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【2016年 鼓童創立35周年】
鼓童創立35周年の企画については2012年頃から考え始め、3年前から少しづつ可能性を模索し、音楽プロデューサーの森千二さんや芸術監督に相談をしながら動き始めました。
森千二さんはちょうど私が鬼太鼓座に関わり始めた1977 年頃、「佐渡の國 鬼太鼓座」という豪華な紹介パンフレットを立案され製作された頃からご指導をいただいている方です。
鬼太鼓座から鼓童への激動期には故河内敏夫(ハンチョウ)や林英哲さんたちとご自宅に伺い、いろいろご相談をさせていただきました。
このパンフレットの最後のページにある「鬼太鼓座『村』の構想」の絵図は故河内敏夫(ハンチョウ)が鼓童設立時に掲げた村構想の原形になっているものだと私は思っています。
鼓童グループの未来に向けて、玉三郎さんに鼓童の芸術監督をお願いすることの意義についても共感してくださり、後押ししてくださったのも森さんです。
私自身は出会った頃から現在に至るまで、森さんからたえず叱咤激励を受け、鍛えられ、成長させていただいたことに、とても感謝しています。
森さんはサントリーホールの開館に際して、コンセプト作りから企画立案に尽力された方でもあり、『ゴールドブレンド・コンサート』企画制作、国技館『5,000人の第九コンサート』、ヤマト運輸『音楽宅急便』コンサートの全国展開、墨田区文化会館 建設計画〜すみだトリフォニーホール企画など名だたるプロジェクトの音楽プロデューサーでした。
鼓童は森さんのご尽力で1986年11月にサントリーホールオープニング・シリーズで、小澤征爾さんの指揮で石井眞木さん作曲の「モノプリズム」を新日本フィルハーモニー交響楽団と演奏させていただいたことがあります。
1986年11月に行われたサントリーホールオープニング・シリーズ(リハーサルの様子)
ちょうど2016年はサントリーホールが開館30周年になるという情報を得たこともあり、「創立35周年はサントリーホールでやりたい!」という衝動に突き動かされ、すぐに森さんにご相談させてもらいました。
そして、この記念すべき時に「サントリーホール開館30周年記念事業」としてのご支援もいただき、芸術監督の監修のもとで多種多様な3日間のプログラムを企画することにしました。
1日目の「出逢い」は下野竜也氏の指揮で新日本フィルハーモニー交響楽団との共演で「モノプリズム」と冨田勲さんの「宇宙の歌」。そして、作曲家の猿谷紀郎さんの「紺碧の彼方」、伊左治直さんの「浮島神楽」という2つの委嘱作品を世界初演しました。
第一夜〜「出会い」より、「浮島神楽」(撮影:岡本隆史氏)
2日目の「螺旋」は鼓童の単独公演。これは玉三郎さんとの出会いから16年間の集大成となる世界初演の舞台です。
「らせん」には、パワーの象徴である三つ巴の渦巻きのように、帰着のないケルト文様の渦巻きのように、螺旋中心軸は必ず普遍的にダイナミックなゆらぎにつくり変えていく意味があると私は思っていました。
鼓童グループにとって、ゆりもどし原理で絶え間なくエネルギーをうみだし続けていくための象徴的な作品になったと思っています。
第二夜〜「螺旋」より、「螺旋」(撮影:岡本隆史氏)
3日目の「飛翔」は2014年8月に佐渡で共演させていただいた男子新体操界初のプロパフォーマンスユニットのBLUE TOKYOと独創的なダンスカンパニーのDAZZLEの皆さんと共演させていただき、多くのお客様たちに創立35周年をお祝いしていただき、3日間の多種多様な鼓童の魅力を楽しんでいただくことができました。
第三夜〜「飛翔」より、「魅惑」(撮影:岡本隆史氏)
新たな表現を生み出すために多様性と柔軟性を持ち続けながら、果敢に取り組んでいきたいという企画する側の私の思いとは裏腹に、鼓童メンバーたちは数々の難しいプログラムの稽古はさぞかし大変だったと思います。
でも、芸術監督のご指導のおかげで、それを乗り越え、成長した姿を見届けられたことを、とても嬉しく思いました。
【2017年5月 幽玄】
私の夢であった坂東玉三郎さんとの共演作『アマテラス』公演を2006年に実現させていただき、2007年8月に歌舞伎座において再演、そして、2013年7月~10月にはメインキャストを替えて、東京・赤坂ACTシアター、福岡・博多座、京都・南座でも『アマテラス』を再演させていただきました。
そして、2017年5月から9月にかけて共演2作目『幽玄』公演を東急文化村、テレビ東京、BSジャパン、日本経済新聞社の皆様のご支援のもと、東京のオーチャードホールを皮切りに、新潟(TeNYテレビ新潟、新潟市芸術文化振興財団、新潟日報社)、愛知(中日新聞社、中日劇場)、福岡(博多座)、京都(松竹株式会社)と、各地の皆様のご力添えをいただいて上演(計30公演)させていただきました。
撮影:岡本隆史氏
『幽玄』公演は前作以上に鼓童メンバーにとって、さらに緻密で奥深い表現力を求められる舞台でした。
玉三郎さんが鼓童メンバーたちと「今後はどんなものをやりたいの?」と対話する機会があった時、「日本のものをやりたい」という話がきっかけとなり『幽玄』の舞台づくりが始まりました。
15年以上ご指導いただいた玉三郎さんには従来の鼓童の常識、和太鼓の常識のこだわりを解き放っていただき、様々な可能性を広げていただいておりましたが、この舞台はさらにハードルの高い未知なる領域への挑戦だったと思います。
鼓童村で坂東玉三郎氏と行われた「幽玄」の稽古(撮影:岡本隆史氏)
しかし、能楽の先生方、日本舞踊の花柳流の皆様のお力添えをいただきながら、鼓童メンバーたちが稽古のたびに成長していく姿はとても頼もしく、勇気付けられました。
私たちの概念にはなかった大きな振り幅の中で玉三郎さんに鍛えていただいた賜物だと思っています。
能楽師葛野流大鼓方の亀井広忠先生による稽古の様子(撮影:岡本隆史氏)
そして、2018年9月には歌舞伎座での『幽玄』1ヶ月公演という鼓童グループにとって奇跡のような機会もいただくことができました。
連獅子を舞う坂東玉三郎氏と鼓童の演奏。鼓童のメンバーも連獅子に挑戦しました。(撮影:岡本隆史氏)
そして、2017年の『幽玄』舞台の記録映像をもとに、松竹の方々と玉三郎さん自らが映像・音楽編集にも携わっていただき、シネマ歌舞伎 特別篇として『幽玄』が全国各地で上映されました。それはシネマ歌舞伎 特別篇の『幽玄』でしか味わえない映像と音の臨場感でした。
鼓童の歴史にとっても永久保存版の貴重なシネマ映像です。
そして、この頃に玉三郎さんから「鼓童の人たちも5年後、10年後に自分たちがどうなっていたいのか、ということを真剣に考える時期が来ているのではないでしょうか」というとても重要な示唆をいただいておりました。
20年近くにわたる坂東玉三郎さんのご指導のおかげではありますが、私はこの『幽玄』公演での鼓童メンバーたちの表現力を見届け、鼓童がプロの太鼓芸能集団になれた瞬間を肌で感じることができました。
1977年代で触れたことですが、
「鬼太鼓座から鼓童へ、プロにふみきるタイミングはいつつかんだのだろうか。」という問いに答えるとしたら・・・
私はこの時だったのかもしれないと思っています。
【2020年〈NOVA〉公演・・そして新型コロナウイルス感染症の影響】
2015年の4月頃から外部の専門家の方々にアドバイザーとしてご協力をいただきながら「鼓童は、どこに向かうのか?」という「鼓童の未来」について話し合いを続けていました。そのときに生まれたのが「NEW BEAT VISION PROJECT」でした。
2020年に東京オリンピックが開催されることになり、新しい人々が次の時代を作り出していかなくてはならない。その中でカタチを問わず常に新しい「ビート」を発信し続ける集団であり続けるために、「『聴く』から、『+観る』 そしてその先へ」というテーマで新たな『音の視覚化』を模索し始めていました。
そんな折、2016年7月に新潟市民芸術文化会館でロベール・ルパージュ氏の演出・出演の舞台『887』の公演がありました。ルパージュ氏から鼓童を訪ねたいとのご希望があり、公演の前日、急遽佐渡に来島されることになりました。
佐渡に初めていらした時のロベール・ルパージュ氏(中央)(撮影:大井キヨ子)
ロベール・ルパージュ氏は『KA』 (2004) 『トーテムTOTEM』(2010)というシルク・ドゥ・ソレイユの舞台を演出した今世紀における最も重要な舞台演出家の一人ともいわれるカナダ・ケベック生まれの演出家、劇作家、俳優、映画監督です。
この機会を得て、私は鼓童村や研修所などをご案内し、いろいろとお話をさせていただくことができました。何より、ルパージュ氏が鼓童のことにご興味を持っていただけていたことがとても嬉しかったです。このときは具体的なお仕事の話はしませんでしたが、ルパージュ氏から広島原爆を題材にした上演時間7時間の『太田川七つの流れ』という舞台の再演の話が話題になりました。
私はシルク・ドゥ・ソレイユの『トーテムTOTEM』はお会いする数年前にたまたま拝見したことがあり、人類の普遍的なテーマを題材にしていて、最先端のテクノロジーを駆使し、独創的でオリジナリティーにあふれた映像の使い方にとても驚きました。
しかし、実はこの『トーテムTOTEM』の鑑賞時には演出家としてのルパージュ氏の存在は認識していませんでした。
この時の出会いから数ヶ月たち、私の中では「音の視覚化」というテーマとルパージュ氏との出会いがひとつに結びついていきました。
そして、玉三郎さんに学んできたメンバーたちが次に挑戦するべき大きなプロジェクトとなり、「鼓童の未来に必ず繋がる」という思いにかられました。
そして、2016年8月にルパージュ氏に「2019年以降に鼓童の舞台演出をお願いできるような可能性はありますか?」との打診を開始しました。すると、ルパージュ氏の事務所から「とても好意的に、可能性はあります」とのご返答をいただき、早速、2017年1月に東京に来日中だったルパージュ氏らと初めてのミーティングをおこないました。
その時に「音の視覚化」という私たちの提案したテーマに対して、ルパージュ氏から「このプロジェクトはサイマティクスという理論をもとに創りたいと考えています。サイマティクスとは私たちの目に映るこの世全てのもの、地球や太陽系、私たちの身体や動物、陸などはすべてビック・バンによって生み出されたもの、そしてそのすべてに形を与えたのが『音』という理論です。」とのお話があり、ワクワクするような映像素材を見せていただき、具体的な稽古スケジュールや条件面での確認作業がスタートしました。
サイマティックスの理論を元にした仕掛けを模索する鶴見龍馬(撮影:神谷唯)
2018年4月の佐渡稽古(Phase1)からスタートし、12月にはケベックのロベール・ルパージュ氏の創作スタジオでの稽古(Phase2)、2019年3月(Phase3)のケベック稽古後にケベックと日本で何度も話し合いを続け、私たちはこのプロジェクトを〈NOVA〉(ノーヴァ)と名付けました。
ケベックにあるロベール・ルパージュ氏の拠点で作品作りに励んだ。(撮影:神谷唯)
そして、11月(Phase4)のケベック稽古から帰国直後に、日本での記者会見を行いました。
そして2020年の4月下旬から横須賀芸術劇場での3週間の最終稽古を経て、カナダスタッフたちから日本側のスタッフたちへの技術的な引き継ぎを行い、舞台を完成させるための準備をしていました。
ところが、2020年3月11日(奇しくも東日本震災と同じ月日)にWHOがパンデミックを表明。
人類がかつて経験のない新型コロナウイルス(COVID-19)感染症との闘いが始まり、すでに世界中に感染が拡大していました。
鼓童もこの影響を受けて、鼓童ヨーロッパ「Legacy」公演ツアーは3月のイタリア、ポーランド、ドイツの10公演が中止、ツアー途中での帰国という事態となりました。
日本では4月7日に緊急事態宣言が発令され、東京や神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡などで外出制限などの規制がはじまり、音楽・演劇・スポーツなど、すべての事業が中止や延期の対応を余儀なくされました。
3年以上をかけて海外共同製作で準備してきたこの〈NOVA〉は大変厳しい状況に追い込まれ、延期はできず、全公演中止という苦渋の決断をせざるをえませんでした。
〈NOVA〉は多くのスタッフが関わり、作り上げてきた作品でした。(撮影:神谷唯)
今回の〈NOVA〉公演のストーリーには「当たり前のことが当たり前でなくなるという、アノマリー(異常)によって文明が破壊する都市」の演出シーンがありました。
今となっては、ウイルスというまさに「アノマリー」な存在によって、今まで当たり前だったことが当たり前ではなくなり、いとも簡単に日常が「破壊」されてしまうことを思い知らされました。と同時に、ルパージュ氏の普遍的で哲学的な演出意図が今回の新型コロナウイルス感染症における人類への警鐘のように思えて、とても驚きました。
私は太鼓芸能文化の可能性を広げていくために、玉三郎さんとの共演作『アマテラス』『幽玄』と同じように、今までに誰も見たことのない舞台づくりに挑戦していくために全力で〈NOVA〉公演に取り組んでいました。
2020年のオリンピック・パラリンピックにむけて、芸術文化創造の支援に向けた特別な公的資金の公募がいくつかあるという情報を得たり、劇場ネットワーク関係(舞台芸術や演劇界)の方々がルパージュ氏の演出する鼓童に大変興味を持ってくださるなど、その支援体制の感触によって、この新たなプロジェクトに取り組む決断をいたしました。
制作発表の際に披露した〈NOVA〉の一部分(撮影:岡本隆史氏)
ルパージュ氏が佐渡での最初の稽古の時のインタビューで「日本という国は地震とか津波とか、絶えず災害に見舞われる国でありながら、そこから再興させ、そこで世界にないような美しいものを導きだしている。この国の文化に非常に興味がある」と言い、今回のプロジェクトではそれを語りたいと言ってくれました。
私はこのコメントを聞いて、2020年の東京都で世界初演するテーマとして非常に心に刺さりました。そのルパージュ氏の思いを聞いて、絶対に今までに見たことのない太鼓の概念を覆すような新しいものづくりができると確信しました。
それも、鼓童の使命として2020年にやらないと、今まで玉三郎さんに学んできたことが次に繋がっていかないような気がしたのです。
鼓童グループにとっては果敢な挑戦となりましたが、このプロジェクトを通じて、国内外の新たな鼓童ファンや多くの支援者との出会いも目指していましたので、2020年に実行するという意味が凄くあると思っていました。
だから、正直にいえば、完成間近で成就できなかったことはとても悔しい思いでいっぱいです。
しかし、多くの方々のお力添えをいただきながら、3年間かけてロベール・ルパージュ氏をはじめ、カナダチームスタッフと鼓童メンバーや日本チームスタッフたちと最善を尽くして創作してきた記録映像を、2019年11月のPhase4のケベック稽古での最初で最後になってしまった通し稽古の様子も含めて、ドキュメンタリー映像作品として完成させることができました。そして、期間限定ではありましたが、海外同時配信させていただき、国内外の多くの方々に視聴していただいたことで、私たちの〈NOVA〉公演に向けた渾身の思いをお届けることができました。
ビッグバンから始まり、生命体が生まれ、そして文明が始まり、世界が破壊され、そして再生・復活していくという、森羅万象、宇宙の摂理というものが鼓童の太鼓や踊り、声によって テクノロジーを駆使した映像とともに有機的に繋がる新たな神話のような物語に仕立てられていました。
この創作過程におけるルパージュ氏たちとの「ものづくり」の貴重な時間は、鼓童の未来の活動に大きな力になると信じています。
【あとがき】
世界各地で起こっている天災、人災、人間がつくりだした言語、民族、文化、宗教、政治、経済などの確執や価値観の違いを超越し、人間界と自然界との全体的調和を伝えていける強みが太鼓や芸能、音楽には内在していると信じています。
私自身は実際に太鼓を打ち込んで、人々に感動をお届けするということはできないのですが、「この感動をたくさんの人々に伝えたい。」ただただその思いのまま、今があります。
でもその衝動の根幹がいったいなんだったのか、実は腑に落ちないままでした。
あれから四十年以上、太鼓や芸能に携わらせて頂き、さまざまな出会いと学び、そして多くの困難を経験する中で、あらためて思い巡らしています。
それは当たり前のことではあるのですが、太鼓がとても原始な楽器だということと、この世に生まれたばかりの赤ちゃんには、本能としてひたすら泣き叫んで伝達しようとする野生の心が宿っていることです。
この太鼓と向き合う無垢な存在が伝達しようとする音(共振)にこそ、私たちは無条件に「原始の記憶」に回帰し浄化され、感動するのではないかと思うのです。
また、太鼓には人と人、人と神をつなぐ役割があります。
私たち日本人は古来より多くの自然災害による惨劇を経験しながらも、謙虚にひたむきに、たえず自然と向かいあい、地道に努力を積み重ねて復興させ、革新性や生産性を生み出してきました。
鼓童グループもコロナ禍に負けることなく、創立40周年記念の年に向けて、原点に立ち返り、自分たちの足元をたえず見つめ直し、人間が本来内包している「童」としての純真な心と野性的な心を鼓童の舞台を通じて表現し、魂を揺さぶる感動を届けることができるように、謙虚で逞しく生きていかなくてはなりません。
いつの日も、新しいことを成し遂げる原動力はひとつのことを一途に思い続けるという、わけのわからない強烈な熱意とひたむきな打ち込みにあると信じています。
だから、自信を持って、ひるまず打ち込み続けなくてはなりません。
鼓童創立40周年を迎える2021年、新型コロナウイルス感染症による困難を乗り越えて、多くのお客様と鼓童が出会い、元気に呼応しあえることを願っています。
━2021年、鼓童は創立40周年を迎えます━
鼓童創立40周年記念公演企画