鼓童文化財団研修所・修了後の進路

研修所を修了した研修生は、すべてが鼓童のメンバーになる道筋をたどるわけではありません。
2年間の研修の成果をもとに「準メンバー」への選考がなされます。
準メンバーは約1年間、公演ツアーや様々な現場での経験を積みます。
その後、改めて選考を経た者が「正メンバー」として採用されます。

このような厳しい現実があるわけですが、2年間の研修期間を終えた若者たちは、生きていく逞しさを身につけて、研修所を巣立っていきます。
修了式の日を迎えた彼らからは、「やり切った」という自信のようなものが感じられます。

地元へ戻って太鼓を続ける人、研修所で出会った芸能に魅せられた人、食や手仕事といった生活文化を追求する人など、進路はまさに様々。
その一端をご紹介させていただきます。

 

修了生紹介

鼓童メンバーとして活躍中

中込健太(なかごめけんた)「他者との関わりの中で」

中込健太

 

23期(2004年4月入所〜2006年1月修了)
鼓童メンバー紹介:中込健太

 

 

 

 


研修所生活で今に生きていることは、集団生活を送ったということです。

合宿生活は、他者との距離感が近く、お互いの良い部分、相容れない部分がよく見えてきます。

他者との関わりの中で、自分の姿が晒され、自分を発見します。

その中で、軋轢も感じながら心地良い関係を作りあげていく。

 

僕たちがやっている舞台活動は、
沢山の人々が関わる共同作業だなと最近改めて感じています。

Photo: Takashi Okamoto一緒に叩く仲間、裏方さん、太鼓を作ってくれる職人さん、見に来てくれるお客さん、
全ての関係性の中で成り立っている。人は1人では何もできないなと感じています。

それを感じられたのが1番自分にとって尊い、大事な気づきです。

しかし、今感じているのは、太鼓を叩くなら一人で、
山の中入って叩きつづけることもできる。
ではなぜ故人前で叩くのか。

今、改めて自分に問いかけながら
太鼓に向かっています。

 

三浦友恵(みうらともえ)「研修所2年間」

32期(2013年4月入所〜2015年1月修了)
鼓童メンバー紹介:三浦友恵

 

 

 

 

 

研修所に入所したのは6年前。
辛いところだとは覚悟していましたが、現実の辛さは私の想像をはるかに超えていました。
毎日の分刻みのスケジュールは同期との生活、稽古、作業の繰り返し。
太鼓の稽古以外の時間は太鼓や舞台に何の関係があるのか考えなければ只の無駄な時間。
この2年間全てに鼓童の舞台の基礎があります。

研修所で教わる言葉の中に“生活即舞台“という言葉があり、研修所生活において演奏だけは通用しません。
表だけよく見せようとしても2年間は続かず、自分と向き合い同期と向き合い、その葛藤から自分を芯から変えなければいけないのです。

過酷な2年間も同期との生活は特別なもの。この2年間はライバルでもあり家族。
楽しい事、嬉しいこと、辛いこと、悲しいこと様々な感情を一緒に体感できる人が近くにいることは幸せなこと。
スマートフォンなどが普及しているこの時代に、面と向かってコミュニケーションをとれることがとても幸せなこと。
同じ稽古をして同じ作業をして同じくらい疲れているもの同士、大したことでもないのに面白くて大笑いができる幸せ。それが演奏に繫がる。

Photo: Takashi Okamoto2年間を終えてお互いに感じる、“あっ、今こんな風に思ってるな“、”顔は笑ってるけど怒ってる“。お互いを感じることができるようになる。

2年間は長いと感じるが終わると早かった。
研修所に行かなければ全て経験できないこと。
この基礎があるからこれからの自分そして舞台に向上心をもって取り組める。

まだまだ絶賛成長中‼︎‼︎‼︎

 

山脇千栄(やまわきちえ)「0になって」

34期(2015年4月入所〜2017年1月修了)
鼓童メンバー紹介:山脇千栄

 

 

 

 

 

毎日、家族が作ってくれた夕飯を
テレビと携帯を交互に見ながら食べ終え、
大好きな和太鼓の練習に出かける。

そんな私は胸を張って地元を飛び出した。

辿り着いた研修所は
すぐに「できない自分」と出会わせてくれた。

太鼓なんてもちろんのこと、
料理・生活算段・リーダーシップ。
何もできなかった。

なりたい自分になる前に、
まず自分の足で立てていないことを
身を以て知った時、もう周りに家族はいなくて、
後押ししてくれる地元の仲間もいなかった。

0になって、
初めて心から家族や仲間に感謝し、
自分の足で立とうと努力し始めた。

携帯のない世界で、初めて自分を生かしている
食べ物たちが目に入って来た。

地元の仲間のいない世界で、
初めて地球上の自然の中に
自分が在るということを認識した。

冬枯れしている木にも、よく見ればちゃんと小さな芽があった。
米粒一つ作るのにはとてつもなく手間と時間がかかった。

自分はなにも知らなかったんだと一人落ち込んでいたとき、
佐渡で出会った人たちや、電話の向こう側の家族や仲間は
それでも変わらず、2年間ずっと、頑張れと背中を押してくれた。

Photo: Takashi Okamoto太鼓を打つことができるのは、
周りに生かされてこそだった。

研修所。
そこは「0」になる場所。
かと思いきや、大袈裟かもしれないが、
実はその逆で、
あの場所こそ「全て」なのかもしれない。
と、今振り返ってみて思う。

 

様々な進路で活躍中

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