吉田励さんを偲んで/本間康子

吉田励さんは、鼓童の大変古くからの、大切な友人です。

私が吉田さんと初めてお会いしたのは、研修生となった1985年の夏。ポスタービジュアルの撮影のため、吉田さんが大小(当時の本拠地)に来られた時だったと思います。
12月、そのポスターの公演に自分が出演できることになり、数あるポスターの中でも思い出深い1枚となりました。

One Earth Tour ポスター(1985年)

その前年、1984年に半年かけて10ヶ国を巡った、最初の「One Earth Tour」のポスターも、吉田さんの撮影です。
羽茂の素浜海岸に沈む夕日が今日は良さそうだということになり、「そらいけーっ!」と大急ぎで向かって撮影したそうです。

One Earth Tour ポスター(1984年)
シルエットは藤本吉利

吉田励さんは1951年(昭和26年)山梨県甲府市生まれ。二十歳の頃から佐渡へ折々通ってくるようになり、ついには移り住み、佐渡の方と結婚されました。

吉田さん(旧姓は石原さんでした)との最初の出会いは、前身の鬼太鼓座時代に遡るとのこと。
宿根木の博物館で収蔵品の記録撮影のアルバイトをしていた吉田さんが、加藤泰監督の映画「ざ・鬼太鼓座」撮影の際、スチール写真を担当されたことがきっかけでした。
写真は、写真集『佐渡島』などで知られる写真家・富山治夫氏(1935-2016)に師事していました。

1985年「西馬音内」撮影(写真:富田和明氏)

当時の鬼太鼓座のメンバーと吉田さんは、ほぼ同世代。
佐渡島内には友達づきあいをするような人はほとんどおらず、自由に生きている吉田さんの姿がとても新鮮で、皆が惹きつけられたと言います。

独身時代には、ツアーのバスドライバーをお願いしたり、海外ツアーに同行された事もありました。鼓童の生みの親の一人である本間雅彦先生の「てづから工房」の一員でもあり、旅先で運転の合間に刺し子などをする姿を見て、後に続く人が何人も出ました。大井キヨ子もその一人です。

雑誌『銀花』で刺し子が紹介された

1985年 旅先にて(写真:富田和明氏)

1982年 アメリカツアー(写真:富田和明氏)

吉田さんは、機関誌『鼓童』に「とことこむしのいっぷく」というタイトルで、佐渡の暮らしを写真と文章で綴る連載コーナーをもっていました。
(「とことこ虫」とは佐渡弁でカブトムシの幼虫のこと)

編集担当となった藤本容子がぜひにと依頼し、1981年秋の季刊「鼓童」第3号から1982冬第7号まで、月刊になってからも1984年5月号からも2ヶ月に1回のペースで1992年12月号(100号)まで、46回続いた長期連載でした。

機関誌『鼓童』連載「とことこむしのいっぷく」

研修生になることが決まって、鼓童から機関誌が届き、そこで見た「とことこむしのいっぷく」に綴られていた佐渡の生活風習は、横浜育ちで佐渡をまったく知らなかった私にとって「佐渡の原風景」となりました。

宮本常一先生のことを敬愛していた吉田さん。
「観光とは、そこに生活している人々が、生き生きと光り輝いている姿を目撃するということだ」との宮本先生の言葉を大切にされていました。

カメラマンだけでなく、アウトドアの遊び(スキューバーダイビングや水上スキーや登山など)や家具製作、家の改築、設備工事など、多種多様な趣味を満喫されていたそうです。
いつも肩の力が抜けているというか、自然体。笑顔の吉田さんしか思い出せません。

EC1994 吉田励氏(写真:坂口正光氏)

鼓童の本拠地が小木に移ってからも、アース・セレブレーションなどの公演や、財団設立などの大切な行事、そして新年の集合写真と、本当に様々な場面で私たちを撮影してくださいました。

EC2003(写真:吉田励氏)

鼓童文化財団設立行事(写真:吉田励氏)

2013年 鼓童グループ 新年の集合写真(写真:吉田励氏)

 

2020年5月5日深夜、吉田さんは彼岸へと旅立って行かれました。

ご冥福をお祈りするとともに、私たちに残してくださった、素晴らしい写真や言葉の数々に深く感謝申し上げます。

吉田さん、本当にありがとうございました。

 

1982年 吉田励氏(写真:富田和明氏)

機関誌『鼓童』最新号(5月春号)を特別公開 !/上之山博文

こんにちは、機関誌編集部、上之山です。鼓童の会会員の皆さまに年4回(2月、5月、8月、11月)お届けしております。5月春号は通常より10日遅れて、5月20日に発行させていただきました。いつも機関誌をご愛顧いただき、ありがとうございます。

機関誌「鼓童」は1981年、鼓童結成時に季刊誌として創刊。1984年〜2016年は月刊、2017年より再び季刊発行となり、今回の最新号で378号となりました。

最近ではその時々の活動の特集やコラム、作品や演目紹介、そして舞台では見られないメンバーの素顔など、趣向をこらしながら(時にはネタに頭を抱えながら(笑))、お届けしています。

そんな中、5月号では〈NOVA〉やアース・セレブレーションを紹介したいと2月から編集を進めていた矢先での、3月半ばからの急激な状況の変化。

緊急編集会議で、一旦組み立てたページ構成をすべて白紙に戻し、発行日を遅らせることを決断。表紙は笑顔を届けたいと冬のヨーロッパツアー、最終公演地となったイギリス・リバプールでの集合写真を持ってきました。

そんな特別な思いがギュッと詰まった5月号。いつもはバックナンバーとして1つ前の号をPDF公開していますが、今回の号は多くの皆様に’今’をお届けしたいと、特別に早く公開することにいたしました。

鼓童メンバー1人1人の思いも綴っています。ぜひご覧ください !

 

■アーカイブ 機関誌「鼓童」
https://www.kodo.or.jp/periodical_archives/kikanshi

■鼓童の会にご入会いただくと、年4回の機関誌がご自宅に !
紙の冊子をお手元でじっくりお読みになりたいという方はぜひ鼓童の会にご入会いただけたら嬉しく思います。年4回、機関誌をお届けいたします !
https://www.kodo.or.jp/kodo_friends

※好評いただいています付録「鼓童人物名鑑」は、次号8月夏号での同封に延期になりました。

新1年生(39期研修生)、オンラインでスタート/石原泰彦

春、始まりの季節に、世の中は試練の日々。

いつもの年なら、鼓童の研修所にも新しい1年生がやってくる時期です。今年も12人が揃う予定でしたが、この新型コロナウイルス感染の広がりの中で、まだ叶いません。

 

4月8日に入所を予定していましたが日程を遅らせ、新研修生となる皆さんには、3月28日より「1日2回の検温報告」を義務付け、外出を必要最小限に絞るなどした上で、入所までの期間を過ごしていただくことにしました。

安全の確保を最優先に検討を重ねた結果、当初の緊急事態宣言の対象地域ではなかった所から、まず3名を受け入れました。柿野浦研修所には直接入所せず、「深浦学舎」にて14日間の健康観察を行っています。この期間を経て研修所へ移り、実際の研修が始まります。

また2年生も、今は地域外への外出はできるだけ控え、安全を第一に研修所で過ごす日々です。

 

***

 

そんな中、何とか皆の気持ちを一つにスタートを切ろうと、新1年生と2年生、さらに研修所に関わるメンバーを加え総勢25名で、4月21日にオンラインでの顔合わせをしました。長い研修所の歴史でも、初めてのことです。

まずはお互いに自己紹介、今の気持ちを伝え合いました。続いて、研修期間に呼び合うため「呼び名決め」。講師からもその名前で呼ばれることになります。まだぎこちないものの、お互いに「研修生」としての小さな一歩を踏み出せたようでした。

次に、研修生の稽古に関わる舞台メンバーからの話。太鼓をたたけない環境でも、自分で進められる内容を、講師陣が準備。佐渡に集まるまでの期間を「研修準備期間」とし、離れていても皆が同じ取り組みをしていくことを伝えました。

キーワードの一つに「学び方を学ぶ」。その意味と向かい合いながら、日々の稽古を進めます。それぞれが研修所のスケジュールに準じて生活をし、一日の終わりには日誌を書いて皆でLINEで共有。これも初の試みです。離れていても、お互いの思いを、確認し合います。

たっぷりと2時間近く続いたオンラインミーティング。それぞれの場所にいながら、どのように「研修準備期間」を過ごしていくか、気持ちがつながり始めたように思います。

最後は2年生からの太鼓と「待ってるぞー!」のエール。研修所に全員が揃う日を思いながら、それぞれの場所で踏んばる日々が続きます。

2年生から1年生へ、思いを込めて。
後方、舞台の上では、1年生の引越しの荷物が本人の到着を待っています。

疫病(コロナ)退散の願いを込めて、岩手・北上の芸能「鬼剣舞」も踊りました。

 

[1年生(39期研修生)のことば 〜 それぞれの日誌から(抜粋) ]
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  • 朝、外に出てみると、空気が澄んでいた。みんな今の時間走ってるのかなあ・・・
  • (太鼓の)稽古は、僕の相棒のタイヤと毎日行っています。
  • 開脚は、ついに床まであと10cmほどまで開けるようになり、180°開脚まで近づいてきました。
  • 辛い苦しい時、僕たちの表現がみんなが強く生きるための糧としてありたいです。
  • 終わりが見えない状況で一人で練習し続けるのは、すごい不安があります。いつか色々な人の心に届く、伝えられるような音を出すために、練習をしていきたいと思います。
  • 私は太鼓に救われました。太鼓を打つ人に救われました。いつか私が太鼓を打ち続けることで救える命があるかもしれない。
  • 39期は、必ず歴代最高の期になる。

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研修所から見える山には、今年も新緑が芽吹き始めました。

またいつも通り、ここに1、2年全員が揃う日がやってきますように。

そしてこの世の中に、これからもずっと太鼓が息づいていきますように。

今を何とか乗り越えて、この大事な大事な研修所を、皆で力を尽くして繋いでまいります。支えてくださる皆さまへの感謝の中で・・・。

みんなで1年生を待っています!

 

 

深浦学舎での健康観察期間について

深浦学舎での生活は、柿野浦研修所とはだいぶ様子が異なります。

  • 「健康観察票」に検温結果を毎日記入。
  • 体育館や校庭で行う体操や稽古は十分に距離をとって実施。

これらは柿野浦でも同様ですが、

  • 建物から外に出るのは「校庭限定」。
  • 講師への質問や連絡はLINEで。(緊急連絡の可能性があるため、深浦学舎にいる期間は、個人の携帯電話を使用可としています。)
  • 1人1部屋で行き来はなし。(研修所では相部屋が基本)
  • 研修所より睡眠時間を1時間長くし、暖房も使用可とする。
  • トイレ、洗濯機は共用しない。
  • スイッチ等、共用するものは消毒。風呂は1人づつ使用後に清掃。
  • 食事はスタッフが準備し、個々の部屋で食べる。
  • 食器類にテープを貼り、人別に分けてまざらないように使用。
  • 常駐するスタッフは人数を絞り、できるだけ外出をしない形で業務。

このような形で、できるだけ感染リスクを下げ、免疫力を上げる配慮をしながらの毎日です。

お互いの距離をとって体操(校庭)

大井キヨ子が「東京2020オリンピック聖火ランナー」に内定!/本間康子

キヨ子さんが、聖火ランナーとして佐渡を走ります!

新潟県内の聖火リレーは、6月5日・6日の二日。糸魚川市大規模火災からの復興が進む糸魚川市から出発し、佐渡では金山から北沢浮遊選鉱場までがコースとして設定されています。

新潟県ホームページ

「新潟県の聖火ランナー公募があると知ったとき、日本女子マラソンのパイオニアとして是非走りたい。応募して走りたいと胸が高鳴りました。41年前1978年ボストンで6位入賞し2時間52分34秒で入賞したときも扱いは小さかった。1979年2月に日本記録を出したときも男子と一緒に走って出した記録だから参考記録という扱いだった。女子の真のちからを信じてもらえない。今回、内定をいただいたとき『パイオニアとしてようやく認めてもらえたんだ。』と、確信できたことはものすごく嬉しかったです。」(大井キヨ子)

走ることへの特別な思いをずっと持ち続けてきたキヨ子さん。
佐渡にも聖火がやってくると知り、絶対にキヨ子さんに走ってほしい!と思っていた私は、キヨ子さんから「内定した!」と知らせていただいた時、自分のことのように嬉しく思いました。

下の写真は2011年、鼓童結成30周年を記念して、鼓童メンバー・スタッフ全員で行った「鼓童結成30周年記念・南佐渡一周駅伝」のアンカーとして走るキヨ子さん。
この駅伝もキヨ子さんの発案によるものでした。

大井キヨ子(旧姓:小幡)略歴

1957年  新潟県広神村に生まれる。高校で陸上部に所属。
1975年 鼓童の前身「佐渡の國鬼太鼓座」にランナーとしてスカウトされ入座。舞台稽古と共に、ランニングのトレーニングを積む。ボストンマラソンに同行し、前年優勝者のゴーマン美智子氏に出会う。
1976年 ボストンマラソンに初参加。以後毎年、計5回参加。
1978年  ボストンマラソン女子の部6位入賞。
1979年  別府大分毎日マラソンに女子として初めて参加し、女子マラソンの最初の日本記録(2時間48分52秒)を樹立。

1979年別府大分毎日マラソン

1980年 女子マラソンの功績を認められて、「森田たまパイオニア賞」を受賞。
1981年 「鼓童」結成に参加、「双蓮華(そうれんげ)」などの演目で鼓童初公演に参加。

双蓮華

1982年 舞台メンバー(当時)の大井良明と結婚、独身者ばかりのグループの中で初めて家庭を築いた。舞台活動を離れてスタッフ業務に取り組む傍ら、3人の子供を育てる。

鼓童の本拠地だった真野町大小にて (撮影:太田順一)

2007年頃より 地元の民謡団体「小木さざ波会」に所属。「佐渡おけさ」「小木おけさ」「相川音頭」など佐渡民謡の踊り手となる。近年は地元の小中学校の生徒への踊りの指導も行っている。

小木小学校にて

佐渡で防寒用の着物などにほどこされた「刺し子」に出会い、長年にわたり巾着などの小物をはじめ、のれん、タペストリーや舞台衣装など様々な刺し子作品を制作。佐渡島内の愛好者を対象として、定期的に刺し子教室を開催している。
2009年 「佐渡が育んだ木綿文化の海外交流事業」としてイギリスで刺し子の展示や、キルト研究者との交流を行う。
2012年 山口県周防大島で刺し子のワークショップと講演を行う。
2019年 第44回日本手工芸美術展覧会にて「雪女(ゆきめ)」と題した刺し子作品2点が入賞。

こちらもぜひお読みください

機関誌『季刊鼓童』2019年11月秋号より、Free Talk『継続は力なり』大井キヨ子

大井キヨ子の刺し子作品が「第44回日本手工芸美術展覧会」に入選/本間康子

大井キヨ子の刺し子作品が「第44回日本手工芸美術展覧会」に入選しました。

「佳作」に入賞したのは「雪女(ゆきめ)」と題した2作品で、9月16日まで東京・上野公園内の東京都美術館で展示されております。

入館料: 一般700円、大学生600円、高校生300円、中学生以下無料