モノクローム、モノプリズム 50年ものがたり|第1回(1)〜(3)
鼓童の代表曲の一つ「モノクローム」と、オーケストラ版の「モノプリズム」。
2026年の初演50周年を記念して、鼓童のインスタグラムでは連載投稿を行っています。
本ブログでも今回初出の写真を追加し、楽曲にまつわるエピソードを通じて、今年創立45周年を迎えた鼓童の足跡をご紹介します。
今回はグループ草創期のメンバーに聞きました。

ボストンで佐渡の國 鬼太鼓座の公演を観る小澤征爾氏とアイザック・スターン氏(1975年)/大太鼓を叩く大井良明(左側)
(1)それはボストンからの国際電話で始まった~1975年、曲の誕生
「モノクローム」と「モノプリズム」が生まれた背景には、前身の「佐渡の國 鬼太鼓座」をアメリカ・ボストンで観た世界的な指揮者の小澤征爾さんが、旧知の作曲家である石井眞木さんに電話をかけ、彼らの太鼓を聴くよう強く勧めたことがありました。その後、石井さんは佐渡に渡って鬼太鼓座の稽古場で代表的な演目や奏法を見た後に「ここに現代的な『太鼓音楽の創造』が入り込む余地がある」と直感。3度の訪問で曲の構想を練り上げ、「モノクローム」と「モノプリズム」の2曲を作曲しました。
| 当時、特別な曲をやっているという意識はなかった。あくまでも演目の一つ。鬼太鼓座の時代だからね、走ることで体力はあったし、それから『屋台囃子』にしても叩きっぱなしみたいな稽古をずっとやってたわけだから、あんまりキツいって感じは正直なかった。身体的な負担としてはこれまでの伝統的な演目とそんなに変わらなかったと思う。(大井良明) |



写真
[1枚目]タングルウッド音楽祭でのリハーサル、指揮は小澤征爾氏(1976年)
[2枚目、3枚目]1970年代の「モノクローム」。1枚目の写真は締め太鼓をバチで支えていたが、激しい打ち込みに耐える強度がないため、この時には鉄製の台が開発されて使われている。この鉄台は現在は広く普及して用いられている。
[4枚目]撮影日、撮影場所不明。おそらくヨーロッパ公演での写真と思われる。

1981年ベルリン芸術祭にて。写真上)カーテンコールの様子。後方右から2番目が大井良明。写真下)公演ポスター、当時は「佐渡の國 鬼太鼓座」から鼓童への移行の時期。主催者との都合で、クレジットは「ONDEKO-ZA」のままとなっている。
(2)「あれ、終わんねェな」って~1981年、鼓童デビュー公演
「佐渡の國 鬼太鼓座」の約10年を経て、1981年に鼓童として新たな門出を迎えます。デビュー公演は、東西分断時代の西ベルリンにあったベルリンフィルハーモニーホールでの「モノプリズム」(指揮・石井眞木)。世界に名だたるこの西洋音楽の殿堂での演奏後には1時間におよぶアンコールの拍手が鳴り止まず、圧倒的なインパクトでの衝撃のデビューとなりました。
| 『あれ、終わんねェな』って。舞台に出てってお辞儀して帰ってくる訳じゃないですか、いつまで経っても『出てって礼』の繰り返しで、指揮の眞木さんが『太鼓たたいてよ』って言ったんで、やっと気がついてアンコールの曲をやったんです。 僕たちには初めてのことだったから、眞木さんがそこにいなかったら、どうしていいか分からなかった。(大井良明) |





写真
1)ベルリンフィルの前で記念撮影(写真:富田和明)
2)アンコールの写真、中央が石井眞木さん
3)ベルリンフィルでのリハーサル風景
4)リハーサル後の石井眞木さん、左は武満徹さん(写真:富田和明)
5)同じツアーのドイツ、ケルンでの「入破」の初演時の楽屋でのスナップ、右端が石井眞木さん

佐渡の國 鬼太鼓座時代の宣材写真
(3)鼓童がそれを変えた理由~1980年代前半、世界ツアーへ
1984年には「ワン・アース・ツアー」を掲げて国内外でツアーを開始。「モノクローム」は鼓童を代表する演目として、各地で大きな反響をいただきました。ただ当時の「モノクローム」は、鼓童の舞台で演奏する際には少し具合の悪いところがありました。
| 鼓童で変えたことを、作曲した石井眞木さんに後で見てもらったのは、もともとあった『大太鼓』の部分をなくしたことなんです。鼓童の舞台なんだから、大太鼓の屋台を先に見せるのではなく、ラストのクライマックスで出てきた方がいいでしょっていうことで。 眞木さんに見てもらった時には嫌な顔したと思うよ。だけどそこは納得してくれていました。(大井良明) |
それ以降「モノクローム」は大太鼓なしのバージョンが主となっていますが、2016年の「若い夏」、2018年の「道」公演では、大太鼓の入ったオリジナル版の「モノクローム」を上演しました。
写真
1)2016年の「若い夏」
2)2018年の「道」