機関誌『鼓童』最新号(5月春号)を特別公開 !/上之山博文

こんにちは、機関誌編集部、上之山です。鼓童の会会員の皆さまに年4回(2月、5月、8月、11月)お届けしております。5月春号は通常より10日遅れて、5月20日に発行させていただきました。いつも機関誌をご愛顧いただき、ありがとうございます。

機関誌「鼓童」は1981年、鼓童結成時に季刊誌として創刊。1984年〜2016年は月刊、2017年より再び季刊発行となり、今回の最新号で378号となりました。

最近ではその時々の活動の特集やコラム、作品や演目紹介、そして舞台では見られないメンバーの素顔など、趣向をこらしながら(時にはネタに頭を抱えながら(笑))、お届けしています。

そんな中、5月号では〈NOVA〉やアース・セレブレーションを紹介したいと2月から編集を進めていた矢先での、3月半ばからの急激な状況の変化。

緊急編集会議で、一旦組み立てたページ構成をすべて白紙に戻し、発行日を遅らせることを決断。表紙は笑顔を届けたいと冬のヨーロッパツアー、最終公演地となったイギリス・リバプールでの集合写真を持ってきました。

そんな特別な思いがギュッと詰まった5月号。いつもはバックナンバーとして1つ前の号をPDF公開していますが、今回の号は多くの皆様に’今’をお届けしたいと、特別に早く公開することにいたしました。

鼓童メンバー1人1人の思いも綴っています。ぜひご覧ください !

 

■アーカイブ 機関誌「鼓童」
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■鼓童の会にご入会いただくと、年4回の機関誌がご自宅に !
紙の冊子をお手元でじっくりお読みになりたいという方はぜひ鼓童の会にご入会いただけたら嬉しく思います。年4回、機関誌をお届けいたします !
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※好評いただいています付録「鼓童人物名鑑」は、次号8月夏号での同封に延期になりました。

演目図鑑WEB版「HITOTSU」[後編]

6月9日よりツアーが始まった、鼓童特別公演2018「道」。
浅草公会堂での5日間の連続公演まで、おかげさまで大好評のうちに終了いたしました。
ツアーの後半は、一部キャストを入れ替えて7月半ばより再開。関東、東北、北海道方面にお伺いいたします。

機関誌『鼓童』でおなじみのコーナー「演目図鑑」のWEB版として、この「道」公演で22年ぶりに演奏している「HITOTSU」をとりあげ、2回にわたってご紹介しています。

[前編]を読む

狩野泰一(作曲)が語る「HITOTSU」の誕生と
船橋裕一郎(演出担当)の「HITOTSU」への思い

聞き手:坂本実紀/構成:本間康子(機関誌編集部)

【「HITOTSU」が再演されることについて】

(狩野泰一:以下狩野)私も、よもや「HITOTSU」を後輩たちがやってくれる日が来るなんて思っていなかったから、もう、めちゃめちゃビックリで本当に、本当にうれしいですね。

今まで鼓童でも歴代色んな方々が色んな要素を入れて曲を作ってきたと思うんだけど、「HITOTSU」の表現とか、楽器群はまた独特だと思うんだよね。

それに今回は舞なんかも入れたりして、さらに新しい意味付けがされておもしろくなった。観た人があれをどう感じるか、みたいなところも楽しみですね。

「道」公演での「HITOTSU」(浅草公会堂にて)撮影:岡本隆史

撮影:岡本隆史

【「HITOTSU」の誕生】

(狩野)この曲を書いたのは、世界中を旅してアジアで音や楽器、人の雰囲気に懐かしさみたいなものを感じたことがきっかけでした。

チベットや中国などアジアを旅している時に出会った音に、インパクトはあるんだけど、ルーツを感じたり、懐かしさを感じてね。
欧米のクラシック、あるいはジャズやボサノバなどとは全然違う伝わり方をしてくるんですよ。

チベットの奥地で民謡を唄い合ったことがあるんだけど、どこか似ていて、親近感を覚えるんだよね。

お辞儀する感じとか、「まあまあまあ」と言いながら、無理やりお酒を注いで来る感じとか、乾杯をカンペイって言ったりするところとか。

「それは何なんだろう」と考えたんだけど、一つは仏教の伝播と共に声明、お経とか、仏教の法器、宗教のための音を出す道具と一緒に仏教文化が、儒教や各地の文字、言葉、文化も入り混じって日本に伝わってきたからかなと。仏教が、インドで発祥してチベットや中国、韓国に伝わり、仏教音楽がアジアの各地を経由して日本に入ってきた。

だから各地の音楽、文化の要素も日本には入っているわけですよ。
声の出し方、歌の節回しやメロディ、太鼓のリズム、重低音、金属音の低い音、高い音などなど。

中東からアジア全般、顔とか言葉とか考え方も全然違うのに、音楽的なところは、同じような楽器で似たような事をやってるような気がします。
言葉は全く分からなくても、音楽は分かる! 共通点を感じる。

だから、アジアの音楽の根っこが「一つ」につながっているっていう感覚があった

そういう体験から感じた共通点、各地の楽器を繋いで、一つの音楽を作りたいなと。
それでできたのが「HITOTSU」なんです

【「ソーナ」との出会い】

撮影:岡本隆史

(狩野)ソーナに出会ったのは中国を旅してる時だった。

チャイニーズニューイヤーの時、田舎道を歩いていたら、遠くから音楽が聞こえてきた。音に誘われて行ってみると、小屋の中でたくさんの演奏者が蛇の皮の二胡からコントラバスみたいな大きなものまで様々な弦楽器を弾いてた。

その中でソーナとか、中国の明笛(みんてき)とか銅鑼とか、スゴイ音楽が鳴ってて、面白くてずっと窓の外から覗き込んでた。

すると、帽子をかぶったおじいさんに「来い来い、中に入れ」って呼ばれたの。
「ありがとうございます」って入って、漢字で筆談しながら音楽を見せてもらった。

「我音楽家」「楽器有宿」って書いたら持って来いって言われて、ホテルから三味線や笛を持ってきて、津軽じょんがら節を弾いたらバカうけ! 私は中国から日本に伝わった楽器が、400年たったらこうなりました、という里帰りのような気持ちで演奏してた。

その時にそのおじいさんに教えてもらったメロディーがあって、その場で必死で覚えて帰ってきたんだ。今でも忘れられないんだけど、でもなんの曲か分からなかった。

で、ずっと後になってある中国人の前でその曲を吹いたら、「中国の軍歌」だって。日中戦争で中国が日本と戦った時に「日本人を殺せ」っていう、そういう歌だったんだ。

私はそうとは知らずに、その場にいる50人くらいの人と50度以上のお酒を返杯しながらご馳走になって、楽器を通して友達になって、それでその曲を教えてもらったって思ってたから…。
ずっと後になって、そのおじいさんが教えてくれたあの夜を結ぶ記憶が、そういう軍歌だったということが分かったわけ。

「昔は殺し合った時代もあったんだよ」って、おじいさんはそう伝えかったのか…今となっては知る由も無いけど…そういう思い出の中で会った楽器なんだ。
アジアを感じる時、そういう風景、みんなの顔なんかが、浮かんでは消える思い出の一つになってる。

ソーナは、そんな旅の中で出会ったインパクトの強い楽器。

私には当時、鼓童の公演の時、周りが太鼓でドカドカやる中、マイクを使わず笛一本で音を通さなきゃいけないという大変さがあった。

だから、大音響の中でマイクなしで響いてくる楽器、ソーナに出会った時に「これだ!」って。

今度はこれを日本に伝えたい、これを使った曲を書きたいたいって、思ったんだよね。

 

【フリージャズ】

(狩野)「HITOTSU」は心臓の鼓動のように、脈打ち続けていく。

基本ビートがたった一つで、ずっと流れてる。

水が流れて川になって海になるように、「ドンスタッ、タタ、タカタカタカタカ」のリズムが始まったら、変化することも止まることもない。
それがどんどんどんどん大きくなっていく。じりじりじりじりね。

「HITOTSU」は基本ビートが一つで、ルート(根音)も一つ。
サビもなく、転調もなく、音階の変化もない。

そして、「ドンスタッ、タタ、タカタカタカタカ」という基本のリズムにはのらず、間と呼吸と気迫で
「ドン、バシャー!!!!ガガーン!ドンチ、ドンチー!」って、太鼓、シンバル類が叫ぶ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アジア独特の「おろし(間が詰まっていくリズム)」が炸裂する。
「七五三(7拍・5拍・3拍)」も洒落で入ってくる。大音響でビックリさせて、お洒落じゃないけど(笑)。

決まったリズムを繰り返してグルーヴを作り、そのビートにのってフレーズを叩き、それにメロディーがのり、繰り返すのが、多くの音楽では当たり前になってるけど、全く違う作り方をしたんだ。

でも、基本ビートがないフリージャズだと、多くの方々にとって心地よくない音楽になってしまうかもしれない。

気持ちいい基本ビートが流れ続けて、なんとも言えないインパクトのあるメロディが流れてきたと思ったら、すごい音、フレージングが入ってきて、で、またそのほとぼりが冷めると次のメロディがきて、っていうのを繰り返しながら、全体がだんだんクレシェンドしていく。瞑想と覚醒。

基本のビート、揺るがない鼓動があるからこそ、何やっても許される、アジアのフリージャズなんですよ。

答えは一つじゃない

(船橋)狩野さんには鼓童村での通し稽古を見ていただきましたが、公演では幕や照明が入ることで印象がかなり変わります。

実は、先日、この演目を劇場版の学校公演でやったんですよ。

一度舞台でやって、見てみたいというのもあったし、この曲に関しては子供に寄り添いすぎず、「大人の世界を、あの世界観をみせよう」と、逆に切り替えて持っていきました。

狙い通りというか…中学生シーンとしてましたね(笑)。

学校公演での「HITOTSU」(撮影:鼓童)

(狩野)分かりやすいものをやってあげるのもパフォーマーとして大事なんだけど、逆に訳の分からないものを大の大人が真剣にやって「なんじゃこりゃ」って人の心を動かすのもおもしろいですよね。

なんでか分からないけどイメージだけ残って、音だけグルグル頭ん中で回っちゃって、後からあれはこういう意味だったんだって人が思ったり…そういうのもいいよね。

(船橋)今、ネットで調べればすぐ何でも分かるようだけど、実際、本当は分からないことだらけなはずなので…。すべてに答えがなくてもいいんじゃないかなと思って。

(狩野)この曲は、例えば人間の一生かもしれないし、国ができて滅ぶ、あるいは宇宙が生まれる過程とか、何を想像してもいい。混沌として、なんだか分からないけど「なに?!」って印象が残ればいい。

「HITOTSU」だけでなく、抽象的なアートっていうのはみんなそういう性格を持っている。千人が聴いたらそれぞれが全然違うストーリーを受けとめて、宇宙を感じたり生命を感じたり…全部正解って言うか。

だから、答えは一つじゃないわけです。

【「道」の中での「HITOTSU」】

(船橋)天気とか、雨雲が重くなると憂鬱な気分になってくるじゃないですか。でも重たい気分の中から、光に向かっていくようなイメージを感じました。

「HITOTSU」は聖なるもの、すなわち大太鼓の前の静と動…空間をゆがませた上で、ほこりが立つイメージ。
そして無音の場面を作りたくて、大太鼓の前の静寂で使おうかな…とイメージが浮かんできて。

この曲は、公演の中でも「おっ」という美しいシーンになるんじゃないかと思います。

(狩野)公演、すごい期待してますよ。
こっそりどっかに、観に行きたくなっちゃったな(笑)。

 

 

 

 

(完)

 

狩野泰一(Yasukazu KANO)プロフィール

篠笛奏者 / 篠笛講師 / 音楽プロデューサー

1963年東京生まれ。一橋大学在学中にジャズドラマーとしてライブ活動を開始。1987年「鼓童」に参加し1997年に独立。佐渡島に暮らしながら「篠笛」の新たな音世界を広げて2005年にメジャーデビューし、多くのCD、教則DVD、楽譜集等を出版。これまで世界30カ国で2000回を越える公演をし、笛・祭り文化の再興のため篠笛講習会を全国、世界で展開。NHKテレビ「日本の話芸」テーマ始め、映画、演劇等の音楽プロデュースも手がける。天皇皇后両陛下の御前演奏、ミラノ万博2015出演も務め、東京ドームで空手世界チャンピオン宇佐美里香の演武とコラボ他、香西かおり、サリナ・ジョーンズ、南こうせつ、河村隆一、伊藤君子など多くのア-ティストと共演している。中西圭三、宮本貴奈とのユニット『WA-OTO』も好評。最新作は、2017年リリースのCD『SOUND OF THE WIND』。

鼓童を離れた後も、鼓童の研修生、メンバーへの篠笛の指導を行っている。

「HITOTSU」のほか、鼓童在籍中に「SOBAMA」(1992年CD『回帰』に収録)、「A-SON-JA-O」(1996年CD『いぶき』に収録)などを作曲。

オフィシャルサイト http://yasukazu.com/

 

CD『回帰』は鼓童オンラインストアでご購入いただけます。

 

鼓童特別公演2018「道」全国ツアー

 

公演スケジュール

演目図鑑WEB版「HITOTSU」[前編]

6月9日よりツアーが始まった、鼓童特別公演2018『道』。
「大太鼓」「モノクローム」「三宅」などの鼓童の古典とも言える曲から、出演者による新作まで、幅広いラインナップとなっていますが、その中でも90年代に作られた曲が異彩を放っています。

機関誌『鼓童』でおなじみのコーナー「演目図鑑」のWEB版として、22年ぶりに演奏される「HITOTSU」をとりあげてご紹介いたします。

[演目データ]

  • タイトル:HITOTSU(ひとつ)
  • 作曲:狩野泰一(1992年)
  • 使用楽器:ソーナ、ラグドゥーン(チベットホルン)、ベル、チャイナシンバル、うちわ太鼓、桶太鼓、クンプール、声、平胴大太鼓 など
  • 舞台での演奏歴
    初演:1993年・Gathering公演(東京・オーチャードホール)
    再演:1996年・EC’96「草苅神社能舞台公演」(佐渡・草苅神社)
  • CD『回帰』に収録

船橋裕一郎(演出担当)と狩野泰一(作曲者)が語る
「HITOTSU」の魅力、そして難しさ

聞き手:坂本実紀/構成:本間康子(機関誌編集部)

【「HITOTSU」を「道」公演の演目に選んだ理由は?】

(船橋裕一郎:以下船橋)もともと、ちょっと混とんとした、空間がゆがむような場面なんかがすごく好きで。

僕は、比較的何事もなく大きな挫折がなく、環境が悪かったということもなく育ってきたので、その反面、読む本や観る映画とかは若干癖がつよいものを好むところがあって。
旅先でも、神社や寺に行くのが好きなんですけど、その周りにある猥雑な場所にも引かれるんです。
実際に、かつて遊郭のあった場所など、吉原とかも寺社仏閣の近くにあるじゃないですか。何か「猥雑なところと聖なるところのゆがみ」みたいなものが好きで、そういう世界観を作ってみたいなって。

太鼓は、どれも全部違って、同じ音や響きにはならないんです。それを一つに合わせて気持ちよくする、違うけど認め合って一つになっていくというのは太鼓の魅力でもある。
混沌とした世界だけど、何かみんなが幸せを信じてじゃないけど、一つに向かっていくような世界観を、CD『回帰』で「HITOTSU」を聴いていて感じるんです。

HITOTSU」は鼓童の中でも「これ、鼓童の曲かな」と思ったりするくらい違和感のある曲。いい意味で鼓童っぽくなくて面白い。すごくいい曲だし壮大な曲だなぁと、惹きつけられました。

1993年7月・Gathering公演(東京・オーチャードホール)撮影:岡部好  前列両端で吹いているのがラグドゥーン(チベットホルン)、右端はクンプール(インドネシアのガムラン音楽で使われる楽器)

1996年8月・EC’96(草苅神社能舞台公演)撮影:吉田励

【ダブルリード楽器について】

(船橋)この曲を選んだもう一つの理由に、リード楽器を使いたいというのがありました。

リード楽器は鼓童ではあまり使わないので、篳篥(ひちりき)とか笙(しょう)などを取り入れると面白いかなと考えていたんですが、一昨年、韓国でチャンゴ奏者のキム・ドクスさんと共演した時に、「鼓童はなんでチャルメラ使わないんだ」って言われていたんですよね。

キム・ドクス(金徳洙)氏:1978年に韓国の4種の打楽器によるアンサンブルグループ「サムルノリ」を結成。鼓童とは1989年のECでの初共演以来、1990年(東京)、2000年(佐渡・東京)、2016年(韓国)と共演を重ねている。

確かにチャルメラって音の印象が強くて面白い楽器でもあるし、鼓童でもやってみたいなと思ったら、(HITOTSUで)使っていると。

【日本では耳慣れないダブルリード楽器「ソーナ」とは?】

(狩野泰一:以下狩野)日本人はダブルリードの音があまり好きじゃなかったのか、伝わっても定着しなかった。雅楽の篳篥(ひちりき)と、あとは屋台の夜鳴きそばのチャルメラぐらいで。

この強烈な音を出す楽器は、韓国ではピリ、中国ではソーナと呼ばれていて、北部と南部でも大きさや音程が違う。形が長いと低い音になり、短いと高い音に、ラッパの部分が大きくなると音が大きくなる。

アジアはもちろん、インドや中東、ヨーロッパでも、名前や形に差はあれど、世界中にあって、音はそんなに変わらないんです。それこそシルクロードの西から東まで伝わって、日本にはポルトガルやスペインの商人が長崎などに持ち込んだ楽器が、チャルメラと呼ばれるようになったけれど、実際にラーメンの屋台で吹かれていたのは、中国のソーナだったらしい。

参考:西岡信雄著『人と神と音 楽器をフィールドワークする』

野外でドカドカ太鼓を叩いてる中でも負けない大きな音が出せるから、メインになれる大事なメロディ楽器なんです。日本ではそういう音に出会わないから、中国でソーナの音を聞いた時はびっくりしました。「なんじゃこりゃ!」って。

自分がいた頃、鼓童はまったく音響を使わなかったので、何千人のホールでたくさんの太鼓が鳴っている中、篠笛一本でマイク無しに聞かせなければならなかった。だから、「この楽器で曲を作りたい!」って思ったんです。

【そもそもダブルリードって?】

(船橋)簡単に言ってしまえば、葦の丸いのを、つぶして金属で巻いているだけなんです。ストローをこれくらいの大きさにちょっと切って、先をちょんちょんって潰してビーって吹くイメージですね。
でもこれが命なんです。これが鳴るかどうか。

(狩野)葦のリードを慎重に削って削って、火でちょっと炙ったりして、うまく振動するように作るのにものすごく時間がかかるんです。リードが上手にできた時だけいい音が出るんだけど、乾燥しすぎると開いちゃって音が出なくなっちゃうし、逆に湿りすぎるとペタッてくっついて音が出なくなっちゃうんですよ。

シングルリード(サックスとかクラリネットなど)と違って、ソーナみたいなダブルリード(オーボエ、ファゴット、篳篥など)は特にそこがめちゃくちゃ大変。いいリードができたと思ったら、ピリッと破けたりしてすぐに使えなくなったり。

とても繊細だから、ソーナを使う時はすぐ使える調子いいリードを何枚も用意しておかなければならない。でも、質のいいリードはなかなか手に入らないんだ。だから、この楽曲を作る時に世界中を歩いて中国やロンドンの専門店なんかで僕が買い集めた本当に質のいいリードを、今回全部鼓童に持って行ったんだよ。中国で探し求めたいろんな種類のソーナ、ネパールから持ち帰ったラグドゥーン(チベットホルン)と一緒にね。

【演者を悩ませるダブルリード楽器の難しさとは?】

1993年Gathering公演(東京・オーチャードホール)緋毛氈の右端でソーナを吹く狩野泰一さん[撮影:坂口正光]

(狩野)実際やってみて、難しいと思う。特に音程のコントロールが難しい楽器なんですよ。定まりにくい音程を、無理やり作り上げなければいけないようなところがあって。

レコーディングの時は、自分の音と周りの音を、ヘッドフォンでバランスを取って聞きながら吹けるけど、舞台だと周りの太鼓の音が大きくなるとベースのクンプールが聞こえなくなっちゃうんです。自分の音も大き過ぎて、音程がよく分からなくなってくる。本当に大変だから、もうダブルリード楽器だけはやりたくない(笑)。

私は鼓童時代、笛、津軽三味線、尺八、和太鼓をやっていたので結構舞台に出っぱなしで、オーチャードホール(1993年「ギャザリング」公演)で「HITOTSU」をやった時も、直前の演目にも出演していたんです。で、いざソーナを吹こうと思ったら、舞台袖に置いといたソーナのリードが乾燥してしまって。

もちろんそれを懸念していたし、リハーサルではちゃんと吹けたんだけど、本番は照明もあるし、温度、湿度も変わっていて…で、一生懸命舐めて、一生懸命吹いたけど思う音が出せないという、悔しい思いをしました。

だから、次の日は教訓を生かして、リードが乾燥しないようにビニール袋を被せておいたの。そしたら今度は湿りすぎちゃって。張り付いちゃって音がでない。僕にとってはダブルリードは悪夢の思い出(笑)。

だから今回「HITOTSU」をみんながやってくれるのはすごく嬉しい。最大限の協力をするから、僕が失敗したことを踏み台にして、完成して欲しいんだ! 長い歴史を経て世界各地に伝播した、太鼓、シンバル、ダブルリード、ラッパが膨張し、炸裂してHITOTSUになるアイデアはいいと信じているから。

【元鼓童メンバーの曲を今のメンバーで演奏してみて】

(船橋)泰一さんの曲を使いたいと言ったら、すごく喜んでくれました。

(狩野)「HITOTSU」を鼓童の後輩達がやってくれるなんて、思いもよらなかったからね。

狩野さんが持っているのが「ソーナ」。そして船橋が持っているCD『回帰』に「HITOTSU」が収録されている。

(船橋)鼓童を離れても、思いを持ってくださる人や関わってくれる方がいるのはすごく貴重なことなので。鼓童があり続けるのは、やっぱり色々な人が関わっていただいて、お互いによろこびや楽しみを分かち合えると。
曲を通して恩返しじゃないですけど、またこうして直接に教えをいただける関係ができるのは嬉しいです。

(後編に続く)

 

CD『回帰』は鼓童オンラインストアでご購入いただけます。

 

鼓童特別公演2018「道」全国ツアー

 

公演スケジュール