様々な進路で活躍中

高田邦生(たかだくにお)さん「芸能との出会いが縁で岩手へ」

 

18期(1999年4月入所〜2001年1月修了)

福岡出身。日本語教師を目指して進学した広島の大学在学中に鼓童の存在を知り、卒業を待たずして3年次で大学を休学し研修所へ入所。
現在(2019年)岩手県盛岡市在住。岩手県防災航空隊救助隊員、そして「黒川参差踊連中」として活動。

 

 

佐渡を離れてから、早18年が経ちました。

現在は岩手県盛岡市に住み「黒川さんさ踊り」をしています。研修生時代に出会ったこの踊りの持つエネルギーと美しさにハマってしまい、黒川さんさ踊りの研修所合宿稽古で地元の方に直接指導してもらったことが大きなきっかけとなり、研修所を離れた後1年間の大学生活を経て、盛岡に移り住みました。

佐渡との縁は今も続いており、昨年の9月には研修生時代からお世話になっている岩首余興部の鬼太鼓の皆さんを、盛岡市黒川にお招きし、共に黒川地区を門付けして回りました。

 

 

鼓童研修所の2年間は、私の価値観を大きく揺り動かし、今の自分の土台となるものを形作ってくれました。

鼓童研修所の取り組みは、鼓童プレーヤーの育成にとどまらず、効率性や生産性ばかりを追求しがちな世の中に対するアンチテーゼとしての役割を果たしていると感じています。

 

 

 

武田朋子(たけだともこ)さん「笛奏者として活動」

 

20期(2001年4月入所〜2003年1月修了)

東京都出身。江戸祭り囃子の太鼓と笛を習得。落語寄席でお茶子のアルバイトをしながら大学で江戸文学を専攻した後、佐渡にわたり鼓童研修所へ入所。
現在は能楽師笛方・一噌幸弘氏に師事。演奏、作曲、指導と、地域を越えて全国各地で幅広く活動中。

 

漆黒の海と金色の月、とろっとまるい真っ赤な朝日、こんもり膨らむ深い緑。今でも鮮明に脳裏に残っている佐渡の様々な色です。

東京育ちの自分にとって大自然が持つ色の濃さや、季節ごとのにおいや、お米のおいしさは実に衝撃的で、農作業の面白みにはまっては毎日の草取りで真っ黒になり、収穫したお米を食べ過ぎてぶくぶくと太ったりしていました。

 

あれから十六年。現在私は笛の演奏家として仕事をしています。常に、音楽とは芸能とは文化とは、という自問の繰り返しで迷いの無い日はありません。

でも、私の根底にはあの時の色、におい、陽射し、ぬかるみ、暑さ寒さ、痛みや喜びや衝撃などの強烈な感覚の断片が残っていて、自問のなかでそれらの断片がひょいと引き上げられて何かを導き出したり、無意識に自分を支える核となっていたりもします。

研修所は「習い事」では決して得られない、感覚や内臓に直接うったえる身体まるごとの学びの時間でした。

その衝撃のボディーブローがいまだ心身にじんわり効き続けている十六年目の春です。

 

 

南智征(みなみともゆき)さん「食文化の道を追求」

 

21期(2002年4月入所〜2004年1月修了)

京都芸術短期大学陶芸科卒業。京都造形大学中退。その後、鼓童文化財団研修所へ入所。
現在は、オンラインスクール「麹の学校」を運営。世界中のメンバーに麹の作り方を通した自然の原理を伝えている。

 

 

こんにちは、なかじと申します。研修所では「ゆき」と呼ばれていました。

ぼくは今、「麹文化を伝える」と言う活動をしています。あまりない職業ですよね。
「麹(こうじ)」って皆さん分かりますか?
麹は、日本の食文化に欠かせない基本調味料の全てに関わります。
味噌、醤油、お酢、酒、みりん。これらは全て麹から作られる発酵食品です。
あまり意識されませんが和食って全て発酵食品なんですよ。
山から山菜取ってきて、味噌であえても発酵食。海で魚を取って醤油で食べても発酵食。
これらの和食を食べながら日本人はものを考え、自己表現し、文化を作ってきました。
だからその大元である「麹」は、日本のグランマ的な存在だと思っています。

その麹文化が今、世界で注目されているんですよ。
北欧や北米のガストロノミーのお店に行けば、優美な店内の奥の厨房で今、シェフたちは、自分で麹を育て、自分たち独自の醤油や味噌を作り新しいメニューを開発しています。
日本人ですら知らない日本の伝統的な技術や知識を、今、海外の方が関心が高く、また熱心に研究しています。面白い時代です。

ぼくはそんな「知りたい」と言う熱意を持った人たちに麹の文化や技術を伝える仕事をしています。
もちろん日本人にも伝えています。
今、日本の伝統的な価値観や、技術、知識が世界中で求められています。
日本人の大人でさえ知らないし、関心がないものを海外のアーティストたちが注目しているのです。

その中で、麹や発酵を通して鼓童で学んだ日本人の暮らしや価値観も一緒に伝えています。
発酵の世界と出会ってぼくの中でこれまでの全ての経験が交錯しました。
世界の人々と交流し仕事をする上で、日本の伝統芸能や暮らし、価値観を経験していることはとても貴重な資質になります。

「自国を深い部分で体現できること」は世界に出れば賞賛される資質です。
これから世界へ表現していくときに、この鼓童での経験がとても貴重で、価値のあるものになると確信しています。

研修所では芸能で生きていく人、芸能以外の道で生きる人、ここから無限の選択肢が生まれます。
どのような道に進もうとここで経験できることは世界で唯一無二の経験です。
ぜひ自信を持ってこの時間と空間の全てを吸収し自分の糧にしてください。

どの世界に行っても、どのような表現の道でも、あたなの人生の大きなギフトになります。この2年間を全力で楽しんでください。

 

高田大介(たかただいすけ)さん「地元へ戻り地域文化を担う」

 

25期(2006年4月入所〜2008年1月修了)

熊本県美里町出身。高校卒業後、太鼓芸能集団 鼓童の研修所へ入所。
帰熊後、2008年5月より宇土市民会館ホールマネージャーとなる。2014年からは、熊本県内の若手太鼓奏者有志による太鼓芸能集団「紬衣」を発足し、主宰を務めている。

 

 

研修所での1年と10ヶ月、僕は自分に負け続けた。
朝のランニングはいっぱいサボった。
夜10:00ギリギリまで仲間が屋台囃子を打ち続ける中、部屋で寝てたりもした。
オフの日の農作業なんて、たまったもんじゃないって思ってた。
信頼すべき人たちを悪者にし、自分中心に物事が動くって勝手に思っていた。
結果、本気・精一杯・一生懸命どの言葉にもウソがあって、
それ以降の人生につきまとう、どこか後ろめたい自分のコンプレックスとなった。

結果、僕は準メンバーに上がれなかった。
当たり前である。

「本当はわかってるんだろ、原因は自分にあるって」
と、18歳の自分に言いたい。

佐渡を離れ、12年が過ぎた。
幸運なことに、地元に帰ってすぐにご縁頂き、
現在、熊本県宇土市の市民会館ホールマネージャーとして働いている。
事業企画、演出、広報、施設管理、時には演奏者・・・なんでもやりながら、
地域文化をコーディネートできる存在でありたいと思っている。

さらに幸運な事に、宇土には江戸時代から伝わる国指定重要有形民俗文化財「宇土の雨乞い大太鼓」があり、3尺を超える欅胴の長胴大太鼓が26基現存している。

今の自分があるのは、宇土の太鼓の文化の支えがあったから。
この宝ものをこれからの100年につないでいくことが、僕の使命。
それは、大太鼓そのものが残っていることが大切ではなくて、そこを中心にできている人間関係が一番の宝物。
みんな言葉にしては言わないけれど、それを信じて活動している。

12年前の自分へのコンプレックスは消えない。
けれど今は、そんな自分も愛おしく思える。
いま31歳。
「本気」のその先へ進んできたい。

 

 

金塚菜生子(かなづかなおこ)さん(旧姓:髙橋)
「『佐渡でくらす』という選択」

 

26期(2007年4月入所〜2009年1月修了)

岩手県奥州市出身。鼓童研修所修了後も佐渡で暮らす道を選択。佐渡の暮らしの中に残る昔ながらのもの作りに興味を持ち、知り合いのおばあちゃんの元へ通い作り方を習う。
現在は仕事と家事と3人の子の子育てに励むお母さん。
その合間に竹皮製の草履の制作なども行っている。

 

研修所生活での私の大切な体験の一つとして「手仕事」があります。

研修所では手や身体を本当によく動かしました。土に種を蒔き、米や野菜を育て収穫する。その稲藁を編んで草履を作り室内履きにする。もちろん太鼓や踊りだって同じく手や身体を使って何度も何度も稽古し、音や表現を磨いていきます。

初めは何にも出来ませんでした。「こんなの無理だ!できないよ!」とチンプンカンプンな頭の中から自分の叫び声が聞こえます。

でも、出来なくても分からなくてもとにかくやる。

すると手が、身体が覚えてくれるのです。

誰だって頭で出来ない分からないとなった時、投げ出したり諦めたくなると思います。でもその時「いや、もう少し続ければ手が覚えてくれる。」と自分の手を信じる事が出来るようになった事は、今の仕事や生活の中でもとても心強い支えになっています。

研修所生活は自分との闘いでもあると思います。でもその中で、どうか自分の身体を信じてください。そしてどうぞ存分に手を身体を動かしてください。

心臓が縮み上がるような大舞台に持って行けるのは、やはり自分が積み上げた稽古を共にした自分の身ひとつしかないと思うのです。

 

 

村下正幸(むらしたまさゆき)さん
「地元へ戻り演奏活動を再開。佐渡での学びを活かす。」

 

26期(2007年4月入所〜2009年1月修了)

大阪府出身。小学1年生の頃から父の影響で和太鼓に親しむ。
2003年、和太鼓と津軽三味線のユニット蓮風RENPUを結成したが、
自身の技術力向上の為、蓮風RENPUを一時活動休止し鼓童の研修生となる。
佐渡から帰阪後、蓮風RENPUを再始動し現在に至る。

 

● 鼓童研修所の魅力

私にとって研修所とは人間としての生き方を学べる場所でした。

十人いれば十人とも考えや感じ方、感性が違い、その中で共に米をつくって、太鼓を打って、寝る。その繰り返しの毎日です。そこには人間ドラマがあり、平等に流れていく時間があります。

「非日常の世界へようこそ。」という研修所でよく言われる言葉がありますが、まさにその通りです。

都会や町で生活しているとあって当たり前のものがなかったり、地域の方達との交流があります。

緑や自然に囲まれていない生活をしていると温度でしか季節を感じませんが、大自然に囲まれた研修所で生活していると季節ごとに大発生する虫たちに取り巻かれ、臭うわ、噛むわ、刺すわ、吸うわと、賑やかに四季の移ろいを知らせに来てくれます。

春の野花の美しさ、夏は空と海がくっいたような真っ青な景色、秋は黄金色の絨毯を敷いたような田んぼを眺め、目のさえるようなオレンジ色の柿が軒先に吊るされます。

冬になると景色は一変、空と海は灰色にかわり、凍てつくような寒さを経験します。また都会ではお隣の家の方の顔すらあまりよく知らなかったりします。

柿野浦や岩首集落の方達と交流する中で、研修生は佐渡の伝統芸能「鬼太鼓」を習います。

小さな集落なのですが、人と人との団結力がすごく、ひとつになって村の祭りを作り上げていく姿には本当に感動します。

四季を知らせてくれる虫や大自然、鬼太鼓や人との繋がりの温かさを教えてくれる集落の方達、当たり前にあるものがない事で自分の考える力に繋がり、想像力や感性が養われます。

考えの違いから同じ研修生と衝突することも多々ありますが、お互いの考えを受け入れ合えることができた時、前へ進む力は何倍もの力に変わります。

「自分以外は全て師」なのです。太鼓を学ぼうと思ってくる人が多いと思いますが、それは研修所のほんの一部だと思いました。

研修生活で佐渡に魅了されて、そのまま住む人がいたり、料理を作る喜びを知り、料理人になる人がいたり様々です。

自分を鍛え、感性を磨き、器を大きくし、可能性を見い出す。

すると世界は大きく広がりました。

(超長文を寄せていただき、そのごく一部を抜粋しました)