研修所講師ご紹介 〜水口囃子 野村和仁さん /三浦友恵
鼓童研修所講師の方をご紹介致します。
これまでも研修所でお世話になっている講師の方々を機関誌やホームページ内でご紹介していましたが、ここ数年できていませんでした。
鼓童の舞台が日々進化し続ける中、研修所の内容も進化しています。
鼓童の舞台を目指して研修に取り組んでいる研修生。
太鼓の稽古はもちろんですが、各地の芸能や太鼓以外の様々な事も学んでいます。鼓童研修所だからこそ学べるものです。
今回は、滋賀県に伝わる水口囃子「水口囃舎代表の野村和仁さん」についてご紹介致します。
水口ばやし水口囃舎 代表 野村和仁さん
2015年より研修所講師。
滋賀県甲賀市水口町出身の生粋の水口っ子。水口ばやし大好き!
(野村家は約三百年、水口に住んでいる)
甲賀市、あの甲賀忍者で有名なところ。水口は、その甲賀の中心として中世より栄えてきた。その甲賀地方最大の祭りが、三百年の歴史がある水口曳山祭り。滋賀県の無形民俗文化財に指定され、祭りの中で曳き廻される曳山の中で演奏されるお囃子が、水口囃子。
『私は、この三百年の歴史がある水口囃子が、幼少の頃から大好きで、父親や近所のおじさん、おじいさんはもとより、他の曳山町の古老などから教わり、ついには、水口囃子好きが、こうじて「水口ばやし水口囃舎(みなくちそうしゃ)」という団体まで作ってしまった「お囃子バカ」です。(笑)
この水口囃子、三百年も前のお囃子にも関わらず、音楽センスの良さから、全国的に有名なお囃子となっています。それ故、ほんものの水口囃子から逸脱したかなりアレンジされた水口囃子が、全国、全世界に広がってしまってます。その間違った水口囃子を何とかしたいとの思いで、活動しています。
「水口内部への正確な伝承と水口外部への正確な伝播」を活動の柱にして、頑張っています。』
『鼓童とは、奇跡的な出会いでした。』
2011年、東日本大震災の被害を考慮し、水口祭りが中止になりました。2012年度に私の町、天神町の曳山が出番山だったのですが、前年奉納出来なかった出番山からの順送りになった為、私の町は、2013年に繰り越しになったのです。
ちょうどその年の4月20日、水口祭り前後に鼓童メンバーも休暇を頂いたらしく、内田依利さん(当時メンバー)が、実家の愛知県に帰った時に知り合いに電話をして『明日水口祭りに行くんだけど、一緒に行く?』と誘われ、水口祭りに来られたそうです。その方は私の知り合いでもあり、祭り見学と私に出会う為に水口まで来た人でした。そして依利さんを紹介され、それから交流が始まりました。この偶然が、重ならなかったら鼓童さんとの出会いはなかったとおもいます。
それから翌2014年には、初めて佐渡に渡り、鼓童村と研修所にて水口囃子の稽古をして頂きました。
それから毎年、研修所に伺い講師をさせていただく栄を賜っています。
その出会いがきっかけで、アース・セレブレーションにて鼓童メンバーと水口囃子の演奏もさせて頂きました。
『水口囃子は口唱歌が大切』
私の指導は、三百年前から地元水口に伝わる口伝にて指導をしています。
西洋音楽が、日本に伝わる前から日本人が伝承する方法として磨いて来た方法にて、指導する・伝える事が、最も重要だと考えています。
水口囃子は、全国に残っている様々なお囃子の中でも、使用する全ての楽器の口唱歌が、完全に残っている非常に稀なお囃子であると、研究者の先生方から聞いた事があります。
お囃子で使用する、大太鼓、小太鼓、摺り鉦、篠笛の4つの楽器全てが水口囃子のメロディーラインを全て口唱歌で歌い表せます。口唱歌だけで、水口囃子が奏でられる事になります。
この事は、水口囃子の伝承にとって最も大切な事で、口唱歌通りの音をそれぞれの楽器を通じて奏でる事こそ水口囃子の本懐であると確信しています。
それ故、私の指導の大半は、水口に三百年伝わって来た口唱歌を学ぶ事から始め、口唱歌通りの音を各楽器で奏でる事に終止します。
その上で、各楽器の奏でる音、一つ一つがどの楽器のどの音と、関係性があり、どの様に噛み合うと良いかと言う様に指導しています。
三百年前のお囃子の設計図を理解してもらいながら、『生き物であるお囃子』を理解してもらう工夫をしています。
『様々な日本の音楽文化と接してほしい』
水口囃子を知らずに初めて研修所にて習う研修生の大半は、やはり、まず西洋音階で頭の中で換算してしまう事が多く、一つ一つの音が単に一つの音と理解して、奏でようとする研修生が多い様に思います。
日本の音楽、特にお囃子は、けっこう曖昧なところが多くあることも事実ですが、ポイントポイントでは、ものすごく集中して、合わせなければならない箇所があります。
例えば、水口囃子の場合、太鼓や鉦は、「地打ち」と呼ばれるベースとなる音に「玉打ち」と呼ばれる『間(ま)』を入れるのですが、地打ち自体が西洋音階で表しにくい(拍で割れない)拍子の為に、そこに乗せていく玉打ちも、その難しい拍子の地打ちに合わせた設計をされています。
昔の日本人の音楽センスの良いところだと思っています。
音楽とは、ドレミの五線譜で表されるものという固定観念を失くして、今後関わっていくであろう様々な日本の音楽文化と接してほしいと思います。
研修生の皆さんは、将来鼓童メンバーとして、日本全国、全世界での演奏活動をしていくわけですが、この水口囃子や説明の難しい日本の伝統的な文化を全世界の人達に伝えていってほしいと思います。
次回は『発声の講師 野上結美 先生』をご紹介します。