10月17日「祭音〜MATSURINE 2021〜」に向けて/住吉佑太

太鼓というのは、打てば響く、シンプルな楽器です。

だからこそ、表現の幅は無限大ですし、その全てを受け止めてくれる楽器でもあります。音楽としての太鼓を考えるとき、「太鼓じゃないといけない理由」を、よく考えます。

太鼓のもつ歴史的背景が、インスピレーションのきっかけになることもあれば、もっとフラットに、楽器としての特徴を活かした音作りを目指すこともあります。

様々な太鼓の可能性を模索していく中で、やはり西洋的な音楽観だけでは、測り切れないものがあると強く感じています。

音楽性というものを超えて伝わってくる、音以外のバイブレーション。
太鼓を一打鳴らす。

たったそれだけの行為から、打ち手の全てが立ち上ってくるような。今回の祭音公演では、私が演出・構成を担当させていただきます。

まだ私が入団1年目の頃、2回目の開催となる祭音に初めて参加しました。

同志会の皆さんの一打の重み。

あの衝撃は、いつ見てもハッとさせられるものがあります。

この夏には、見留知弘鼓童在籍30年記念公演「軌跡」でも共演させていただきました。「三宅」を通して、同志会の皆さんと鼓童が共演する舞台、祭音。

今回は、いつもとはまた違った角度から、両者がクロスオーバーするシーンも作れたらと思っています。同志会、鼓童という肩書き以前に、一人の打ち手として、表現者としてお互いが太鼓に向き合い続けてきた中から、湧き出てくるものを詰め込みます。

一夜限りの魂の舞台、お見逃しなく!!

2021年10月17日(日)鼓童出演「霧島市民会館自主文化事業『祭音〜MATSURINE 2021〜』」(鹿児島県霧島市)

 

ナユタ/中込健太

外では
雨が強く、
降っていて
まいにち
波は消えることなく
毎日打ち寄せる
カエルは
闇夜に向かって叫ぶ
鳥が人見て笑い飛ばす
都市が生きるための
音が聞こえる

モノの
ふるえが
世界の有様

幽けき
那由多の
響きを
聴くがため
蚤は
旅する


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中込健太&住吉佑太「ケンタタクユウタタク」プロフィール

NAYUTA

ケンタタクユウタタク2ndアルバム

デジタルリリースと共にカセットテープでのフィジカルリリース。カセットは100本限定!

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NAYUTA/住吉佑太

ケンタタクユウタタク2ndアルバム「NAYUTA」
デジタルリリースと共に
100部限定!カセットテープでのフィジカルリリースが決定!!

住吉佑太よりコメント

今作では、フィールドレコーディングを多用しています。

ありふれた音を見つめ直し、時にそこに身を置いて、自分たちの中から湧き出てくるものを形にしていきました。

いつものように、スタジオでマイクを立てて録音するのではなく
あらゆる環境の中で音を作っていくその過程は
音楽というものを捉え直すきっかけとなりました。

Photo: Kenta

どこからが旋律なのか。
どこからがリズムなのか。

音程感や拍子感にとらわれない
もっと大きなうねりを感じてみたくなりました。

 

音から想像する。
音を創造する。

そんなことを何万回、何億回、何那由多回も繰り返しながら
僕らの音楽は常に変化していきます。

カセットテープでのフィジカルリリースについても
音楽と向き合う環境を変える、小さなきっかけになるといいなと思っています。
様々なストリーミングサービスで、なんでも聴ける時代だからこそ
「ちゃんと聴く」という行為を、能動的に選択して、僕らの音に向き合ってもらいたい。

デジタルでは絶対に再現できない、アナログ特有の質感や
デジタルとの音質の違いも楽しんでいただければ幸いです。

集めたくなるデザインにもご注目。

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中込健太&住吉佑太「ケンタタクユウタタク」プロフィール

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鼓童メンバー・オリジナルマグネットプレゼント企画第二弾スタート!

オリジナルマグネットプレゼント企画第二弾スタート!

こんにちは鼓童オンラインストアです。鼓童オンライストアをご利用の方にもれなく、非売品オリジナルマグネットをプレゼントします!

三枝晴太が企画し、鼓童メンバー4名にそれぞれデザインをお願いしました。

第一弾が終了し、第二弾は前田順康がデザインしたこのマグネット。

第四弾まで準備していますのでどうぞお楽しみに!

鼓童オンラインストア
Tel. 0259-86-3630
http://store.kodo.or.jp/

「アース・セレブレーション2021・クラウドファンディング」実施中!/本間康子

EC2021「ハーバーライブ」をインターネット配信「ZAIKO」でご視聴いただいた皆様、ありがとうございました。
さらに多くの方にご覧いただき、これからのECを支えていただくことを目的に、クラウドファンディングを9月10日まで実施中です。

8月上旬に「無観客・インターネット配信のみの開催」に変更が決定してから、クラウドファンディングの実施を決定し、急遽作業をスタートしました。
プロジェクトページを公開できたのは、ECの本番前夜、8月20日の夜7時過ぎ。

スタートから5日間で、ご支援額は100万円を超えました。本当にありがとうございます!

今年34回目を迎えたECでは、これまでにも様々な名場面や、素晴らしいライブがありましたが、今年の「ハーバーライブ」も屈指の名演となりました。

もしも、ZAIKOでの視聴方法がわからず見逃してしまったという方がいらっしゃったなら、それは本当に残念だと思いましたので、できるだけ多くの皆様にご覧いただきたいと、別の方法でご覧いただける「リターン」をクラウドファンディング内にご用意しました。

ご支援いただきますと、アカウントを作成することなく、通常のブラウザでハーバーライブが1ヶ月間ご覧いただけます。
そして、すでにZAIKOで見たけれど、また見たいなあと思われる方もいらっしゃるはず!
そんな方ももちろん大歓迎です!

皆様からの応援、よろしくお願いいたします!

8月21日「見留知弘鼓童在籍30年記念公演『軌跡』」より三宅島芸能同志会・津村明男氏と見留知弘

8月21日「見留知弘鼓童在籍30年記念公演『軌跡』」よりヒダノ修一氏と見留知弘

8月22日「鼓童オールスタースペシャルライブ」より

 

寄付の使途について

目標金額の200万円は、コンテンツ制作のための人件費+配信するための経費の不足分をまかなうためのものです。
クレジットカードの決済手数料等の必要経費を差し引いた金額を、鼓童文化財団よりアース・セレブレーション実行委員会へ入金いたします。

 

クラウドファンディング・プロジェクトページ

「アース・セレブレーション2021」を応援お願いします!~Please support Earth Celebration 2021!~

■目標金額:200万円
■受付期間:9月10日(金)まで

リターンのお届け時期について

  • お礼動画・ライブ動画(リンク):
    9月初旬より順次メールにてお届け
  • Tシャツ:
    国内:9月中に宅急便にてお届け
    海外:9月中にEMSで日本から発送
  • サイン入りポスター:
    国内・海外とも:9月中旬に郵送

上記の予定でお届けするべく、準備を進めております!

鼓童の提供楽曲

こんにちは、鼓童です。

鼓童では2019年から「鼓童の提供楽曲」という企画をスタートさせました。「いつでも、どこでも、だれとでも もっと自由に」をコンセプトに、鼓童がつくった曲をたくさんの皆さんに演奏して楽しんでいただけるよう、権利関係をできるだけシンプルにわかりやすく、演奏映像や楽譜のダウンロード※1を無料でお届けしています。皆様が発信した演奏動画は鼓童のオフィシャルサイトでシェアさせていただき、ひとつの曲をもとに音や人とのつながりが無限にひろがっていくことを一緒に楽しみたいと願っています。
※1 ダウンロード実績:日本、ブラジル、シンガポール、ニュージーランド、イギリス、アメリカ、インドネシア、中国、ハンガリー、スペイン、オーストラリア、ドイツ、アルゼンチン、ベルギー、イタリア

鼓童の活動の継続には皆さまのご支援が大きな支えとなっています。

皆様のご期待にお応えできますよう、太鼓を通して私たちができることにこれからも取り組んでまいります。引き続きご支援のほどどうぞよろしくお願いいたします。

◆◆◆

ひとつの地球をめざし、様々な舞台を携えて旅をする、鼓童の公演活動を応援してくださる「ワン・アース・ツアー支援」。

人材の育成、国際交流、太鼓の力を社会の力につなげる鼓童文化財団の活動を応援してくださる「一般寄付」。

鼓童の舞台を夢みて、太鼓と自分に向き合う研修生を応援してくださる「研修生育成支援」。

◆◆◆

鼓童の提供楽曲についてはこちら。
↓↓↓
https://www.kodo.or.jp/about/teikyo-gakkyoku

ご支援の詳細についてはこちら。
↓↓↓
https://www.kodo.or.jp/total_support

 

8月1日オリジナルマグネットプレゼント企画スタート!

こんにちは鼓童オンラインストアです。

8月1日より、鼓童オンライストアをご利用の方にもれなく、非売品オリジナルマグネットをプレゼント!

三枝晴太が企画し、鼓童メンバー4名にそれぞれデザインをお願いしました。

第一弾は山脇千栄がデザインしたこのマグネット。限定数が終了したら第二弾のデザインを発表します。第四弾まで準備していますのでどうぞお楽しみに!

鼓童オンラインストア
Tel. 0259-86-3630
http://store.kodo.or.jp/

赤嶺隆さんへのメッセージ

今年3月18日にイギリス在住のスタッフ、赤嶺隆さんが亡くなられました。
赤嶺さんを知る方々、そして同時代を過ごした仲間からメッセージをお寄せいただきました。その一部を、鼓童のメンバーやスタッフのメッセージとともにご紹介させていただきます。

メンバー篇

藤本吉利

赤嶺ちゃんとの思い出〜忘れられないこと

(その1)1987年1月1日、鼓童代表だったハンチョウ(河内敏夫)が事故で亡くなり、東京での葬儀後すぐに北米公演ツアーに旅立った。赤嶺ちゃん、初めてのツアーマネージャーだった。その時、私はツアーの代表責任者になった。とても辛い旅であった。ツアーの途中に彼が私に鼓童をやめたいと言ってきた。私はその時なんと話したかは忘れたが、頑張ってもらいたいというようなことを話したんだと思う。彼がいなければ、このツアーは成立しなかったと思います。

(その2)2000年10月、小澤征爾さんを通してのご依頼で、ボストンシンフォニーホール100周年記念コンサートに私は赤嶺ちゃんと2人だけボストンへ。平胴大太鼓も空輸して、ふんどし姿で大太鼓の演奏をした。これも、彼がいてくれたから出来たこと、忘れられないです。

(その3)1995年、私と容子は鼓童村の近くに我が家を建て、10年間住まわしてもらっていた椿尾の茅葺き屋根の古い家から引越しをした。その時、赤嶺ちゃんに引越し作業の手伝いを頼んだら、快く引き受けてくれて、私と2人して大荷物を運んでくれました。

本当にありがとう。赤嶺ちゃん。いつでもどこでも、本当に心優しいジェントルマンでした。

1987年のワン・アース・ツアー(撮影:富田和明氏)

小島千絵子

シマンチュの 深い情け、熱き思いを持ち イギリス紳士の ウィットと礼儀正しいナイトぶり
丁寧で優しい口調で、人の道理を説いて、幾多の困難なツアーの先頭に立ち、私達を守って導いてくれた人
尽きない思い出。
ありがとう赤嶺ちゃん❣️

(撮影:太田順一氏)

小平一誠

海外ツアーの時や、鼓童村にいらした際にお会いした時、いつも嬉しい気持ちになりました。
穏やかな口調の中にある熱い思い。と同時に、太陽のようなあたたかさ。忘れません。
もっと、一緒にツアーをまわりたかった。もっと沢山お話しを聞きたかった。これからも思いを胸に、太鼓の音を、鼓童の音を、世界中へ届けて参ります。見守っていて下さい!

楽屋でモニターを見つめる赤嶺さん(撮影:西田太郎)

 

石塚充

赤嶺さんからは、鼓童の一員としての心構えも、舞台に立つ者としての覚悟や気概も、社会人としてのマナーも、人間として大切なことや愛情も、ありとあらゆるすべてのことを教えていただきました。
新人の頃から本当にたくさんの言葉をかけていただき、今でもその言葉に背中を押されて頑張れることがたくさんあります。

「僕が本当に素晴らしいなと感じる舞台人は皆、まず人の言葉をきちんと聞ける人なんだよ」
「どんな時でも必ずお客様は待っていますから。それを忘れないで下さいね」
「もっと行けるぞ、怯むな!行けっ!充!!」

いつでも僕たち演奏者のことをいちばんに考えてくれていて、旅先でなにかトラブルがあれば僕たちのために、いつでも烈火のように怒って下さっていた赤嶺さん。
誰よりもお客様のことを大切に思っていて、僕らが少しでも努力を怠ればいつでも厳しい言葉で背中を押して下さっていた赤嶺さん。
若者ににたらふく食べさせるのが大好きで、いつも「僕はこれもこれも全部ひと口だけ食べたいんだよ」と言ってたくさんの料理を注文して下さって、僕たちが食べるところをニコニコ眺めていた赤嶺さん。

僕たちもっともっとがんばります。
いただいたたくさんの言葉と愛情と厳しさは、一生忘れません。

2006年ヨーロッパツアー(撮影:西田太郎)

富田和明さん(1989年までメンバー)

コベントガーデンの石畳の上で正座をして、目を閉じて三味線を弾いていた時、雨粒が頬を叩いて弾くのを止めました。
片付けて建物の下に移動すると、声を掛けてくれましたね。

1984年4月15日、日曜のお昼過ぎ‥‥‥
それが赤嶺くんでした。

それからアパートへ行って、紅茶を頂きながら鼓童がどれくらい好きなのかという話を聞きました。

そんな赤嶺くんが鼓童に入って、旅をしながら楽しい時間をたくさん一緒に過ごしたこと、忘れることができません。
赤嶺くんは、僕がどんな僕になろうと、いつもやさしく包み込んでくれましたね。

本当に、ありがとう。

コベントガーデンで三味線を弾く富田和明さん(写真提供:富田和明氏)

富田さんが初めて会った日の赤嶺さん(撮影:富田和明氏)

 

スタッフ篇

青木孝夫(株式会社北前船 取締役会長)

1984年〜1985年頃のロンドン公演時に「公演会場の一番前の席で目を爛々と輝かせて観に来てくれた日本人がいた。」と、のちのち、鼓童初代代表の河内敏夫(愛称:ハンチョウ)が言っていたことを思い出します。 この日本人とは、当時ロンドンに留学していた英語力堪能な沖縄浦添出身の赤嶺隆さんでした。

このご縁により、ハンチョウがひとりで切り盛りしていた海外公演の交渉等は1986 年より赤嶺さんが制作スタッフに加わってくれて、海外公演の強化を図ることができるようになりました。 さらに、1987年1月のハンチョウの急逝により、海外公演に向けての交渉ごとは赤嶺さんの提案や助言なくしては成り立ちませんでした。

そうして、鼓童を応援してくれている方々との誠意を尽くした人脈づくりやエージェントとの丁寧な交渉ごとなど、愛情深く、コツコツと信頼関係を築いてくれたおかげで 鼓童グループは海外公演ツアーを定着できるようになりました。 それは赤嶺さんの多大なる功績の賜物です。

本当に心から感謝しています。

『コロナ禍』という甚大な試練を乗り越えていくために、 この赤嶺さんの功績(チカラ)を糧にして 鼓童グループが新たな生命力を甦らせていく姿を・・・ 空の上から・・・見届けてもらいたいと・・・心から願っています。

2015年3月のニューヨークでの、僧太鼓の皆さんなど長年の友人と共に撮った写真が、赤嶺さんと私が一緒に写っている最後の1枚になってしまいました。
Akamine san arigatou!!!
A lot of people look up to you forever.

2015年ニューヨークにて。赤嶺さんと青木(右から2人目)

秋元阿実(鼓童文化財団)

2019年春、赤嶺さんと出会ったのは深浦学舎のキッチンでした。

私がオーストラリアから佐渡に移住し、同じ時期イギリスから佐渡に赤嶺さんがいらしていた時でした。
海外から来ている鼓童スタッフ3人がキッチンに集まり、パンが焼けるのを待ちながらコーヒー片手に今まで鼓童のツアーを回ってきた冒険のような素敵な日々について話してくださる時間が朝の日課でした。
2020年、赤嶺さんが私に語ってくれた夢の一つ、ブルージュ(ベルギー)での鼓童と南アフリカの方たちとの共演が実現。目を輝かせ、背中からでも興奮が感じられました。
ツアー中、夜のバーでビール片手に夢の続きを語る姿はまるで佐渡の深浦学舎で経験したあの時の日々のようで、その熱量はキッチンに居たときと何も変わらず、実際に体験できた事は私の中で最も幸せな思い出です。

赤嶺さんが鼓童や私たちに残した功績はこれからも色々なシーンで私たちの力となり、魅了し続けてくれることでしょう。

2020年ヨーロッパツアー。ブルージュでのリハーサル(撮影:秋元阿実)

新井和子(株式会社北前船)

赤嶺さんとの思い出は98年の欧州ツアーと99年の北米ツアーを一緒にまわったことです。
「This is a present for you!」などといって、子供にTシャツをあげちゃったりするので、「数があわなくなるから、ちゃんと報告してください!」など、文句をいったりしながら、大変だったツアーを一緒に旅できたことは私の財産になっています。

赤嶺さんは、会場のクルーや照明さんといった舞台の裏方さんたちに好かれる鼓童メンバーを誇りに思っていました。
自分たちで黙々と準備をして、常に謙虚で、舞台に対して真剣で、そういう人たちの集まりである「鼓童」が大好きでいてくれたのだと思います。

とても著名な方との共演で赤嶺さんと吉利さんとでご挨拶にいった時の話をしてくれたことがありました。
「ご挨拶が終わって、こちらを向いていないその方の背中に向かって、吉利さんは深々と礼をしたんだよ」と。
その話をしてくれた時、赤嶺さんは涙ぐんでいました。

赤嶺さんが好きでいてくれた「鼓童」、大事だと思ってくれていたこと。
なくさぬようにがんばっていきますので、これからも一緒にいてくださいね。

1998年ヨーロッパツアー。野外フェスティバルの会場にて(撮影:今海一樹)

梅垣晶子(株式会社北前船)

赤嶺さんとは、ご病気の宣告される前日まで、毎日のようにスカイプミーティングをしていました。中国や中東、南アフリカなど、鼓童が足を踏み入れてから日が浅い国々をどのように開拓するかということから、これまでの海外公演のお話、最近見た映画や読んだ本など、よもやま話を含め、世界の変遷の中で、鼓童が何を出来るか、ということを赤嶺さんはいつも考えていました。そして、そんな話をするときの赤嶺さんの目は、いつも子供のようにキラキラ輝いていて、真の童だなぁ、と思っていました。

そんな赤嶺さんが急に逝ってしまい、その存在の大きさを思い知らされる日々が今も続いています。残念ながらもう直接、お話することは出来ないですが、赤嶺さんの言葉は今も私の中で生きている、と感じることが多々あります。

何かの選択や判断に迷ったときに、ふと赤嶺さんの言葉が蘇ってきたり、見えなくてもぽんと背中を押してくれたり、そっと進むべきみちを示してくれたり、、、。
赤嶺さん、お話できなくてとっても寂しいですが、これからも、ずっと見守っていて下さいね。

2019年4月、香港にて、現地のエージェントのCKさんと。(撮影:梅垣晶子)

本間康子(鼓童文化財団)

半年違いで鼓童に入り「ほぼ同期」の赤嶺さん。
共に旅したのは国内ツアーが多かったですが、海外のツアーも何度か一緒に回りました。
1996年にキューバとドミニカに特別編成で行った時のことです。
そのツアーでは日本からの移民の方々にお会いする機会がありましたが、なかでも沖縄出身の方と出会った時の赤嶺さんの表情には、格別の思いが込められているように感じました。
そんな中、赤嶺さんから撮ってほしいと頼まれた一枚がこのツーショットです。

(撮影:本間康子)

キューバの旧市街でのデモンストレーション(撮影:赤嶺隆氏)

石原泰彦(鼓童文化財団)

私が、研修所の仕事に携わるようになって25年。道に迷いそうになった時、赤嶺さんはいつも大事な言葉を渡してくださいました。

(赤嶺さんは、直接の研修所のご担当ではありませんでしたが、鼓童塾や映画鑑賞の時間など、折に触れて研修生に向かい合ってくださいました。)

研修所の担当になってまだ日が浅い頃、周りから「鬼軍曹になれ」と言われ、研修生に厳しく向かい合った結果、どんどん距離ができていった時。思い悩む私に赤嶺さんが私にくださったのは、「信念」という言葉でした。そこに信念があるか。そう自らに問いかけながら、研修生に向かい合い続けています。

また、ある時期研修所が乱れ、このままでは稽古もできないと先が見えずにいた時。今度は「水に流す」という言葉をくださいました。前に進むために「ゆるす」ということ。「ただひとつ、方法があるとしたら」と言って、この言葉をくださいました。当時の私には受け止めきれない言葉でしたが、今、もう一度その言葉をかみしめています。

赤嶺さん。これからもいただいた言葉を胸に、鼓童の太鼓の響きを繋いでまいります。空の上でその響きを聞きながら、どうかあの熱く穏やかな目で私たちを見守っていてください。

(撮影:西田太郎)

洲﨑拓郎(株式会社北前船 代表取締役社長)

1997年に舞台を降り、音響の勉強を始めてすぐの翌年、ヨーロッパで2ヶ月ほど学びながら鼓童の野外公演音響のオペレートをする機会を頂きました。右も左も判らない私を、赤嶺さんは応援し続けて下さいました。そしてその後、様々な新しい挑戦にご一緒させて頂きました。 赤嶺さんのお陰で、得がたい多くの体験ができました。赤嶺さんの粘り腰の挑戦魂、人のご縁を大切にする姿勢を学びました。そしていつも「ちばりよ〜」と励ましていただきました。

一緒に取り組ませて頂いた最後の挑戦は、南アフリカの方々とのコラボレーション。2020年にベルギーでの共演は実現しましたが、アース・セレブレーションへの招聘は新型コロナ禍の影響を受け、まだ実現できていません。宿題を預かったと感じています。いつか必ず実現させましょう。 赤嶺さんから最後に頂いたメールも「ちばりよ〜」で結ばれていました。いつか空の上で再会できたときに、いつものように冗談を言い合いながら「頑張りましたよ」と報告出来ることを楽しみにしています。

2020年ベルギー、ブルージュのホテルにて(撮影:洲﨑拓郎)

 

島崎信(鼓童文化財団 特別顧問)

たかしが逝った。赤嶺隆君が亡くなった。
あまりにも突然に。あまりにも急に。
あまりにも足早に。どうしてそんなに先を急いだのだろう。
失なったことは大きく、悔しい、残念だ。
私にとって大切な友の一人だった。

沖縄に居を移して、お父上の介護の為に鼓童を辞めると聞いて、私は「全体会議」の皆の前で、ごく自然と思いの丈が声となった。 「鼓童は君が辞めるといっても手放さない。沖縄に住んでいても君との縁は細い一本の糸ででも結び続けていたい。そして、いづれは又鼓童にもどって来てもらいたい。」これは私の心からの願いだった。
後日、君は鼓童に戻って来てくれた。私は嬉しかった。

君とは佐渡の鼓童村や宿根木だけではなく、沖縄でも、ロンドンでも、エジンバラでも、そして東京でも実り多い時間を共にすることが出来て幸せだった。 鼓童の海外での活動の根底を組立て支えてくれた努力に、何も報いることが出来なかったことは残念だった。

大切な友人を失ったが、私の心の中には、温厚で、控え目で、細やかな気配りを、にこやかな笑顔でみせてくれている、赤嶺隆君がいつも居てくれるのは嬉しいことだ。

2004年新年の集合写真。赤嶺さんの3人後ろが島崎信氏(撮影:田中文太郎氏)

 

熊田勝博さん(照明家)

海外公演のCueシートの翻訳を、お願いした時のことです。
きっかけの最後に  …〈間〉(間合いの間です) と書いたところ

『そのまま〈MA〉と訳しておきました。』

『日本の、鼓童の、〈間〉というものが、どういう事なのか、どんな表現なのか  オペレーター自身の気持ち、理解が大切なので… 〈MA〉と言う表記で、分かって欲しい。』(大体こんな事でした) との事でした。

〈間〉については丁寧に説明し理解してもらった様でした。
その後(照明スタッフの)レオ・ジャンクスやマーティンとは
Give〈MA〉
No〈MA〉
で理解し合えました。
表には見えてこない伝えると言うことの、彼の仕事への想いのひとつでは、と思って書いて見ました。 みんなが知らなくても良いとは思いますが、誰かが知って居ても良いのではないでしょうか。 言葉足らずの所は、ご容赦下さい。

赤嶺くんの事、永い間ともに過ごした時間を思うと寂しくも有り残念です。

2001年ヨーロッパツアー。左から2人目が熊田勝博氏(撮影:西田太郎)

平沼仁一さん(1991年までスタッフ)

思い出すのは台風のアース・セレブレーション。雨がポツリポツリ降り出した夜に二人で軽トラに乗って港に行った。すでに前も見えないほどの豪雨。ヘッドライト頼りに借りたスピーカーをなんとか守りたいと車を降り「急げ!」とブルーシートで包もうとした。

二人とも風と雨で四苦八苦していると、最初に笑い出したのが君だった。見上げるとワハハと大声で大笑いしながら風に煽られるブルーシートを君は掴んでいる。

呆れるほどの大雨、手に負えない強風、バサバサと音を立てそのまま飛び立とうするブルーシート、必死に作業をしようとする互いの姿に僕もつられて笑ってしまった。それでもなんとか覆った。ずぶ濡れの帰りの車の中、相変わらず僕らはずっと笑っていた。

「クローズアップでは悲劇でも、ロングショットでは喜劇だ」と言ったのはチャップリンだったな、今まで、あのときほど大笑いしたことはなかった。

あっという間に六十を過ぎたが、一番思い出すのは二十代から三十代前半の佐渡の日々だ、楽しかったなあ。

アカミネ、いろいろとありがとう。

2010年文京シビックホールにて。左から菅野敦司、平沼仁一さん、赤嶺隆さん(撮影:洲﨑拓郎)

 

菅野敦司(鼓童文化財団 専務理事)

赤嶺くんとはハンチョウ(初代鼓童代表・河内敏夫)が、1987年元旦に急逝した危機的状況の中、お互い手探りで草創期の鼓童の海外公演を乗り切って行った言わば、「同志」である。特に、ハンチョウが掲げた「ワン・アース(一つの地球)」という旗印の下、東西冷戦、同時多発テロなど、国境を超えて移動することが困難な状況を乗り越えてツアーを続け、それまでに訪問できなかった地域の人々へ、太鼓の音を届ける作業に一緒に情熱を注ぐことができたことを、何より誇りに思っている。

その赤嶺くんが亡くなる直前まで手がけ、取り組んでいた二つのプロジェクトがある。

一つは、南アフリカの「ヴォイシズ・オブ・サウスアフリカ」のアース・セレブレーションへの招聘と鼓童の南アフリカの公演の実現。もう一つは、彼の故郷沖縄のアーティストの、ブルージュ・フェスティバル(ベルギー)で開かれる、平和と命を祈る「REMEMBER(記憶)」コンサートへの派遣である。どちらにも共通するのが、異文化の遭遇は、多様な価値観の対立ではなく、共存を生み出すことへの信念とその実現に向けた強い意志である。私は今、関係者と連絡を取り合う中、その人たちの言葉を通して、プロジェクトの実現に向けた彼の思いが生き続けていることを確信し、その炎を灯し続けることが、私たち「鼓童」の使命だと考えている。

2020年ロンドン。鼓童が長年お世話になっているマーク・ロス氏への感謝状と記念品の贈呈式にて

静岡県文化プログラム「ふじのくに伝統芸能フェスティバル」/住吉佑太

「静岡県文化プログラム ふじのくに伝統芸能フェスティバル」に参加してきました。解説や実演を交えながら、静岡県の伝統芸能、郷土芸能を中心に、様々な芸能を紹介していくこちらのプログラム。「継承」をテーマに、100年後の芸能について考える、そんなきっかけ作りの場でもありました。

その一環として、静岡県立駿河総合高校の和太鼓部の皆さんと、我々鼓童が共演する運びとなりました。

撮影:猪熊康夫(グランシップサポーター)

ただただ共演するのではなく、駿河総合高校の皆さんのために、私が曲を書かせていただきました。

共に一から楽曲を作り、稽古ややりとりを重ねながら、太鼓や舞台芸能と向き合うことの大変さや奥深さ、そしてその楽しさについて、一緒に太鼓を叩きながら伝えていきました。

かがりび」という曲名も、生徒のみんなが考えてくれました。

Photo: Tomohiro YonetaniPhoto: Tomohiro Yonetani初回、2回目、そして直前のリハーサルと、稽古を重ねる度に、どんどん成長していくみんなの吸収力には驚かされました。顧問の杉本先生も、生徒たちの自主性を尊重しながら、「やりたい」という自発的な気持ちを引き出していて、生徒たち一人一人に慕われていることが、端から見ても分かりました。

何よりこのイベント全体が、真剣に子どもたちの芸能に対する気持ちを後押ししていることが、端々から伝わってきました。

終演後、私たちのためのタクシーをお待たせしているという状況の中、生徒たちの質問や、サインに受け応えする時間がありました。言うまでもなく、その時間が長引けば長引くほど、タクシー料金が上がっていってしまうわけですが…その場にいた関係者誰一人として、生徒たちを急かすようなことはなく、むしろ笑顔でその様子を噛み締めるように見つめていたあの空気感。

私はあの空気感が、このイベントの気持ち良さの全てであると、改めて感じました。

自分たちも勉強になることがたくさんありました。本当にありがとうございました。

Photo: Tomohiro Yonetani

これからも「燎」の火が受け継がれ
そしてまた、皆さんと再会できる日を楽しみにしています。

 

鼓童の交流学校公演

 

こんにちは、鼓童です。
鼓童では学校の体育館にでむき、子どもたちに目や耳だけでなく、全身で太鼓を感じてもらう公演を1999年から行っています。

2020年春、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、新潟市内の小学校で予定していた55校42回約20,000人の子どもたちに向けての交流学校公演がすべて中止になってしまいました。今年は感染対策に配慮して、5月31日から6月末まで約60回の公演を実施できることとなりました。

今回は安心安全に公演を実施するために、プログラムや構成も熟考しました。太鼓体験はできませんが、鼓童が伝えたいことをぎゅっと詰め込んで、子どもたちにとっても鼓童メンバーにとっても、かけがえのない時間を皆で共有していきたいと思っています。

昨年からの公演数の激減、今も続く公演延期やキャンセルの中、鼓童の活動の継続には皆さまのご支援が大きな支えとなっています。

ひとつの地球をめざし、様々な舞台を携えて旅をする、鼓童の公演活動を応援してくださる「ワン・アース・ツアー支援」。

人材の育成、国際交流、太鼓の力を社会の力につなげる鼓童文化財団の活動を応援してくださる「一般寄付」。

鼓童の舞台を夢みて、太鼓と自分に向き合う研修生を応援してくださる「研修生育成支援」。

皆さまのご期待にお応えできますよう、日々精進してまいりますので、引き続きご支援のほどどうぞよろしくお願いいたします。

ご支援のお願い