鼓童創立40周年 特別対談「佐渡の國 鬼太鼓座から半世紀。継承、そして未来へ」鼓童代表 × 浅野太鼓楽器店 社長
鼓童はおかげさまで2021年に創立40周年を迎えます。前身の「佐渡の國鬼太鼓座」を含めるとその歴史は半世紀に及び、日本全国、世界各地へと旅をしながら演奏活動を行っています。
数ある出会いとご縁に支えられ活動を続けられていますが、今回、鬼太鼓座、鼓童の誕生以来ずっと支えてくださり、今も応援くださっている浅野太鼓さんとの特別対談をお届けします。
◎聞き手:菅野敦司 ◎編集:坂本実紀、季刊「鼓童」編集部
浅野太鼓さんと
鼓童の歴史
鼓童と浅野太鼓さんの縁は、鬼太鼓座が生まれようとしていた1970年に「組太鼓一式をつくってくれ」と田耕氏が依頼したことからはじまった。約10年後、鬼太鼓座から鼓童立ち上げの転換期が訪れ、太鼓一式も無い状態からスタートすることが決まる。その様子を見た当時の浅野太鼓専務、浅野昭利氏が「出世払いでいい」と太鼓を用意して下さった。
以来、太鼓と共に世界を回ってきた鼓童は、2020年、鬼太鼓座から50年、鼓童となり40周年の節目を迎える。次の50年を見据え、太鼓と太鼓芸能について浅野太鼓楽器店代表取締役社長の浅野恭央氏と太鼓芸能集団鼓童代表の船橋裕一郎に話を聞いた。
太鼓と太鼓職人と
太鼓演奏者
船橋 11月から始まる『鼓』の公演で、『君達の〈太鼓〉は そこにあるだけで 充分に鑑賞に耐えうる工藝品であり、美術品なのだ。 だから、君達もそこにいるだけで 〈存在感を示せる人間〉であってほしい。(以下略)』という永六輔さんの言葉を掲載しているんですが、まさにその通りだなと思っています。僕たちが舞台でシンプルでいられるのはあの、美しくて静謐な太鼓があるから。浅野太鼓さんには公演にもきていただいて、僕たちの音の要望をきいていただけるので本当にありがたいです。
浅野 同じ太鼓でも、季節、湿度で音が変わりますからね。太鼓の音を決める革を張る作業も、昔は手や耳の感覚でやっていましたが、最近は周波数を計ってより細かい音をだせるよう取り組んでいます。私は、舞台の最初の音をイメージして、目をつぶって音を聴くんですが、最初の音が、自分がイメージしている通りだとほっとしますね。お客さんが音に納得してくれた時は一番嬉しいです。
船橋 アメリカツアーの時、太鼓を3台調整していただいて、ここまで音を一緒にできるんだと演奏者皆驚いていました。
浅野 太鼓をつくる立場としては、同じ太鼓が違う音を出すと『なんか違うな、気持ち悪い』と感じるんです。私の祖父は、『太鼓は太鼓屋が造り、音はプレイヤーがつくる』と話していました。太鼓だけ目立つのではなく、プレイヤーがたたき込んで音を変えていく中で、これだという音作りを目指していただきたい。特に鼓童には民俗芸能をアレンジしたり、素人は真似できないような、観客の心に残るものをつくってほしいですね。
船橋 今、作曲ができる若手メンバーが増えています。根底にある民俗芸能、郷土芸能、伝統芸能を身体に入れながら、新しい楽曲、演出を探る中で、こういう楽器が欲しいという要望も増えてくると思います。
浅野 なんでも言える雰囲気をつくらないとね。一人だと考える範囲は決まっているから。まとめるのは大変ですけど。
船橋 まとめて、決断して、進めていくのは大変です。でも『○○したい』からこそいいものができることもあります。意見を言いやすい、挑戦しやすい雰囲気づくりは大事にしたいですね。
浅野太鼓と鼓童の
守るもの・変わるもの
浅野 太鼓は高額な楽器です。だから、考えているのは、いかに求めやすくお客さんに提供できるかということ。昔は手作業だったので時間もコストもかかりました。ただ、機械や早さを優先させると、大事なカンナや刃物を研ぐという作業がなくなってしまう。そういった、受け継いできたものがとだえてしまうのは怖いと感じます。次の世代がどうするかは任せますが、今まで伝えられてきたことは次に伝えていきたいですね。
船橋 先輩から受け継いだものは守って持ち続けていきたいので、僕たちも葛藤があります。同時に、新しいことを考えた上で時代に合わせたものを出していかないといけない。
浅野 昔と今では、指導の仕方も全然違いますしね。昔は根性や気持ちが大きかったんですけど、今はそういうことを若い人に押し付けると煙たがられる。うちでは、電話注文が多いんですけど、音の高い、低いは主観で変わるし、同じ太鼓でも、使う用途によって音や好みが違う。だから、職人さんには現場にできるだけ足を運んで、どんな太鼓でどんな音が欲しいか、どう使うかも確認することを大切にしてもらっています。鼓童さんも昔と違ってきましたか?
船橋 僕らの頃は、太鼓未経験の同期が数人いたんですけど、今は入ってきた時点で非常にレベルが高い人が多いです。ただ、僕たちの場合は一旦生活含め、厳しい環境下に置くので、舞台に近い研修をイメージしてきたら、戸惑うかもしれません。カリキュラムはより進化して、高度なものになっています。
浅野 太鼓の扱いはどうなっていますか?
船橋 より丁寧になってきています。大先輩の見留が、年間通して研修生に対して太鼓の扱い方も丁寧に教えているのが大きいですね。『楽器や道具を何よりも大切に扱わなければ演奏も上達しない』と伝えています。
これからの50年で共に生み出したい
新しい楽器
船橋 今回のコロナ禍では、僕たちのグループ自体が存続できるかというところまで直面しました。こだわりは大切ですが、まずはこのグループを継続させ、残していくことがいかに大事かということを体感したんです。鼓童は、今までの50年の間に、舞台の型みたいなものができつつあります。それをしっかり受け継いでいくことで、ある意味型破りな、色んな表現に挑戦していける。次にどういう環境で渡すかは使命かなとは思っています。ただ、先輩にきくと『常に大変なことがあったし、何もないところから来たから何も怖くないよ』っておっしゃっていて。一番上の先輩方の存在が心強いです。
浅野 本当ですね。自分達も、とにかく今ある大切なものを次に伝えていきたい。先代から受け継いだ楽器作りをもとに、これからは今までないような思い切った型破りな太鼓も作ってみたいですね。プレイヤーからの意見も大事にしていきたいのでどんどんリクエストしてもらえればと思います。できることはなんでもやります。
船橋 浅野太鼓さんの長い歴史と、新しいものに挑戦していく考え方を伺うことができて、僕たちも大切なところは守りながら、常に新しいものも模索していきたいと思えました。今後は、社長や職人のみなさんにも公演はもちろん、佐渡の合宿施設や稽古場に来ていただいて、僕たちが曲や作品をつくる過程を見ていただきたいです。同時に、僕たちプレイヤーも工場を見せていただいて、お互いのやり取りの中で楽器がうまれてくる過程を共有しながら太鼓を作り上げていく、なんて取り組みもできたら面白いかなと思っています。
浅野 鼓童は日本の太鼓団体のトップを走る太鼓打ちだと思うので、今後も、一緒に協力し合って、新たな楽器をつくっていきましょう。