【鼓童創立40周年「来し方行く末」】その4:2010年〜2020年 前編/青木孝夫

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【2009年9月打男公演 と 2009年9月うぶすな公演 】

坂東玉三郎さん演出による新たな舞台『打男 DADAN』は2009年9月に東京・世田谷パブリックシアターで初演しました。公演タイトルの如く、男性7人に絞った小人数の試みでした。人数は少ない中でも若さの持つ力・集中力・瞬発力を活かした新進気鋭の大太鼓奏者たちの構成となりました。そして、鼓童の舞台では初めての試みでしたが、固定カメラを舞台上や袖に設置したり、演奏者自らがカメラを構えて映し出すという驚きの演出でした。

舞台上を演奏者自ら撮影をするという驚きの演出だった当初の「打男」公演(撮影:田中文太郎氏)

客席に響き渡る生演奏とともに、演奏者たちのほとばしるクローズアップされた映像がスクリーンに映し出され、有機的に絡み合い、新しいうねりとなって鼓童の魅力を引き出してくださいました。

それは、ひとりひとりの個性とエネルギーを輝かせてくれただけではなく、演奏者がカメラを構えて客席のお客様を映し出すというユーモアも取り入れた「音と映像と観客の心の参加」という3つの柱で構成された素晴らしい演出でした。

その後2010年には全国ツアーをおこない、2012年2月にはパリで海外初となる『打男 DADAN』を上演しました。

このあとも、仕込み等の工夫を凝らして機動性のある構成に仕立て直していただき、キャスト人数を増やして映像なしバージョンで欧米やアジアでも再演を行なってまいりました。

まさにひとりひとりの個性と肉体を鍛え抜いて、ひたむきに打ち込み続け、「精神と肉体と技術」の三位一体の高い技量が求められるプログラムになりました。

私はこの『打男 DADAN』の舞台は若手大太鼓打ちの登竜門として、基本育成のためにも、定期的に再演を行っていける重要な作品になったと思っています。
このような作品を作っていただいた玉三郎さんには心から感謝しております。

一方で私は2007年頃から、この『打男 DADAN』企画とは別に、ベテラン組(吉利千絵子容子幹文栄一)を中核とした編成の『うぶすな(産土)』公演を同時進行で進めていく準備をしていました。

このことにより、2009年頃から交流学校公演を含めて、3班の公演体制となり、鼓童グループの多様性の魅力をもとに、新たな鼓童ファンの獲得と掘り起こしへのアプローチを目指していきました。

玉三郎さんに若手の育成を軸とした舞台をお願いし、私は経験の蓄積というものの強さをもとに『うぶすな』公演を演出しました。私には演出という仕事の素養もなかったので、「演出」というよりも「まとめ役」といったほうが正しいかと思います。実際は1992〜2003年まで鼓童代表を務め長く演出や音楽構成を担ってもらっていた山口幹文のサポートや舞台スタッフたちの力を借りて、なんとか取り組むことができました。

『うぶすな』公演で私がテーマにしたことは下記になります。

佐渡という地に集い芸能という縁で結ばれ、今日に至る鼓童の礎を築いた藤本吉利小島千絵子藤本容子山口幹文齊藤栄一

(撮影:西田太郎)

(撮影:西田太郎)

歌い、踊り、打ち続けることによって芸能に息づくエネルギーを絶えず注ぎ込み鼓童の舞台を牽引してきたこの5人に仏教の考え方にあるエレメンタルな「五大」と「五色」と「五輪塔」をイメージしてみました。

「地」=黄=四角=すべてのものの支え。それは齊藤栄一
「水」=緑=円=すべての言葉を潔める。それは藤本容子
「火」=赤=三角=すべての欲望を焼き尽くす。それは藤本吉利
「風」=白=半円=すべての対立を吹き払う。それは山口幹文
「空」=青=団=果てしなく大きいもの。それは小島千絵子

このイメージを舞台上で具現化するという意味ではありませんでしたが、私自身の「うぶすな」の基本的な個々の演出イメージとして取り組みました。

うぶすな(産土)とは人の生まれた土地を意味します。

鼓童が佐渡の大地でうまれ育み、そしてこれから50年、100年と続けていくためにも継続してきた魂の営みを見つめ直す舞台となれればという思いでした。

『打男 DADAN』と『うぶすな』の企画は対極であるように見えるかもしれませんが、実は根幹は同じところにあります。
『打男 DADAN』は無垢な存在で、野生のこころで無心に ひたすら打ち込んでいく新しい生命の躍動という原始の姿とするならば、『うぶすな』は還暦、つまり、生まれ変わり新しい生命が誕生するという原初の姿の根幹なのではないかと、自分なりに想像していました。
ちょうど、最年長の藤本吉利が還暦を迎えた時期でした。

そして、どちらの公演も「人間の内面的価値の美しさ」を探求していく舞台でありたいということに変わりはありませんでした。

時代を超えて、ふるきものとあたらしきものが有機的に絡み合った時に、新鮮で力強い息吹が吹き込まれていくと信じています。

鼓童が他のグループにない要素として、若さの躍動と熟練の技というひたむきで多様な世界を表現できるグループになってきたのではないか、そういう時期にあることを感じたのはこの頃になります。

たえず「精神と肉体と技術」を鍛え抜いて、ひたむきに打ち込み続けること。そういう姿勢をいつまでも失わないグループでありたいと願っています。


【2011年 創立30周年】

2011年は鼓童創立30周年、そして岡本太郎生誕100年の記念すべき年でもありましたので、決意を新たにし、数年前からいろいろと準備をしていました。
そのひとつとして、鼓童三〇年の軌跡を未来に語り継いでいくために、数年前から記念誌の出版プロジェクトを発足し、鼓童グループ一丸となって『いのちもやして たたけよ。-鼓童三〇年の軌跡-』という記念誌を出版しました。
「いのちもやして、たたけよ。」は前身の鬼太鼓座時代から照明家として長年活動を見守ってくださった故・原田進平氏にいただいた言葉です。

アース・セレブレーション’89での原田進平氏(撮影:迫水正一氏)

また、1983年に岡本太郎さんに揮毫いただいた「鼓童」の文字をあらためて公演のポスターなどに使わせていただくことにしました。岡本太郎さんの「芸術は爆発だ!」という力強いパワーをいただきながら、鼓童結成時のメンバーから次代を担う若手メンバーまで総力を結集した30周年にふさわしい舞台づくりの演出を石塚充に託し、日本縦断ワン・アース・ツアー公演を企画しました。

岡本太郎氏の揮毫による「鼓童」の文字幕にいただいた、全国の公演主催者の皆様からの創立30周年のお祝いメッセージ(撮影:西田太郎)

特に東京の劇場は岡本太郎さんの「こどもの樹」というモニュメントのある青山劇場(こどもの城)での連続公演を目指しました。

渋谷にある岡本太郎氏のこどもの樹モニュメント(撮影:西田太郎)

また、2011年2月26日には六本木ヒルズで実施された岡本太郎生誕100周年イベント『TARO100祭』にも出演させていただきました。

『TARO100祭』での演奏(撮影:西田太郎)

そして・・・この後3月11日に東日本大震災が発生しました。

この未曾有の災害の出来事の時にも、いろいろと考えさせられました。

私たちの活動はなんのためにあるのだろうか。
私たちにできることはなんなのだろう。

日本では古来より地震や津波という自然災害を経験しながらも、再興していく辛抱強い生命力がありました。
それは、自然というものを尊び、感謝しあいながら、励ましあいながら人々は謙虚に暮らしてきたからだと思います。
そして、いつの時代も太鼓や芸能は怒りや憎しみを鎮め、悲しみや苦しみを癒す役割がありました。

私はこの役割こそが、「鼓童」=芸能の存在理由だと思っています。

2011年の東日本大震災や2020年のコロナ禍の現状においても、この役割が重要だと信じています。

こんな時代だからこそ、私たちは世界中の人たちに未来を信じるチカラと勇気を太鼓の言霊で轟かせ、夢と希望を届けたい。
と願いつつも・・・・・
芸能・芸術活動において、収束の見えないこのコロナ禍の影響は計り知れないものがあります。


【2012年 太鼓芸能集団鼓童の芸術監督】

「能や歌舞伎、オペラやバレエなど、時代を超えて伝わっている優れた芸能文化には、物語性、音楽性、構成、そして個人芸という共通した要素が含まれています。それが揃っている芸能はいつの時代でも生き残って行けるのです。」
これは坂東玉三郎さんとの対話の中でお聞きしたお言葉です。

太鼓芸能集団鼓童がこのすべての要素を調和させた舞台づくりに挑戦し続けていくためには、どうすればいいのか、考え続けていました。

私は玉三郎さんに鼓童の芸術監督になっていただき、日本人の美意識や芸術の在り方をさらに深く学んでいく必要性を強く感じていました。

そして、2011年頃から玉三郎さんに鼓童の芸術監督になっていただけないか、ご相談をさせていただいておりました。

この頃の玉三郎さんは2011年に第27回京都賞(思想・芸術部門/公益財団法人稲盛財団)を受賞され、2012年には重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された時でもありましたので、かなり恐れ多いお願い事をしていたことになります。

「人間国宝」に認定された玉三郎さんへ鼓童からお祝い(撮影:洲﨑拓郎)

ところが、玉三郎さんは快諾くださり、2012年4月に鼓童の芸術監督にご就任いただきました。

このことにより、「太鼓打ち」としてだけではなく、「舞台人」として成長していくための研鑽をさらに積んでいけることになりました。

芸術監督になっていただいた後は、作品づくりだけでなく、メンバーの体調管理から研修所のことに至るまで、全体にわたる指導をしていただくようになりました。

そして、『伝説』『神秘』『永遠』『混沌』『螺旋』と、今までの鼓童の常識に囚われることなく、果敢な新作の舞台づくりの挑戦が始まりました。

『伝説』(2012年)

『伝説』の創作過程で玉三郎さんからお聞きした印象深いお言葉は
「将来の作品については、今までに有った太鼓の打法を基本に置き、新しい構成で、新鮮な作品をお見せ出来るように努力しようと思っています。重厚さの中に軽妙さが垣間見られ、見た目にも美しく、楽しめ、深淵な香りが漂う舞台創りが出来たらと考えています。」

「素朴でありながら華やかさを有し、郷土的な雰囲気を放ち、しかも現代に通じていなければなりません。」

この舞台では玉三郎さん作曲の「カデン」で初めてティンパニーを取り入れ、太鼓だけでは表現できない「太鼓の響きの後の余韻」を重要視され、鼓童の表現の幅を広げて下さいました。

『神秘』(2013年)

『神秘』では
「今までの鼓童の太鼓は 太鼓と向き合い、闘いの太鼓なのです。打ち手と太鼓の格闘。打ち手の自己陶酔に陥り易く、お客様を置いてきぼりにしてしまうこともあります。打ち手の技量や人間性にも左右されるけれど、感動、喜び、涙・・・を届けるためにはその時の状態によって左右されることなく、物語として、音楽として成立させていかなくてはなりません。だから、今は 音楽として届けられる太鼓を目指しています。」
という芸術監督のご提言のように・・・・

『神秘』からは、ほとんど新曲で構成され始め、演劇的な要素も取り入れ、蛇舞などにも挑戦することになりました。そして、この公演からは自然な流れで「従来の半纏」も「締め込み」も「大太鼓」も演目からなくなり、物語性、音楽性、構成を重視した舞台づくりになっていきました。

この頃鼓童の古くからのお客様には、今までとは違う方向性に対する違和感もあり、賛否両論が渦巻くことになりました。

しかし、芸術監督は常々、「芸術はどんな時代にも、賛否両論ある中で継承と発展を繰り返してきたのだと思います」ということをおっしゃっていて、私自身も強く共感していました。

私は創造活動において『岡本太郎と太陽の塔』の書籍に書かれていた岡本太郎さんの言葉にも刺激を受けていました。

「・・・・徹底的な対立こそ、ほんとうの協力なのだ。同調、妥協は何も生み出さないし、不潔である。
悪口大いに結構、猛烈な非難と絶賛と相反する評価が渦巻く方がほんとうだと信じている。はじめから結構でございますで済んでしまうようなものは意味はない。」

「岡本太郎と太陽の塔」より文面抜粋

それまでの鼓童は「半纏・鉢巻き」の衣装を変えようと考えたとしても、何かに縛られているかのように、思い切って変えることはできませんでした。「これが鼓童の衣装なのだ」という固定観念から逃れられなかったのです。

過去を大事にしながらも、狭い視野を広げてくださり、従来の価値観を解き放つ大切さを教えてくださったのは芸術監督でした。

『永遠』(2014年)

『永遠』もすべて新曲で構成され、鼓童にとって新たな領域に入る舞台となりました。
創作過程で芸術監督からは下記のメッセージをいただいておりました。

「永遠というテーマについて自分なりに思いを巡らせていたある日、ふと『自然の営み』が螺旋状に続いて行く、という考えに行き着いたのです。厳密に言えば『永遠』というものは無いのかも知れませんが、それに繋がるきっかけとして夜明け・光・雨・風・雲・波・星々・夕暮れ・星空その中の『人間』というものが思い浮かび上がってきました。」

『・・・永遠は、私たちの思い込みの幻想なのでしょう。
ビッグバンが起こり、全てが破壊されてしまうが、この宇宙さえも永遠ではありません。今回の舞台では「永遠に見ていたいもの。」「永遠に聞いていたいもの。」「永遠に感じていたいこと」
これが「永遠であれ」と願うものが表現されていれば、お客様は、舞台の現象から、永遠を感じてくれるのではないかと思ったのです。』

この作品では、従来の太鼓芸能表現だけではなく、そこに「音楽」としての感覚を兼ね備えて、普遍的に存在する森羅万象、つまり、自然界の美、夕日、朝日、海、空、雨、心地よい風、さざ波、星空、など・・を楽しく、美しく、純粋に表現できるようにと、鼓童メンバーたちの深遠な感性 と個々の技量を求められた舞台となりました。

『混沌』(2015年)

『混沌』ではドラムセットを3台購入し、鼓童メンバーが演奏するという驚くべき事態になりました。私自身は芸術監督の見識を信頼していましたが、多少ドラム演奏の経験がある鼓童メンバーはひとりしかいませんでしたので・・・
さすがに・・・ドラムセット3台は・・・本当に可能なのかと、・・・
と半信半疑でした。

しかし、
「混沌から融合へ、それは宇宙の成り立ちを考えれば当然のことですし、人間の心自体が混沌とした中に浮遊しながら存在するのかも知れません。混沌とした中から融合が見出され、そしてまた混沌として散らばって行く…。」という芸術監督からのメッセージを辿りながら、

構想から3年かけて、元ブルーハーツのドラマーの梶原徹也さんの強力なご指導を仰ぎながら、鼓童流のドラム稽古が始まりました。

「ティンパニー、ドラムセットはもちろんのこと、和太鼓も西洋打楽器も含めて、すべて打楽器であることにはまったく変わりがないという」玉三郎さんの揺るぎない考え方のもとで、なんとタイヤも楽器になりました。

新しい楽器へのチャレンジと、西洋楽器ドラムの鼓童的打法(太鼓打ちのドラムという新しい音)の発想は「世界一の打楽器奏者を目指してほしい。上質な舞台人であって欲しい」という芸術監督の言葉のように、音楽的な広がりのある作品づくりのために必要なステップだったのだと思います。

私は2018年4月から始まった〈NOVA〉のものづくりを通じて、演出家のロベール・ルパージュ氏が掲げたビックバンから生命体が誕生し、破壊され、再生していくという人類の普遍的なテーマと、玉三郎さんの「永遠」「混沌」の目指すテーマが重なり合っていたことに気づき、のちのちとても驚きました。

『螺旋』(2016年)

『螺旋』は玉三郎さんに演出していただいた鼓童単独舞台『鼓童ワン・アース・ツアー スペシャル〜佐渡へ』『打男』『伝説』『神秘』『永遠』『混沌』に続き7作目の作品で、玉三郎さんにご指導いただいた16年間の集大成ともなり、創立35周年の記念すべき舞台となりました。

2012年より芸術監督としてのご指導を受けながら、伝統とは革新の連続であるからこそ生き残ることができるということを実感させていただいた日々でした。

 

━2021年、鼓童は創立40周年を迎えます━

鼓童創立40周年記念公演企画