山野實さんへ、感謝を込めて/藤本容子
「佐渡の國鬼太鼓座」時代から「鼓童」の歴史をたどる中で、グループとしてまた個人として、どれほどの愛情と応援をいただいてきたことか、山野さんは言葉に尽くすことのできない私たちの恩人です。
個人としては、自分が一番にその恩恵を受けた者と思っている私ですが、きっと、他にもそう思うメンバーがいっぱいいることと思います。

1990年代、鼓童村にて。
山野さんと初めて出会ったのは、1976年「佐渡の國鬼太鼓座」東京事務所でした。東京事務所は、創設者・田耕氏の仕事場であり、旅の途中のメンバーの宿泊場でした。初めての「佐渡の國鬼太鼓座」海外ツアーを前にして、その期間、留守番のアルバイトをしないかと田さんに誘われて事務所に通うことになりました。その中で、東京のあちこちを車で回りながら仕事をされていた山野さんが、ちょくちょく立ち寄られて、次第に親しみが増していったのでした。
1976年12月15日、私は、山野さんと母に見送られて、上野駅から佐渡へと旅立ちました。「容子さんは、3ヶ月持たないでしょう(笑)」と山野さんに言われ、それから毎月、「まだ帰ってこないの?」との電話が繰り返されました。ついに私が怒ってそれは終わりましたが、そんな憎まれっ子を演じながら、きっと私の元気を確認して母に伝えてくれていたのだと思います。本当に、それからも様々に案じ続け、手を差し伸べ続けてくれた山野さんでした。

1970年代、鬼太鼓座時代の集合写真より。後列中央が山野さん、左隣が容子。
私の声のワークショップ「Voice Circle」を始めることができたのも、それを続ける道筋ができたのも山野さんのおかげです。また、唄で悩んでどん底のとき「1人の人が私の歌を愛してくださるなら、私はこれからも歌い続けてゆくことができる」との思いが生まれ、立ち直らせてくれたのも山野さんでした。
「花結」やソロ活動で海外に行く時には、長年収集されていた切手、と大入り袋をたくさん持たせてくださって、そこには山野さん自身の、会うこともない現地の方々への、「この子等を招いてくださってありがとう」のお礼の気持ちが込められていたのではないかと、今にして思う私です。

2000年12月、KODO{01}(ゼロワン)公演ツアー。おそらく東京から仙台への移動の車中。
山野さんは、日本の東西南北いたるところ、数えきれないほどの公演会場に足を運んでくださいましたが、それは佐渡についても同じで、ある時、山野さんと一緒に数えたところ、来島回数はなんと100回を超えていました。奥様もお嬢さんも、鼓童を応援してくださっていたのですが、それにしても、この時は本当にご家族のことが心配になりました。
奥様とお嬢さんには、感謝でいっぱいです。
山野さんの、長きにわたる全身全霊の励ましを受けて、鼓童は幸せ者でした。
私が最後にお会いしたのは2019年11月。コロナ感染が始まってからは、お会いできないままになってしまいました。
今年8月、ご無沙汰のお詫びと、長年の感謝を表したいと思い、山野さんが大好きだった吉利・容子の「貝殻節」が、鼓童の若者たちとの合唱となって収録されたCD「鼓童撰集II 」。そして、2022年アースセレブレーションでの吉利と2人の「貝殻節」演奏のDVDを合わせて、ご自宅に送らせていただきました。まさか、それが最後になるとは思ってもいませんでした。
山野さん、本当に、ご無沙汰ごめんなさい。せめてこの「貝殻節」が、吉利と私だけでなく鼓童の感謝の声として、山野さんの魂に届き、その響きが山野さんの冥土の土産となって、あの世への道すがらを慰めるものとなりましたように。
山野さん、これまで、本当にありがとうございました。山野さんとの語りきれないいっぱいの思い出を、人生の励みとしてまいります。これからは、空からの光の中に、山野さんの応援メッセージをみつけてゆきますね。またいつの世にか、きっとどこかで親しく出会うことを、楽しみにしています。きっとです!
感謝⭐️合掌。
山野實(やまのみのる)さん
鼓童の前身の「佐渡の國鬼太鼓座」の草創期に、マラソンが縁で出会う。
以来、佐渡はもとより公演先などに神出鬼没に現れて、鼓童を見守り続けてくださいました。2024年10月4日、90歳でご逝去。
鼓童×三宅島芸能同志会〜浅草特別公演2024 とこしえ/北林玲央
只今、浅草特別公演2024 とこしえ公演の為浅草に向かっているバスの中で記事を書いております。
公演から遅くなってしまいましたが改めまして6/1南大沢公演、6/2横浜公演無事に終演いたしました。
ご来場いただいた皆様、本当にありがとうございました。
公演が終わり、間も無く1ヶ月になりますがいまだ、身体の中にその余韻があります。
普段はツアーでの公演で連続の公演は慣れているのですが、この二日間で全てを出し切り数日身体が動きませんでした。。笑
どのシーンも胸が熱くなるような瞬間ばかりでしたが、やはりシンプルに太鼓1つに打ち込んで行く面白さを舞台上でも、袖にいても感じることができるのはこのプログラムの最大の醍醐味だなと思います。
1つの太鼓を回し打ちしているシーンでは、明らかに1人1人の音が違う。シンプルゆえ太鼓の面白さを感じることができるのを初めて観る方々にもお伝えできたのではないかと確信しております。
公演の演目の中に鼓童から1人同志会さんから1人の2人で演奏するシーンが3つあったのですが、私は同志会の秀紀さんと叩かせていただきました。
同志会の皆様とは公演の二日前までリハーサルはなく、映像のやり取りで演目を練り上げておりました。
作っていく中でフレーズをお伝えする難しさなどあるのではないかと思っていたのですが、とても良く理解してくださってており、ここまで同志会の皆様と鼓童が培ってきた信頼を感じることができたのがとても嬉しかったです。
この公演で更に三宅島芸能同志会の皆様のファンになってしまいました。。
毎公演進化していく同志会×鼓童公演。
次も更に成長できるよう打ち込んでいきます。
次は2024.7.14(日)石川県白山市白山市松任文化会館ピーノにて共演いたします!
また同志会の皆様にお会いできるのが楽しみです。
間も無く浅草に到着いたします。
今年も浅草にお伺いできる事、とてもありがたく、楽しみです。
鼓童での作品作りは1年以上時間をかけて作るものがほとんどで、いつも間に公演があったりするのですが
こちらの稽古も途中、私は同志会の皆様との公演があったり、ワン・アース・ツアーでの公演があったりするメンバーがいる中で、音を合わせてきました。
皆毎回音が変わっていて、それぞれに旅をしながら培ってきているものがあるんだなと改めて感じながら稽古を楽しんでおりました。
今回は演出の順康を筆頭に、鼓童の既存の曲を見直したり、各地の芸能を改めて習いに行き自分達で時間をかけて噛み砕いて身体に入れてきました。
目まぐるしい毎日でも足元を凝視するほど見つめ、また時には後ろに下がったりもしながら皆で前進してきました。
私自身も新曲への挑戦もさせて頂きましたので、是非楽しんでいただけたらと思います。
また劇場でお会いできるのを楽しみにしております!
北林玲央
浅草公演「とこしえ」【チケットに関するご案内】
チケットは一部日程で販売終了している回もございますが、以下のプレイガイドよりお買い求めいただけます。
いずれの回も残席僅かですので、ご検討中の方はお早めにお買い求めくださいませ。
■チケットぴあ
https://t.pia.jp/pia/ticketInformation.do?eventCd=2339446&rlsCd=001
鼓童✖️三宅島芸能同志会/北林玲央
鼓童✖️三宅島芸能同志会
昨年に続き、今年も成田太鼓祭の『成田山千年夜舞台』に三宅島芸能同志会の皆さんと参加しました。
個人としては高校生の時、お客さんで来た以来の成田太鼓祭。
天候にも恵まれ今年は成田山新勝寺の大本堂前で演奏する事が出来ました。
私は昨年の「成田太鼓祭」に参加していなかったので、昨年の成田太鼓祭から「祭音」ツアーを経て出来上がった “同志会の皆さんとの空気感についていけるか”という不安と、”ただただ楽しみ”という気持ちが入り混じっていました。
いざ始まってみると、その全てを吹き飛ばすかのような音の凄みと人としての凄み、そしてお客さんの熱気。
それらに身を任せながらも、一瞬でも気を抜いたら自分という存在をかき消されてしまうような重圧を感じながら打ち込みました。
たったの一打に全てを込める。
その先の進化を常に追い求めていきたいと強く思いました。
そして、このご縁のなかで6月2日に、私の地元の神奈川県横浜市栄区「栄公会堂」での公演が決定しました!!
昨年、私は「祭音」ツアーのキャストではなかったのですが、昼休み中の鼓童村での練習に参加していた事が(三宅島芸能同志会の)津村和宏さんの耳に入り、その後「三宅」の個人稽古をつけてくださったり、一緒に身体のメンテナンスに行ったり、とても気にかけて下さいました。その中で、地元での公演を提案してくださり、実現に至りました。
栄公会堂は学生時代入っていた地元の太鼓グループが演奏する際や、学校の合唱コンクールなどでいつもお世話になっていた、想い出深い場所です。
そんな場所でまた同志会の方々と、そして鼓童のメンバーと音を出せる事がとても楽しみです。
自分を育ててくれた場所に「一打の凄み」をとどけにいきます。
先輩方、どうか胸をお借りします。。。
皆様のご来場、心よりお待ちしております。
2024年6月2日(日)
鼓童×三宅島芸能同志会 横浜公演(神奈川県横浜市)
研修所講師ご紹介 〜民謡歌手 伊藤多喜雄さん /三浦友恵
研修所講師の方をご紹介します。
今回は、民謡歌手の伊藤多喜雄さん。鼓童の舞台で唄われている民謡も多喜雄さんから教えていただいたものもあります。昨年12月も、研修生へご指導いただきました。
『鼓童との出会いは?』
今から36年前に千葉県海上郡飯岡町(現在:旭市)において開催された「音と光の芸術祭」で永六輔+伊藤多喜雄+鼓童が共演したことで出会いました。
鼓童へは2003年からご指導に来ていただき、その時は舞台メンバーと研修生への集中稽古でした。
近年は研修生への集中稽古。いつもパワフルなご指導をいただいています。
『最初に指導に来られた時の印象や記憶に残っていることはありますか?』
民謡を知らない、歌えない、声が出ない出せない。
『研修生の指導の内容は?』
自分の声を見つける。唄の背景〜感じること。研修生同志の特徴、癖を知り共有する。
多喜雄さんに歌っていただきながら、節まわしや小節などを研修生は真似をして覚えていきます。真似をすると言ってもそう簡単にはできません。多喜雄さんが身を削りながら、一つ一つ丁寧にできない研修生に向き合ってご指導くださり、唄を通して、その子のことをみてくださっています。
もう一つ、多喜雄さんの稽古で欠かせないものが心です。研修生と真剣に向き合ってくださり、研修生の心も開いてくださいます。歴代の研修生の中には、夜通しで話を聞いていただいた者もいるそうです。
『研修生へ指導を通して思うこと、伝えたいことは?』
歌うこと、声を出すことの必要性。歌いたい心、伝えたい唄を自分の声で。
太鼓が歌う、太鼓も唄う。
【伊藤多喜雄(ITO TAKiO)プロフィール】北海道苫小牧出身
札幌のよさこいソーラン祭りはもとより、今や世界中で踊られている「3 年B 組金八先生」で知られた南中ソーラン「TAKiO のソーラン節」の生みの親。祖先が残してくれた日本人の血の中にある 民謡 を“”民俗、国を超えてその素晴らしさを伝えたい、生の演奏で感動を共有する事で、日本の文化を世界に向けて発信して行きたいと活動している。音楽の原点である自由な捉え方で、洋楽器と共にアレンジし、TAKiO BAND の演奏で唄い、表現し伝えるTAKiO ワールド。一見民謡とは接点が有るとは思えない様々なジャンルのミュージシャンと共演し活動を展開、民謡の復活へ向けて独自の場を切り開いてきた。唄を通して、地域の活性化を図るため日本各地の町おこしにも関わりを、唄探しの旅も積極的に行っている。北海道観光大使として、上海万博、ミラノ万博にも出演、日中国交記念事業にも出演、ベトナムとの国交記念に、「日越平和音頭」「日越友好ばやし」を作詞・作曲する、ジャパンベトナムフェスティバルでは、現地で毎年「盆踊り」として親しまれ踊られている。(公財)日本民謡協会文化賞、川崎市の文化賞受賞、他多数、川崎市民文化大使として、地域の活性化を図るためにも活動している。