裳の色は決まってたんですが、衣裳の裏地に翻って見える銀色には、佐渡の風が舞うイメージを込めています。

船橋:私には、裏に見える銀のイメージが全然なかった。一緒に舞台を楽しみながら最前線のプロフェッショナルの方にお任せすることで私の要望や想像している以上の素晴らしいものが出来てくるのは一番嬉しいですね。

「こういうのがあるといいかもよ」「こういう着方もあるよ」とご提案もいただけて、想像力をかきたてられ、舞台の奥行きがさらに広がり、どんどん展開していくのも面白い作業でした。この色々な制約の中で本当にここまでやっていただけて嬉しいです。

 

―理想の衣裳での舞台はどうでしたか

堂本さん:初めてミチカケを見せていただいたときは「すごく活用されているな」と思いました。特にフードは表情を消すから、影にもなる。ミチカケ、いい作品ですね。宇宙にいるような、曼荼羅の様な。

船橋:ありがとうございます。今回の様に、自然や宇宙のといった世界観の中で人間の感情的な部分を消したい場面もフードによって効果的に作用し、メンバーがその音の世界にさらに入り込むのにも役立っています。

今の鼓童はもちろん、老若男女いるうちのみんなが着られる新衣裳。ミチカケ以降も、着ていきたいです。

 

舞台・衣裳撮影: 岡本隆史

 


堂本教子プロフィール■

コンテンポラリーダンス、舞踏、演劇、歌舞伎、オペラなどの衣裳デザイン製作。1999年と 2003年には、チェコ・プラハ カドリエンナーレ国際舞台美術展出展。2000年、文化庁芸術家在外研修として、バットシェバ舞踊団の衣裳デザイナーRakefet Levy に師事。99年伊藤熹朔賞奨励賞、第36回橘秋子賞 舞台クリエイティブ賞受賞。


船橋裕一郎プロフィール■

太鼓芸能集団 鼓童 代表。考古学を専攻していた学生時代に太鼓に出会う。1998年に研修所入所。2001年よりメンバーとして舞台に参加、太鼓、鳴り物、唄などを担当する。これまでに「BURNING」などの作曲も手掛け、近年は「道」「鼓」「童」など「ワン・アース・ツアーはじめ2021年オーチャードで開催された「鼓童40周年記念公演」、2022年新作「ミチカケ」で演出を担当。また、読書やプロレス、寄席や宝塚鑑賞など様々な趣味を持つ。柔らかな口調と人情味溢れる人柄でメンバーの頼れる相談役である。2012年より副代表、2016年1月より代表に就任し、グループを率いている。

鼓童「ミチカケ」

Photo: Takashi Okamoto / Art Director: Hiroomi Hattori (COM Works)

森羅万象、煌めきの音。

近年の鼓童全体の表現を総合的に手掛ける船橋裕一郎と、舞台の要となる楽曲を次々と生み出している住吉佑太が連携し作り上げる、全曲新曲で上演予定の革新的な意欲作。

夜明けから深夜まで変わり続ける自然界のリズム「日の出日の入り」「潮の満ち引き」「月の満ち欠け」。

その長い周期感や、「数」に秘められた律動を太鼓音楽で探求する新作を、全国主要都市にてお届けします。

●演出:船橋裕一郎

●音楽監督:住吉佑太

●出演者(予定):中込健太住吉佑太池永レオ遼太郎北林玲央米山水木小平一誠前田順康三枝晴太渡辺ちひろ小野田太陽中谷憧野仲純平小川蓮菜(準メンバー)

Photo: Takashi Okamoto, Katsumi Omori
Art Director: Hiroomi Hattori (COM Works)

下記、公演地別の詳細です、随時更新いたします。

※例年12月に行なっている文京シビックホールでの連続公演ですが、改修工事に伴い2022年内の公演予定はございません。

日程

鼓童「ミチカケ」
80分があっという間に終わる、太鼓で切り開いた新世界━━━

80分があっという間に終わる、太鼓で切り開いた新世界

鼓童「ミチカケ」2022/11/23 佐渡初演レポート(文・坂本実紀/写真・岡本隆史

鼓童の全新作、新衣装でつくられた舞台「ミチカケ」。立体音響作品という全く未知な舞台は、「知らないのに、なんか知ってる」と錯覚を覚えるような不思議な場面がいくつもありました。

初演となる佐渡公演当日、ホールのロビーは開場前にすでにたくさんの人でいっぱい。熱気と期待に溢れていました。入場口の列は長く伸び、開場後は席がどんどん埋まっていきます。

幕が上がると、音の流れの中でイメージが浮かんできます。雨や風、灰色の重たい雲の動く音。舞台上で、時に頭の中で、様々なめくるめく景色の展開。日常から切り離された圧倒的世界観への招待に、会場全体が緊張感で包まれました。

 

 

曲がすすんでいくと、圧巻の太鼓パフォーマンスに曲中も拍手が贈られ、そのリズムや動きに観客は釘付けに。そんな展開に、演奏者のギアがさらにあがるのを肌で感じるのも興味深かったです。

きいたことのない音や、衣装で表現される陰影と肉体美、リズムを飛び越えた周期感という表現。鼓童の新しい姿や表現、世界観は、まるで木から伸びた枝葉のように自由に広がっていきます。同時に、まがうことなき鼓童の濃いDNAが根本にあることを思い知らされる舞台でもありました。

太鼓からこの音がするの?という発見や、太鼓演奏のイメージしかない演奏者も参加する笛の重奏は圧巻かつ新鮮です。吊るされたドラはやわらかで遠くまで広がる音を響かせ、時として太陽や月のメタファーとして想像をかきたてます。照明の効果で手が浮かんで見え、衣装のフードが表情を隠して不気味さと得体の知れなさを加速させる。コミカルな曲では、演奏者が音に操られているように動き、つい口元が緩んでいました。

コンセプトに統一感があることで、どんどん新しい鼓童の世界に引き込まれ、80分があっという間に過ぎ去りました。最初、まばらだった拍手が、会場全体で大きくなるのと同時に、演奏者と観客の気持ちが一緒に高まっていきます。

音が星の様にゆっくりと流れ、風の様に回転し、強い渦になってぱっと消え、時に跳ね、楽しそうに遊び、羽ばたいていく。最後は、太鼓も音も、まるで生き物のように大声で吠え、まるで掴みかかってくるようでした。私にも、見えないはずの音が見える。なるほど、これが音の立体作品かと、舞台の後も興奮が冷めません。

コロナ禍ということもあり、ずっと画面の中の鼓童を追う日々でした。でも、全身で受ける太鼓の音の波、汗の見える距離で演奏者のだすヒリヒリした一打を目の当たりにし、一緒に見ている観客と胸いっぱいの同じ気持ちでする拍手は、やはり舞台の醍醐味です。

面白かったのは、鼓童が、観客の曲の「ここがピークかな」という期待をゆうに越えてくる熱量と超絶技巧を連発していたこと。観る者の「まだいくの!?」という感動と心の高まりが伝わっているのを、閉幕挨拶での演奏者たちの笑顔で確信しました。

まっさらな気持ちでも、鼓童の古参のファンでも、大満足できる舞台「ミチカケ」。難しいことは考えず「太鼓、すごい!」を分かち合うために、是非足を運んでみてください。

鼓童「ミチカケ」ツアー情報

Photo: Takashi Okamoto / Art Director: Hiroomi Hattori (COM Works)

森羅万象、煌めきの音。

近年の鼓童全体の表現を総合的に手掛ける船橋裕一郎と、舞台の要となる楽曲を次々と生み出している住吉佑太が連携し作り上げる、全曲新曲で上演予定の革新的な意欲作。

夜明けから深夜まで変わり続ける自然界のリズム「日の出日の入り」「潮の満ち引き」「月の満ち欠け」。

その長い周期感や、「数」に秘められた律動を太鼓音楽で探求する新作を、全国主要都市にてお届けします。

●演出:船橋裕一郎 ●音楽監督:住吉佑太 ●出演者(予定):中込健太住吉佑太池永レオ遼太郎北林玲央米山水木小平一誠前田順康三枝晴太渡辺ちひろ小野田太陽中谷憧野仲純平小川蓮菜(準メンバー)

 

【鼓童創立40周年「来し方行く末」青木孝夫】ブログ一覧

2021年、鼓童創立40周年の節目に、「初心忘るべからず」「歴史を知らずして未来は語れない」という言葉を噛み締めています。前身の佐渡の國鬼太鼓座時代から現在の鼓童グループの活動に関わらせていただいている中で、生き抜くチカラを教えてくれた出来事や成長させていただいた出来事などを「来し方行く末」として年代ごとに数回に分け、あらためて思考してみたいと思います。(北前船 取締役会長・青木孝夫)

<その1:1977年〜1989年のブログはこちら>
<その2:1990年〜2000年のブログはこちら>
<その3:2000年〜2010年 前編のブログはこちら>
<その3:2000年〜2010年 後編のブログはこちら>
<その4:2010年〜2020年 前編のブログはこちら>
<その4:2010年〜2020年 後編のブログはこちら>

目次/一覧

<その1:1977年〜1989年のブログはこちら>

  • 1977~1980年 「佐渡の國鬼太鼓座」時代
  • 1977年 鬼太鼓座 東京公演
  • 1979年 ガンガラと孤独
  • 1980年3月23日 田耕氏との対峙
  • 1981~1982年 鬼太鼓座から鼓童へ
  • 1981年2月18日 株式会社北前船 設立
  • 1981年9月 ベルリンデビューと「入破」
  • 1981年 自主制作レコード『鼓童Ⅰ』
  • 1982年 林英哲氏との別れと葛藤
  • 1983~1986年 鼓童
  • 1983年8月 林英哲氏からいただいた手紙と本
  • 1984年 写真集『鼓童』出版と岡本太郎さんとの出会い
  • ONE EARTH TOURのスタートと国内公演営業活動
  • 1987~1989年 激動の時代
  • 1987年1月 河内敏夫(ハンチョウ)との別れ
  • 1988年 ソニーレコードとの専属契約と太鼓音楽の著作権

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<その2:1990年〜2000年のブログはこちら>

  • 1991年 鼓童創立10周年「ギャザリング」とオーチャードホール
  • 太鼓芸能と音楽
  • 1994年 EC94 テント劇場企画
  • 1997年 財団法人鼓童文化財団 設立と 研修所二年制
  • 鼓童の活動拠点 鼓童村の土地のこと
  • 1999年 交流学校公演と二班制のスタート

1990年〜2000年のブログはこちら

<その3:2000年〜2010年 前編のブログはこちら>

  • 2000年 坂東玉三郎さん 千載一遇の出会い
  • 2006年 坂東玉三郎さんとの共演作 アマテラス

2000年〜2010年 前編のブログはこちら

<その3:2000年〜2010年 後編のブログはこちら>

  • 2001年 ケヤキの植樹とケヤキ原木太鼓づくり、薪ストーブ
  • 2007年11月 鼓童牛 きくこ
  • 2007年 4尺の国産ケヤキの大太鼓と浅野昭利さん
  • 2008年 御太鼓遊び

2000年〜2010年 後編のブログはこちら

<その4:2010年〜2020年 前編のブログはこちら>

  • 2009年9月 「打男」公演 と 2009年9月「うぶすな」公演
  • 2011年 創立30周年
  • 2012年 太鼓芸能集団鼓童の芸術監督

2010年〜2020年 前編のブログはこちら

<その4:2010年〜2020年 後編のブログはこちら>

  • 2016年 鼓童創立35周年
  • 2017年5月 「幽玄」
  • 2020年 〈NOVA〉公演・・そして新型コロナウイルス感染症の影響

2010年〜2020年 後編のブログはこちら

━2021年、鼓童は創立40周年を迎えます━

鼓童創立40周年記念公演企画

【鼓童創立40周年「来し方行く末」】その4:2010年〜2020年 後編/青木孝夫

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【2016年 鼓童創立35周年】

鼓童創立35周年の企画については2012年頃から考え始め、3年前から少しづつ可能性を模索し、音楽プロデューサーの森千二さんや芸術監督に相談をしながら動き始めました。
森千二さんはちょうど私が鬼太鼓座に関わり始めた1977 年頃、「佐渡の國 鬼太鼓座」という豪華な紹介パンフレットを立案され製作された頃からご指導をいただいている方です。
鬼太鼓座から鼓童への激動期には故河内敏夫(ハンチョウ)や林英哲さんたちとご自宅に伺い、いろいろご相談をさせていただきました。

このパンフレットの最後のページにある「鬼太鼓座『村』の構想」の絵図は故河内敏夫(ハンチョウ)が鼓童設立時に掲げた村構想の原形になっているものだと私は思っています。

鼓童グループの未来に向けて、玉三郎さんに鼓童の芸術監督をお願いすることの意義についても共感してくださり、後押ししてくださったのも森さんです。
私自身は出会った頃から現在に至るまで、森さんからたえず叱咤激励を受け、鍛えられ、成長させていただいたことに、とても感謝しています。

森さんはサントリーホールの開館に際して、コンセプト作りから企画立案に尽力された方でもあり、『ゴールドブレンド・コンサート』企画制作、国技館『5,000人の第九コンサート』、ヤマト運輸『音楽宅急便』コンサートの全国展開、墨田区文化会館 建設計画〜すみだトリフォニーホール企画など名だたるプロジェクトの音楽プロデューサーでした。

鼓童は森さんのご尽力で1986年11月にサントリーホールオープニング・シリーズで、小澤征爾さんの指揮で石井眞木さん作曲の「モノプリズム」を新日本フィルハーモニー交響楽団と演奏させていただいたことがあります。

1986年11月に行われたサントリーホールオープニング・シリーズ(リハーサルの様子)

ちょうど2016年はサントリーホールが開館30周年になるという情報を得たこともあり、「創立35周年はサントリーホールでやりたい!」という衝動に突き動かされ、すぐに森さんにご相談させてもらいました。
そして、この記念すべき時に「サントリーホール開館30周年記念事業」としてのご支援もいただき、芸術監督の監修のもとで多種多様な3日間のプログラムを企画することにしました。

1日目の「出逢い」は下野竜也氏の指揮で新日本フィルハーモニー交響楽団との共演で「モノプリズム」と冨田勲さんの「宇宙の歌」。そして、作曲家の猿谷紀郎さんの「紺碧の彼方」、伊左治直さんの「浮島神楽」という2つの委嘱作品を世界初演しました。

第一夜〜「出会い」より、「浮島神楽」(撮影:岡本隆史氏)

2日目の「螺旋」は鼓童の単独公演。これは玉三郎さんとの出会いから16年間の集大成となる世界初演の舞台です。

「らせん」には、パワーの象徴である三つ巴の渦巻きのように、帰着のないケルト文様の渦巻きのように、螺旋中心軸は必ず普遍的にダイナミックなゆらぎにつくり変えていく意味があると私は思っていました。
鼓童グループにとって、ゆりもどし原理で絶え間なくエネルギーをうみだし続けていくための象徴的な作品になったと思っています。

第二夜〜「螺旋」より、「螺旋」(撮影:岡本隆史氏)

3日目の「飛翔」は2014年8月に佐渡で共演させていただいた男子新体操界初のプロパフォーマンスユニットのBLUE TOKYOと独創的なダンスカンパニーのDAZZLEの皆さんと共演させていただき、多くのお客様たちに創立35周年をお祝いしていただき、3日間の多種多様な鼓童の魅力を楽しんでいただくことができました。

第三夜〜「飛翔」より、「魅惑」(撮影:岡本隆史氏)

新たな表現を生み出すために多様性と柔軟性を持ち続けながら、果敢に取り組んでいきたいという企画する側の私の思いとは裏腹に、鼓童メンバーたちは数々の難しいプログラムの稽古はさぞかし大変だったと思います。
でも、芸術監督のご指導のおかげで、それを乗り越え、成長した姿を見届けられたことを、とても嬉しく思いました。


【2017年5月 幽玄】

私の夢であった坂東玉三郎さんとの共演作『アマテラス』公演を2006年に実現させていただき、2007年8月に歌舞伎座において再演、そして、2013年7月~10月にはメインキャストを替えて、東京・赤坂ACTシアター、福岡・博多座、京都・南座でも『アマテラス』を再演させていただきました。

そして、2017年5月から9月にかけて共演2作目『幽玄』公演を東急文化村、テレビ東京、BSジャパン、日本経済新聞社の皆様のご支援のもと、東京のオーチャードホールを皮切りに、新潟(TeNYテレビ新潟、新潟市芸術文化振興財団、新潟日報社)、愛知(中日新聞社、中日劇場)、福岡(博多座)、京都(松竹株式会社)と、各地の皆様のご力添えをいただいて上演(計30公演)させていただきました。

撮影:岡本隆史氏

『幽玄』公演は前作以上に鼓童メンバーにとって、さらに緻密で奥深い表現力を求められる舞台でした。

玉三郎さんが鼓童メンバーたちと「今後はどんなものをやりたいの?」と対話する機会があった時、「日本のものをやりたい」という話がきっかけとなり『幽玄』の舞台づくりが始まりました。

15年以上ご指導いただいた玉三郎さんには従来の鼓童の常識、和太鼓の常識のこだわりを解き放っていただき、様々な可能性を広げていただいておりましたが、この舞台はさらにハードルの高い未知なる領域への挑戦だったと思います。

鼓童村で坂東玉三郎氏と行われた「幽玄」の稽古(撮影:岡本隆史氏)

しかし、能楽の先生方、日本舞踊の花柳流の皆様のお力添えをいただきながら、鼓童メンバーたちが稽古のたびに成長していく姿はとても頼もしく、勇気付けられました。
私たちの概念にはなかった大きな振り幅の中で玉三郎さんに鍛えていただいた賜物だと思っています。

能楽師葛野流大鼓方の亀井広忠先生による稽古の様子(撮影:岡本隆史氏)

そして、2018年9月には歌舞伎座での『幽玄』1ヶ月公演という鼓童グループにとって奇跡のような機会もいただくことができました。

連獅子を舞う坂東玉三郎氏と鼓童の演奏。鼓童のメンバーも連獅子に挑戦しました。(撮影:岡本隆史氏)

そして、2017年の『幽玄』舞台の記録映像をもとに、松竹の方々と玉三郎さん自らが映像・音楽編集にも携わっていただき、シネマ歌舞伎 特別篇として『幽玄』が全国各地で上映されました。それはシネマ歌舞伎 特別篇の『幽玄』でしか味わえない映像と音の臨場感でした。
鼓童の歴史にとっても永久保存版の貴重なシネマ映像です。

そして、この頃に玉三郎さんから「鼓童の人たちも5年後、10年後に自分たちがどうなっていたいのか、ということを真剣に考える時期が来ているのではないでしょうか」というとても重要な示唆をいただいておりました。

20年近くにわたる坂東玉三郎さんのご指導のおかげではありますが、私はこの『幽玄』公演での鼓童メンバーたちの表現力を見届け、鼓童がプロの太鼓芸能集団になれた瞬間を肌で感じることができました。

1977年代で触れたことですが、
「鬼太鼓座から鼓童へ、プロにふみきるタイミングはいつつかんだのだろうか。」という問いに答えるとしたら・・・

私はこの時だったのかもしれないと思っています。


【2020年〈NOVA〉公演・・そして新型コロナウイルス感染症の影響】

2015年の4月頃から外部の専門家の方々にアドバイザーとしてご協力をいただきながら「鼓童は、どこに向かうのか?」という「鼓童の未来」について話し合いを続けていました。そのときに生まれたのが「NEW BEAT VISION PROJECT」でした。

2020年に東京オリンピックが開催されることになり、新しい人々が次の時代を作り出していかなくてはならない。その中でカタチを問わず常に新しい「ビート」を発信し続ける集団であり続けるために、「『聴く』から、『+観る』 そしてその先へ」というテーマで新たな『音の視覚化』を模索し始めていました。

そんな折、2016年7月に新潟市民芸術文化会館でロベール・ルパージュ氏の演出・出演の舞台『887』の公演がありました。ルパージュ氏から鼓童を訪ねたいとのご希望があり、公演の前日、急遽佐渡に来島されることになりました。

佐渡に初めていらした時のロベール・ルパージュ氏(中央)(撮影:大井キヨ子)

ロベール・ルパージュ氏は『KA』 (2004) 『トーテムTOTEM』(2010)というシルク・ドゥ・ソレイユの舞台を演出した今世紀における最も重要な舞台演出家の一人ともいわれるカナダ・ケベック生まれの演出家、劇作家、俳優、映画監督です。

この機会を得て、私は鼓童村や研修所などをご案内し、いろいろとお話をさせていただくことができました。何より、ルパージュ氏が鼓童のことにご興味を持っていただけていたことがとても嬉しかったです。このときは具体的なお仕事の話はしませんでしたが、ルパージュ氏から広島原爆を題材にした上演時間7時間の『太田川七つの流れ』という舞台の再演の話が話題になりました。

私はシルク・ドゥ・ソレイユの『トーテムTOTEM』はお会いする数年前にたまたま拝見したことがあり、人類の普遍的なテーマを題材にしていて、最先端のテクノロジーを駆使し、独創的でオリジナリティーにあふれた映像の使い方にとても驚きました。
しかし、実はこの『トーテムTOTEM』の鑑賞時には演出家としてのルパージュ氏の存在は認識していませんでした。

この時の出会いから数ヶ月たち、私の中では「音の視覚化」というテーマとルパージュ氏との出会いがひとつに結びついていきました。
そして、玉三郎さんに学んできたメンバーたちが次に挑戦するべき大きなプロジェクトとなり、「鼓童の未来に必ず繋がる」という思いにかられました。

そして、2016年8月にルパージュ氏に「2019年以降に鼓童の舞台演出をお願いできるような可能性はありますか?」との打診を開始しました。すると、ルパージュ氏の事務所から「とても好意的に、可能性はあります」とのご返答をいただき、早速、2017年1月に東京に来日中だったルパージュ氏らと初めてのミーティングをおこないました。

その時に「音の視覚化」という私たちの提案したテーマに対して、ルパージュ氏から「このプロジェクトはサイマティクスという理論をもとに創りたいと考えています。サイマティクスとは私たちの目に映るこの世全てのもの、地球や太陽系、私たちの身体や動物、陸などはすべてビック・バンによって生み出されたもの、そしてそのすべてに形を与えたのが『音』という理論です。」とのお話があり、ワクワクするような映像素材を見せていただき、具体的な稽古スケジュールや条件面での確認作業がスタートしました。

サイマティックスの理論を元にした仕掛けを模索する鶴見龍馬(撮影:神谷唯)

2018年4月の佐渡稽古(Phase1)からスタートし、12月にはケベックのロベール・ルパージュ氏の創作スタジオでの稽古(Phase2)、2019年3月(Phase3)のケベック稽古後にケベックと日本で何度も話し合いを続け、私たちはこのプロジェクトを〈NOVA〉(ノーヴァ)と名付けました。

ケベックにあるロベール・ルパージュ氏の拠点で作品作りに励んだ。(撮影:神谷唯)

そして、11月(Phase4)のケベック稽古から帰国直後に、日本での記者会見を行いました。
そして2020年の4月下旬から横須賀芸術劇場での3週間の最終稽古を経て、カナダスタッフたちから日本側のスタッフたちへの技術的な引き継ぎを行い、舞台を完成させるための準備をしていました。

ところが、2020年3月11日(奇しくも東日本震災と同じ月日)にWHOがパンデミックを表明。
人類がかつて経験のない新型コロナウイルス(COVID-19)感染症との闘いが始まり、すでに世界中に感染が拡大していました。

鼓童もこの影響を受けて、鼓童ヨーロッパ「Legacy」公演ツアーは3月のイタリア、ポーランド、ドイツの10公演が中止、ツアー途中での帰国という事態となりました。

日本では4月7日に緊急事態宣言が発令され、東京や神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡などで外出制限などの規制がはじまり、音楽・演劇・スポーツなど、すべての事業が中止や延期の対応を余儀なくされました。
3年以上をかけて海外共同製作で準備してきたこの〈NOVA〉は大変厳しい状況に追い込まれ、延期はできず、全公演中止という苦渋の決断をせざるをえませんでした。

〈NOVA〉は多くのスタッフが関わり、作り上げてきた作品でした。(撮影:神谷唯)

今回の〈NOVA〉公演のストーリーには「当たり前のことが当たり前でなくなるという、アノマリー(異常)によって文明が破壊する都市」の演出シーンがありました。

今となっては、ウイルスというまさに「アノマリー」な存在によって、今まで当たり前だったことが当たり前ではなくなり、いとも簡単に日常が「破壊」されてしまうことを思い知らされました。と同時に、ルパージュ氏の普遍的で哲学的な演出意図が今回の新型コロナウイルス感染症における人類への警鐘のように思えて、とても驚きました。

私は太鼓芸能文化の可能性を広げていくために、玉三郎さんとの共演作『アマテラス』『幽玄』と同じように、今までに誰も見たことのない舞台づくりに挑戦していくために全力で〈NOVA〉公演に取り組んでいました。

2020年のオリンピック・パラリンピックにむけて、芸術文化創造の支援に向けた特別な公的資金の公募がいくつかあるという情報を得たり、劇場ネットワーク関係(舞台芸術や演劇界)の方々がルパージュ氏の演出する鼓童に大変興味を持ってくださるなど、その支援体制の感触によって、この新たなプロジェクトに取り組む決断をいたしました。

制作発表の際に披露した〈NOVA〉の一部分(撮影:岡本隆史氏)

ルパージュ氏が佐渡での最初の稽古の時のインタビューで「日本という国は地震とか津波とか、絶えず災害に見舞われる国でありながら、そこから再興させ、そこで世界にないような美しいものを導きだしている。この国の文化に非常に興味がある」と言い、今回のプロジェクトではそれを語りたいと言ってくれました。

私はこのコメントを聞いて、2020年の東京都で世界初演するテーマとして非常に心に刺さりました。そのルパージュ氏の思いを聞いて、絶対に今までに見たことのない太鼓の概念を覆すような新しいものづくりができると確信しました。

それも、鼓童の使命として2020年にやらないと、今まで玉三郎さんに学んできたことが次に繋がっていかないような気がしたのです。

鼓童グループにとっては果敢な挑戦となりましたが、このプロジェクトを通じて、国内外の新たな鼓童ファンや多くの支援者との出会いも目指していましたので、2020年に実行するという意味が凄くあると思っていました。
だから、正直にいえば、完成間近で成就できなかったことはとても悔しい思いでいっぱいです。

しかし、多くの方々のお力添えをいただきながら、3年間かけてロベール・ルパージュ氏をはじめ、カナダチームスタッフと鼓童メンバーや日本チームスタッフたちと最善を尽くして創作してきた記録映像を、2019年11月のPhase4のケベック稽古での最初で最後になってしまった通し稽古の様子も含めて、ドキュメンタリー映像作品として完成させることができました。そして、期間限定ではありましたが、海外同時配信させていただき、国内外の多くの方々に視聴していただいたことで、私たちの〈NOVA〉公演に向けた渾身の思いをお届けることができました。

ビッグバンから始まり、生命体が生まれ、そして文明が始まり、世界が破壊され、そして再生・復活していくという、森羅万象、宇宙の摂理というものが鼓童の太鼓や踊り、声によって テクノロジーを駆使した映像とともに有機的に繋がる新たな神話のような物語に仕立てられていました。

この創作過程におけるルパージュ氏たちとの「ものづくり」の貴重な時間は、鼓童の未来の活動に大きな力になると信じています。

 


 

【あとがき】

世界各地で起こっている天災、人災、人間がつくりだした言語、民族、文化、宗教、政治、経済などの確執や価値観の違いを超越し、人間界と自然界との全体的調和を伝えていける強みが太鼓や芸能、音楽には内在していると信じています。

私自身は実際に太鼓を打ち込んで、人々に感動をお届けするということはできないのですが、「この感動をたくさんの人々に伝えたい。」ただただその思いのまま、今があります。

でもその衝動の根幹がいったいなんだったのか、実は腑に落ちないままでした。

あれから四十年以上、太鼓や芸能に携わらせて頂き、さまざまな出会いと学び、そして多くの困難を経験する中で、あらためて思い巡らしています。

それは当たり前のことではあるのですが、太鼓がとても原始な楽器だということと、この世に生まれたばかりの赤ちゃんには、本能としてひたすら泣き叫んで伝達しようとする野生の心が宿っていることです。

この太鼓と向き合う無垢な存在が伝達しようとする音(共振)にこそ、私たちは無条件に「原始の記憶」に回帰し浄化され、感動するのではないかと思うのです。

また、太鼓には人と人、人と神をつなぐ役割があります。

私たち日本人は古来より多くの自然災害による惨劇を経験しながらも、謙虚にひたむきに、たえず自然と向かいあい、地道に努力を積み重ねて復興させ、革新性や生産性を生み出してきました。

鼓童グループもコロナ禍に負けることなく、創立40周年記念の年に向けて、原点に立ち返り、自分たちの足元をたえず見つめ直し、人間が本来内包している「童」としての純真な心と野性的な心を鼓童の舞台を通じて表現し、魂を揺さぶる感動を届けることができるように、謙虚で逞しく生きていかなくてはなりません。

いつの日も、新しいことを成し遂げる原動力はひとつのことを一途に思い続けるという、わけのわからない強烈な熱意とひたむきな打ち込みにあると信じています。
だから、自信を持って、ひるまず打ち込み続けなくてはなりません。

鼓童創立40周年を迎える2021年、新型コロナウイルス感染症による困難を乗り越えて、多くのお客様と鼓童が出会い、元気に呼応しあえることを願っています。

 

━2021年、鼓童は創立40周年を迎えます━

鼓童創立40周年記念公演企画

【鼓童創立40周年「来し方行く末」】その4:2010年〜2020年 前編/青木孝夫

<その1:1977年〜1989年のブログはこちら>
<その2:1990年〜2000年のブログはこちら>
<その3:2000年〜2010年 前編のブログはこちら>
<その3:2000年〜2010年 後編のブログはこちら>

【2009年9月打男公演 と 2009年9月うぶすな公演 】

坂東玉三郎さん演出による新たな舞台『打男 DADAN』は2009年9月に東京・世田谷パブリックシアターで初演しました。公演タイトルの如く、男性7人に絞った小人数の試みでした。人数は少ない中でも若さの持つ力・集中力・瞬発力を活かした新進気鋭の大太鼓奏者たちの構成となりました。そして、鼓童の舞台では初めての試みでしたが、固定カメラを舞台上や袖に設置したり、演奏者自らがカメラを構えて映し出すという驚きの演出でした。

舞台上を演奏者自ら撮影をするという驚きの演出だった当初の「打男」公演(撮影:田中文太郎氏)

客席に響き渡る生演奏とともに、演奏者たちのほとばしるクローズアップされた映像がスクリーンに映し出され、有機的に絡み合い、新しいうねりとなって鼓童の魅力を引き出してくださいました。

それは、ひとりひとりの個性とエネルギーを輝かせてくれただけではなく、演奏者がカメラを構えて客席のお客様を映し出すというユーモアも取り入れた「音と映像と観客の心の参加」という3つの柱で構成された素晴らしい演出でした。

その後2010年には全国ツアーをおこない、2012年2月にはパリで海外初となる『打男 DADAN』を上演しました。

このあとも、仕込み等の工夫を凝らして機動性のある構成に仕立て直していただき、キャスト人数を増やして映像なしバージョンで欧米やアジアでも再演を行なってまいりました。

まさにひとりひとりの個性と肉体を鍛え抜いて、ひたむきに打ち込み続け、「精神と肉体と技術」の三位一体の高い技量が求められるプログラムになりました。

私はこの『打男 DADAN』の舞台は若手大太鼓打ちの登竜門として、基本育成のためにも、定期的に再演を行っていける重要な作品になったと思っています。
このような作品を作っていただいた玉三郎さんには心から感謝しております。

一方で私は2007年頃から、この『打男 DADAN』企画とは別に、ベテラン組(吉利千絵子容子幹文栄一)を中核とした編成の『うぶすな(産土)』公演を同時進行で進めていく準備をしていました。

このことにより、2009年頃から交流学校公演を含めて、3班の公演体制となり、鼓童グループの多様性の魅力をもとに、新たな鼓童ファンの獲得と掘り起こしへのアプローチを目指していきました。

玉三郎さんに若手の育成を軸とした舞台をお願いし、私は経験の蓄積というものの強さをもとに『うぶすな』公演を演出しました。私には演出という仕事の素養もなかったので、「演出」というよりも「まとめ役」といったほうが正しいかと思います。実際は1992〜2003年まで鼓童代表を務め長く演出や音楽構成を担ってもらっていた山口幹文のサポートや舞台スタッフたちの力を借りて、なんとか取り組むことができました。

『うぶすな』公演で私がテーマにしたことは下記になります。

佐渡という地に集い芸能という縁で結ばれ、今日に至る鼓童の礎を築いた藤本吉利小島千絵子藤本容子山口幹文齊藤栄一

(撮影:西田太郎)

(撮影:西田太郎)

歌い、踊り、打ち続けることによって芸能に息づくエネルギーを絶えず注ぎ込み鼓童の舞台を牽引してきたこの5人に仏教の考え方にあるエレメンタルな「五大」と「五色」と「五輪塔」をイメージしてみました。

「地」=黄=四角=すべてのものの支え。それは齊藤栄一
「水」=緑=円=すべての言葉を潔める。それは藤本容子
「火」=赤=三角=すべての欲望を焼き尽くす。それは藤本吉利
「風」=白=半円=すべての対立を吹き払う。それは山口幹文
「空」=青=団=果てしなく大きいもの。それは小島千絵子

このイメージを舞台上で具現化するという意味ではありませんでしたが、私自身の「うぶすな」の基本的な個々の演出イメージとして取り組みました。

うぶすな(産土)とは人の生まれた土地を意味します。

鼓童が佐渡の大地でうまれ育み、そしてこれから50年、100年と続けていくためにも継続してきた魂の営みを見つめ直す舞台となれればという思いでした。

『打男 DADAN』と『うぶすな』の企画は対極であるように見えるかもしれませんが、実は根幹は同じところにあります。
『打男 DADAN』は無垢な存在で、野生のこころで無心に ひたすら打ち込んでいく新しい生命の躍動という原始の姿とするならば、『うぶすな』は還暦、つまり、生まれ変わり新しい生命が誕生するという原初の姿の根幹なのではないかと、自分なりに想像していました。
ちょうど、最年長の藤本吉利が還暦を迎えた時期でした。

そして、どちらの公演も「人間の内面的価値の美しさ」を探求していく舞台でありたいということに変わりはありませんでした。

時代を超えて、ふるきものとあたらしきものが有機的に絡み合った時に、新鮮で力強い息吹が吹き込まれていくと信じています。

鼓童が他のグループにない要素として、若さの躍動と熟練の技というひたむきで多様な世界を表現できるグループになってきたのではないか、そういう時期にあることを感じたのはこの頃になります。

たえず「精神と肉体と技術」を鍛え抜いて、ひたむきに打ち込み続けること。そういう姿勢をいつまでも失わないグループでありたいと願っています。


【2011年 創立30周年】

2011年は鼓童創立30周年、そして岡本太郎生誕100年の記念すべき年でもありましたので、決意を新たにし、数年前からいろいろと準備をしていました。
そのひとつとして、鼓童三〇年の軌跡を未来に語り継いでいくために、数年前から記念誌の出版プロジェクトを発足し、鼓童グループ一丸となって『いのちもやして たたけよ。-鼓童三〇年の軌跡-』という記念誌を出版しました。
「いのちもやして、たたけよ。」は前身の鬼太鼓座時代から照明家として長年活動を見守ってくださった故・原田進平氏にいただいた言葉です。

アース・セレブレーション’89での原田進平氏(撮影:迫水正一氏)

また、1983年に岡本太郎さんに揮毫いただいた「鼓童」の文字をあらためて公演のポスターなどに使わせていただくことにしました。岡本太郎さんの「芸術は爆発だ!」という力強いパワーをいただきながら、鼓童結成時のメンバーから次代を担う若手メンバーまで総力を結集した30周年にふさわしい舞台づくりの演出を石塚充に託し、日本縦断ワン・アース・ツアー公演を企画しました。

岡本太郎氏の揮毫による「鼓童」の文字幕にいただいた、全国の公演主催者の皆様からの創立30周年のお祝いメッセージ(撮影:西田太郎)

特に東京の劇場は岡本太郎さんの「こどもの樹」というモニュメントのある青山劇場(こどもの城)での連続公演を目指しました。

渋谷にある岡本太郎氏のこどもの樹モニュメント(撮影:西田太郎)

また、2011年2月26日には六本木ヒルズで実施された岡本太郎生誕100周年イベント『TARO100祭』にも出演させていただきました。

『TARO100祭』での演奏(撮影:西田太郎)

そして・・・この後3月11日に東日本大震災が発生しました。

この未曾有の災害の出来事の時にも、いろいろと考えさせられました。

私たちの活動はなんのためにあるのだろうか。
私たちにできることはなんなのだろう。

日本では古来より地震や津波という自然災害を経験しながらも、再興していく辛抱強い生命力がありました。
それは、自然というものを尊び、感謝しあいながら、励ましあいながら人々は謙虚に暮らしてきたからだと思います。
そして、いつの時代も太鼓や芸能は怒りや憎しみを鎮め、悲しみや苦しみを癒す役割がありました。

私はこの役割こそが、「鼓童」=芸能の存在理由だと思っています。

2011年の東日本大震災や2020年のコロナ禍の現状においても、この役割が重要だと信じています。

こんな時代だからこそ、私たちは世界中の人たちに未来を信じるチカラと勇気を太鼓の言霊で轟かせ、夢と希望を届けたい。
と願いつつも・・・・・
芸能・芸術活動において、収束の見えないこのコロナ禍の影響は計り知れないものがあります。


【2012年 太鼓芸能集団鼓童の芸術監督】

「能や歌舞伎、オペラやバレエなど、時代を超えて伝わっている優れた芸能文化には、物語性、音楽性、構成、そして個人芸という共通した要素が含まれています。それが揃っている芸能はいつの時代でも生き残って行けるのです。」
これは坂東玉三郎さんとの対話の中でお聞きしたお言葉です。

太鼓芸能集団鼓童がこのすべての要素を調和させた舞台づくりに挑戦し続けていくためには、どうすればいいのか、考え続けていました。

私は玉三郎さんに鼓童の芸術監督になっていただき、日本人の美意識や芸術の在り方をさらに深く学んでいく必要性を強く感じていました。

そして、2011年頃から玉三郎さんに鼓童の芸術監督になっていただけないか、ご相談をさせていただいておりました。

この頃の玉三郎さんは2011年に第27回京都賞(思想・芸術部門/公益財団法人稲盛財団)を受賞され、2012年には重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された時でもありましたので、かなり恐れ多いお願い事をしていたことになります。

「人間国宝」に認定された玉三郎さんへ鼓童からお祝い(撮影:洲﨑拓郎)

ところが、玉三郎さんは快諾くださり、2012年4月に鼓童の芸術監督にご就任いただきました。

このことにより、「太鼓打ち」としてだけではなく、「舞台人」として成長していくための研鑽をさらに積んでいけることになりました。

芸術監督になっていただいた後は、作品づくりだけでなく、メンバーの体調管理から研修所のことに至るまで、全体にわたる指導をしていただくようになりました。

そして、『伝説』『神秘』『永遠』『混沌』『螺旋』と、今までの鼓童の常識に囚われることなく、果敢な新作の舞台づくりの挑戦が始まりました。

『伝説』(2012年)

『伝説』の創作過程で玉三郎さんからお聞きした印象深いお言葉は
「将来の作品については、今までに有った太鼓の打法を基本に置き、新しい構成で、新鮮な作品をお見せ出来るように努力しようと思っています。重厚さの中に軽妙さが垣間見られ、見た目にも美しく、楽しめ、深淵な香りが漂う舞台創りが出来たらと考えています。」

「素朴でありながら華やかさを有し、郷土的な雰囲気を放ち、しかも現代に通じていなければなりません。」

この舞台では玉三郎さん作曲の「カデン」で初めてティンパニーを取り入れ、太鼓だけでは表現できない「太鼓の響きの後の余韻」を重要視され、鼓童の表現の幅を広げて下さいました。

『神秘』(2013年)

『神秘』では
「今までの鼓童の太鼓は 太鼓と向き合い、闘いの太鼓なのです。打ち手と太鼓の格闘。打ち手の自己陶酔に陥り易く、お客様を置いてきぼりにしてしまうこともあります。打ち手の技量や人間性にも左右されるけれど、感動、喜び、涙・・・を届けるためにはその時の状態によって左右されることなく、物語として、音楽として成立させていかなくてはなりません。だから、今は 音楽として届けられる太鼓を目指しています。」
という芸術監督のご提言のように・・・・

『神秘』からは、ほとんど新曲で構成され始め、演劇的な要素も取り入れ、蛇舞などにも挑戦することになりました。そして、この公演からは自然な流れで「従来の半纏」も「締め込み」も「大太鼓」も演目からなくなり、物語性、音楽性、構成を重視した舞台づくりになっていきました。

この頃鼓童の古くからのお客様には、今までとは違う方向性に対する違和感もあり、賛否両論が渦巻くことになりました。

しかし、芸術監督は常々、「芸術はどんな時代にも、賛否両論ある中で継承と発展を繰り返してきたのだと思います」ということをおっしゃっていて、私自身も強く共感していました。

私は創造活動において『岡本太郎と太陽の塔』の書籍に書かれていた岡本太郎さんの言葉にも刺激を受けていました。

「・・・・徹底的な対立こそ、ほんとうの協力なのだ。同調、妥協は何も生み出さないし、不潔である。
悪口大いに結構、猛烈な非難と絶賛と相反する評価が渦巻く方がほんとうだと信じている。はじめから結構でございますで済んでしまうようなものは意味はない。」

「岡本太郎と太陽の塔」より文面抜粋

それまでの鼓童は「半纏・鉢巻き」の衣装を変えようと考えたとしても、何かに縛られているかのように、思い切って変えることはできませんでした。「これが鼓童の衣装なのだ」という固定観念から逃れられなかったのです。

過去を大事にしながらも、狭い視野を広げてくださり、従来の価値観を解き放つ大切さを教えてくださったのは芸術監督でした。

『永遠』(2014年)

『永遠』もすべて新曲で構成され、鼓童にとって新たな領域に入る舞台となりました。
創作過程で芸術監督からは下記のメッセージをいただいておりました。

「永遠というテーマについて自分なりに思いを巡らせていたある日、ふと『自然の営み』が螺旋状に続いて行く、という考えに行き着いたのです。厳密に言えば『永遠』というものは無いのかも知れませんが、それに繋がるきっかけとして夜明け・光・雨・風・雲・波・星々・夕暮れ・星空その中の『人間』というものが思い浮かび上がってきました。」

『・・・永遠は、私たちの思い込みの幻想なのでしょう。
ビッグバンが起こり、全てが破壊されてしまうが、この宇宙さえも永遠ではありません。今回の舞台では「永遠に見ていたいもの。」「永遠に聞いていたいもの。」「永遠に感じていたいこと」
これが「永遠であれ」と願うものが表現されていれば、お客様は、舞台の現象から、永遠を感じてくれるのではないかと思ったのです。』

この作品では、従来の太鼓芸能表現だけではなく、そこに「音楽」としての感覚を兼ね備えて、普遍的に存在する森羅万象、つまり、自然界の美、夕日、朝日、海、空、雨、心地よい風、さざ波、星空、など・・を楽しく、美しく、純粋に表現できるようにと、鼓童メンバーたちの深遠な感性 と個々の技量を求められた舞台となりました。

『混沌』(2015年)

『混沌』ではドラムセットを3台購入し、鼓童メンバーが演奏するという驚くべき事態になりました。私自身は芸術監督の見識を信頼していましたが、多少ドラム演奏の経験がある鼓童メンバーはひとりしかいませんでしたので・・・
さすがに・・・ドラムセット3台は・・・本当に可能なのかと、・・・
と半信半疑でした。

しかし、
「混沌から融合へ、それは宇宙の成り立ちを考えれば当然のことですし、人間の心自体が混沌とした中に浮遊しながら存在するのかも知れません。混沌とした中から融合が見出され、そしてまた混沌として散らばって行く…。」という芸術監督からのメッセージを辿りながら、

構想から3年かけて、元ブルーハーツのドラマーの梶原徹也さんの強力なご指導を仰ぎながら、鼓童流のドラム稽古が始まりました。

「ティンパニー、ドラムセットはもちろんのこと、和太鼓も西洋打楽器も含めて、すべて打楽器であることにはまったく変わりがないという」玉三郎さんの揺るぎない考え方のもとで、なんとタイヤも楽器になりました。

新しい楽器へのチャレンジと、西洋楽器ドラムの鼓童的打法(太鼓打ちのドラムという新しい音)の発想は「世界一の打楽器奏者を目指してほしい。上質な舞台人であって欲しい」という芸術監督の言葉のように、音楽的な広がりのある作品づくりのために必要なステップだったのだと思います。

私は2018年4月から始まった〈NOVA〉のものづくりを通じて、演出家のロベール・ルパージュ氏が掲げたビックバンから生命体が誕生し、破壊され、再生していくという人類の普遍的なテーマと、玉三郎さんの「永遠」「混沌」の目指すテーマが重なり合っていたことに気づき、のちのちとても驚きました。

『螺旋』(2016年)

『螺旋』は玉三郎さんに演出していただいた鼓童単独舞台『鼓童ワン・アース・ツアー スペシャル〜佐渡へ』『打男』『伝説』『神秘』『永遠』『混沌』に続き7作目の作品で、玉三郎さんにご指導いただいた16年間の集大成ともなり、創立35周年の記念すべき舞台となりました。

2012年より芸術監督としてのご指導を受けながら、伝統とは革新の連続であるからこそ生き残ることができるということを実感させていただいた日々でした。

 

━2021年、鼓童は創立40周年を迎えます━

鼓童創立40周年記念公演企画