ニューヨークの観客の熱狂に 国も民族も超越した芸術の光を見た/小説家 真山 仁

ニューヨークの観客の熱狂に
国も民族も超越した芸術の光を見た

小説家 真山 仁

2017年1月から3月まで全米22都市29公演を行った「打男DADAN」のアメリカ初公演は、大盛況の内に終わった。そのツアーの目玉と言えるニューヨークBAM公演を振り返る。

現代芸術の聖地であるニューヨークにあって、ブルックリンのBAM(Brooklyn Academy of Music)は、次世代をリードをする芸術、アーティストが発見できる場所として知られる。

フォート・グリーンというブルックリン最北部に位置する地区にあるBAMは、ヨーロッパの劇場を思わせる白亜の建物で、教会のステンドグラスを思わせるアーチ型の大きな窓が印象的だ。


このところ、ブルックリンは再開発が進み、リバーサイドは新興高級住宅街としてマンハッタン並みのコンドミニアムが立ち並ぶ。そんな中、BAMがある一帯は、どこか時間を超越した雰囲気を保ち、まさにアメリカの芸術文化を牽引する風格を感じさせる。

鼓童は、既に2年前に「神秘」で初登場を果たし、大好評だった。

BAMで20年間総支配人を務めるジョー・メリロ(Joseph V.Melillo)氏は、「大ファンだった玉三郎がどんな演出をするのかと注目していたが、想像以上の素晴らしい作品で、さらにファンになった。近年、彼ほどシアトリカル(演劇的なという意味だが、メリロ氏が言いたかったのは、劇場空間を熟知した演劇的醍醐味の極意という意味)な世界観を持つ演出家に会ったことがない」と当時を振り返った。

今回は、鼓童の若手の男性メンバーで構成され、よりエネルギッシュかつ先鋭的な演奏を目指す「打男」が登場するとあって、公演が待ち遠しかったと期待を膨らませた。

若さと魅せる舞台で
鼓童の可能性を広げた集団の今が幕を開ける

「打男」初演(撮影:田中文太郎)

「打男」が初演されたのは、2009年だ。後に鼓童の芸術監督に就任する玉三郎が、初演から演出を手がけた。東京・世田谷パブリックシアターでの初演は、漲る情熱を余すことなく放出しながらも、同時に魅せる舞台の工夫が随所にある画期的なステージだった。

これが玉三郎が鼓童という太鼓芸能集団において目指そうとしている方向性なのかと思ったのを覚えている。

その初演以来、8年ぶりとなる舞台を、まさかニューヨークで観るとは思っていなかった。しかも、北米ツアーの折り返し点の時期での公演だけに、メンバーがアメリカ各地でどんな手応えと刺激を手にしたのかを感じ取れる場としても期待した。

その一方で、鼓童の正規公演と異なり「打男」は、メンバーがどんどん〝卒業〞していく。実際、初演を経験しているのは、14人中坂本雅幸、一人だけだ。

坂本雅幸

「僕自身も、北米ツアーが決まる直前に呼ばれて急遽参加することになった。初演の時は、先輩に着いていこうと思って必死だが、いつのまにか自分が牽引する側になって、まったく別の気分で臨んだ」

ニューヨーク公演終演後、坂本がそう振り返るように、同じメンバーで作品を磨き上げていくのではなく、先輩たちが辿ってきた軌跡を若手が作品を通じて吸収し、その時その時の新しさを披露しているというスタイルも、鼓童には珍しいユニークな舞台だった。

連日満員に近い観客を集め、開演前から舞台に期待する観客のムードが高まる中、ステージは始まった。

いきなり時間と場所を忘我する
舞台上の世界に引きずり込まれた

BAMの観客は、厳しいと言われる。公演中でも、観る価値なしと判断すると席を立つという光景も珍しくない。

そんな中、観客の多くは、食い入るように舞台を見つめているのが印象的だった。

8年という歳月を経て、作品にも様々な創意工夫が加えられていた。

例えば冒頭の演目は、初演時にはなかった。だが、その演目によって、観客はニューヨークという場所と、現代という時間を超越した特別な時空にタイムスリップする――。これこそが、玉三郎が目指すシアトリカルな舞台の幕開けにふさわしい。

それを観た時に、「打男」は常に玉三郎が鼓童で目指そうとした世界観の実験場であり、それが昇華された上で、本公演に生かされてきたのだという実感を持った。

シアトリカルな舞台と簡単に言うが、様式的に作り込むことはさして難しくはない。だが、観客が、時空を飛んで一気に舞台上の世界に引っ張り込まれるような作品を創造するのは至難の業だ。

そのためには劇場空間という密室の特質を理解し、舞台に立つ者それぞれの気持ちと肉体が、創造的なパフォーマンスをする必要があるからだ。

だが、「打男」はまだまだ成長過程の若者たちの集団だ。若さと情熱はあるが、人間的な奥行きや胸に秘めた思いや感情を創造的に表現する経験値が足りない。

なのに、「打男」のステージはシアトリカルなのだ。

それは、演出家が、若いアーティストが持つ資質を見抜いた上で、それを引き出すための術を知っているからに他ならない。

すなわち、時に演奏者にはそれがどのように舞台上から放たれているのかを正確に把握できていなくても、玉三郎の指示を愚直に守り、そこに情熱と若さをぶつけることで化学反応が起き、シアトリカルな世界観が出現したのだ。

素晴らしい打楽器パフォーマンスだから
BAMの観客は熱狂した

玉三郎は、鼓童の芸術監督を続けていく上で、「和太鼓奏者ではなく、打楽器の演奏家として、世界のどこでも通用するアーティストを目指して欲しい」とメンバーに訴え続けた。

「打男」でも、それは徹底されていた。

そのため、伝統芸能としての和太鼓演奏を観客が期待したのであれば、違和感を抱いたかも知れない。

しかし、BAMに集う観客は熱狂した。ライブが進むにつれて、そのボルテージは上がり、フィナーレでは、劇場の観客の全てがスタンディング・オベーションで称えた。

終演後の観客の声を聞いて驚いたのは、和太鼓ファンだから来たと言うよりは、BAMが面白そうな公演をやるので見に来たら、衝撃を受けたと話す人が多かったことだ。

あきらかに日本とは集まった観客の層が違うのだ。

日本では、太鼓ライブは観客も和太鼓ファンが多い。したがって、お決まりの演目が必要だし、それを承知の上で意外性や衝撃を生む必要もある。

しかし、BAMの観客は、そんな小さなカテゴリーの中で「打男」を観ていない。彼らは、ただ素晴らしい打楽器パフォーマンスに感動し、「さすがBAMが選んだだけはある!」と膝を打ち、日本には面白いアーティスト集団「鼓童」がいると記憶しただろう。

和太鼓を披露するのではなく、素晴らしい打楽器ライブを堪能してもらう。それに観客が刺激を受け、劇場に熱狂の風が渦巻く――。まさに、それこそが芸術ではないか。

何度も喝采を受けた若き奏者たちの顔は、本当に晴れ晴れと輝いていた。

自分たちの演奏の手応えを強く感じただけでなく、芸術はかくもあっさりと国や民族の壁を超えて、共感が広がっていくのかを肌で感じ取れたからに違いない。

終演後、ジョーに感想を聞いた。

「言葉は不要だろ」

そう言ってウインクしたBAMの主の目は少年のように輝いて見えた。


▼「打男 2017」国内ツアー 2017年10月〜12月

「打男 DADAN 2017」日本ツアー


真山 仁 JIN MAYAMA
小説家。1962年大阪府生まれ。同志社大学法学部卒業。新聞記者、フリーライターを経て、2004年『ハゲタカ』でデビュー。2007年に『ハゲタカ』『ハゲタカⅡ』を原作としたNHK土曜ドラマが放送され、反響を呼ぶ。経済、政治、農業、エネルギー、震災など、現代社会が抱える問題に光を当てた作品多数。近著に『そして、星の輝く夜がくる』『売国』『バラ色の未来』『標的』など。鼓童の芸術監督を務めた坂東玉三郎との交流は20年以上に及ぶ。

【DATA】
「打男 DADAN」 ニューヨーク公演

2017年3月1日〜4日
会場:ブルックリン・アカデミー・オブ ミュージック(BAM)

撮影:岡本隆史