鼓童ブログ Kodo Blog

月刊「鼓童」より

追悼 永 六輔さん③/ありがとう、永さん。鼓童メンバーからのメッセージ


ありがとう、永さん。
鼓童メンバーからのメッセージ

2013年12月「小島千絵子トーク&ライブ『紅の寿』」にて(写真:宮川舞子)

2013年12月「小島千絵子トーク&ライブ『紅の寿』」にて(写真:宮川舞子)

永さんが亡くなった。

でも…永さんは消えない。

永さんの大きなエネルギーが、ゆったりと拍動しながら近くにある。

「バカ。ちゃんとできたって、しょうがないんです‼」
「夢見る乙女はやめて。現実の明日に、つながってんの? これ。」
「ハッハッハッハッ(大笑)」(私の落ち度に対して)

あー、いっぱい怒られた。怖かった。でも、嬉しかった。そして、、、、、私を絶賛してくれたのも、永さんだった。

今、国や世界の様々な状況から不安に陥りそうになると、見えない永さんから「喝」が飛んでくる。

「何があっても、太鼓は世界平和の親善大使。それを忘れないで!」

叱咤激励をいただき続けた35年が、これからも私たちを育み養う糧となり続けることを想う。

永さん、いつまでも、ありがとうございます。

藤本容子

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2000年7月「佐渡あたりでバチあたり」のリハーサルにて(写真:吉田励)

2000年7月「佐渡あたりでバチあたり」のリハーサルにて(写真:吉田励)

「鼓童の太鼓は聴いてるだけで疲れる」「音に遊び心を感じない」「あのタイミングであれはないだろう!」「なんでお前たちは…」

永さんからは、ためになるお話を伺ったと云うよりも、叱られた思い出の方が断然多い。でもそれは、次に会うまでの宿題を出すと云うことだったのだと思う。

「お前たちは、もっと大道芸を勉強しなさい。あの人たちは予期せぬ事態の連続の中で芸を行ってるんだ。」「観客の反応、アクシデント、自分のミスでさえ瞬時に小銭に変えるんだ!」 その後訪れたエジンバラフェスティバル。僕は劇場公演そっちのけで大道芸だけを観て回った。それも同じ人を最低三回追って。

勿論そんな程度の経験で身に付くものではないけれど、交流学校公演やワークショップなど、参加者の反応やその場で起きたことを取り入れて、舞台を進行する意識が生まれて来たと思います。まぁまだ宿題を提出するレベルではありませんけど。

それはそうと、遠慮なく叱って下さった方が居なくなって寂しいと云うより、この先を思うと途方にくれていると云った気持ちですよ、永さん。

齊藤栄一
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2003年10月「永六輔さんコンサート『鼓童大慶寺を鳴らす』」にて(写真:田中文太郎)

2003年10月「永六輔さんコンサート『鼓童大慶寺を鳴らす』」にて(写真:田中文太郎)

今、私がここに在るのは、永さんのおかげです。

私がまだ何者でもなく、何かを探し混沌としていた頃、愛読していた『話の特集』の中の永さんのエッセイに「鬼太鼓座の若者」の文字を見つけました。間もなく篠田正浩監督のドキュメンタリー映画「佐渡ノ國鬼太鼓座」と実演のステージを観て、若い鬼たちの中に飛び込みました。永さんは広告塔として佐渡と若者を繋いでいました。

鼓童になってしばらく、たった一人の女性として踊りを担っていた孤独な心持ちの頃、やはり同じ雑誌に鼓童の評と共に私への文がありました。「単なる太鼓のいろどりから、踊りの場面を獲得し、さらに太鼓に負けていない、舞台を引き締めている。鼓童はこの財産を大切にして欲しい」その言葉に励まされてまた上を向いて歩き出すことが出来ました。

その後も女性三人のユニット「花結」を立ち上げた時からその趣旨や表現を面白がって頂き、時々にご指導の機会を頂きました。少数派への愛に満ちて厳しく優しいまなざしに、伸び伸びと学び成長できたのも永さんのおかげです。

永さんが旅立たれた後、私達の中に永さんのいのちは引き継がれ、地球をまた旅して参ります。永さんを思い、感謝の手を合わせます。

小島千絵子
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追悼 永 六輔さん①
http://www.kodo.or.jp/blog/kikanshi/20160918_10962.html

追悼 永 六輔さん②/永さんからの伝言
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追悼 永 六輔さん②/永さんからの伝言


2007年の月刊「鼓童」新年号に、永さんのインタビュー記事を掲載しました。その中から、寄せてくださった言葉を抜粋して紹介させていただきます。いただいた時から10年経った今の私たちが、あらためて胸に刻まなくてはいけない言葉の数々です。

永さんからの伝言

鼓童公演をご覧いただいたあとにくださったお手紙。

ほめ言葉なんていくら集めても何の役にも立たないですよ。アンテナを研ぎ澄まして悪口を集めないとだめですよ。

だって鼓童は、ただ叩いているだけなんだもん。始めは叩いている行為に感動して「鼓童っていいね〜。すごいね〜」って皆言うけれど、その後は何が残るか。圧倒するのはね、若ければ叩き方しだいで誰だってできることですよ。

リーダーとしての意識があるんだったら、全国の太鼓をやっている人に、「太鼓とは本来どういうものか」っていう問い直しをしないと。

八丈太鼓なんて習ってできることじゃないでしょ。太鼓が「あ、歌ってる」「あ、語っている」っていう聴こえ方がするんですよ。これは習ってできるものじゃありませんよって、そういうことを伝えるのも大事なことじゃない? そういう考え方ができるようになると、太鼓に向かう姿勢が謙虚になるでしょ。太鼓の音をどういう感性で受け止めるかっていうこともね。

「打ち手は同時に語り手で…」っていったけど、太鼓で語ればいいの。それは絶対に伝わるものだと思う。

楽しさってこういうもんですよ、ということを、太鼓を通して、どれだけ他のものにつなげられるか。僕はそれを作りたくて佐渡に通ったんです。

鼓童はとってもブレーンの作り方が下手なんだよな。だから遠慮するじゃない、こちらも。お互い遠慮しない関係でいることができれば、いろんな人も呼べるでしょ。そして、呼んだ人からいろんな芸を絞り取らなきゃ。僕も絞り取られたって記憶ないもの。それはとっても損なことだよ。

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皆、年とっていくんです。老化とか年をとっていくことの怖さっていうのは年をとらないと分からないんですよ。爺さんばっかりのグループも作っていくことをしないと、みんな無理がいくよ。無理がいく仕事なんだもん、叩くってことは。大きな太鼓なんか持ち歩けないからね。
小皿叩いても鼓童でなきゃ。

これからの宿題とすれば、芸能集団としての鼓童と、それから最初からやろうといっていた学校づくり、民芸・工芸を含めたものづくり。今、やりつつあるじゃないですか。それが、もう少し形にならないかなって思うんですよね。舞台とは別でいいんですよ。今までを振り返って、何が足りなかったのか、だめだったのかっていうマイナス面を全部ピックアップして、直すんじゃなくて、マイナスをそのまま魅力にするっていう発想でね。

追悼 永 六輔さん①
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追悼 永 六輔さん③/ありがとう、永さん。鼓童メンバーからのメッセージ
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追悼 永 六輔さん①


追悼 永 六輔さん

2003年鼓童村にて(写真:田中文太郎)

2003年鼓童村にて(写真:田中文太郎)

放送文化のひとつの時代を創り、多くの方々に影響を与えてこられた永六輔さんがお亡くなりになりました。鬼太鼓座・鼓童の出自に関わり、長年にわたり私たちに厳しくも温かく叱咤激励してくださいました。心からご冥福をお祈りするとともに、その言葉の数々をあらためて胸に刻みたいと思います。

佐渡、宮本常一先生、鬼太鼓座、鼓童
鬼太鼓座、鼓童の始まり

永さんとの出逢いは45年前、鬼太鼓座を始めるきっかけとなる、人を集めるところからになります。

1970年、当時パーソナリティーを務めていたラジオの深夜番組で、鼓童の前身「佐渡の國鬼太鼓座」が誕生するきっかけとなった「おんでこ座夏期学校」開催を呼びかけたのが、永さんでした。永さんのお話によれば、詩人の谷川俊太郎さんから「佐渡で島興しをやろうとしている若者がいる」という連絡があり、田耕氏が谷川さんの紹介状を持ってTBSへ来社。ちょうど「パック・イン・ミュージック」というラジオ番組をやっている頃で、その話がそのまま放送で流れた、という、このグループの生まれるところからの関わりです。実はそれ以前から、宮本常一先生と本間雅彦先生のつながりで佐渡へのご縁はつながっていました。

永六輔さんと宮本先生

宮本常一(みやもとつねいち=1907〜1981)/「旅する民俗学者」と呼ばれ、ひたすら歩いて日本中の民俗や民具を調査した、日本を代表する民俗学者。農村や離島の振興に尽力され、また「職人(日本海)大学構想」を提唱するお一人として「佐渡の國鬼太鼓座」誕生に関わられた、鼓童にとって大変縁の深い方。

永さんは戦後、日本の歴史観が大幅に変わる中で歴史を学ぼうと志します。なかでも、一番身近にあった民俗学を宮本先生に学びました。

20歳の頃、テレビ開局を機に、放送業界へ進もうとする永さんに、宮本先生が贈った言葉は「放送の仕事は電波の仕事。電波は山や海を越え、どこまでも行く。我々は今まで歩いて日本中を調べてきた。君は電波を発信して日本を調べなさい。だけど、一つだけ約束してほしい。電波を出すだけではなく、届いている電波の先へ行ってほしい。どういう風に情報が受け止められているかを調べて、スタジオに持ち帰って話をしなさい」というこの言葉を支えとして活動されていらっしゃいました。

宮本先生への思い

永さんが、鼓童と接するときにいつも心を配られていたのは宮本先生ならどう思うか、ということだったように思います。

「鼓童と一緒に仕事をする時に僕が一番したかったのは、宮本先生のやり方なんです。歯食いしばって、何かするんじゃなくて、できることだけしていればいいんだから。あるものを大事にして、そこでできることだけでそれで満足しなくちゃいけないと。もっとよくしようとか、もっと豪華にしようとか、それは宮本さんのやり方じゃないの。宮本さんはそんなこと全然考えない。時間の流れの方が大切なんだ。だから、今回は衣裳にしても鼓童にあるもので、それを如何に工夫して生かすか、という発想でやりました。(中略)宮本さんは、あくまで日本の国の中の人で、世代的にもそういう時代の人だから、海はあるんだけれど、世界は見えてこないんですよ。だけど、それを受け継いだ鼓童の世代は、佐渡だけじゃない日本だけじゃない、アジア、世界って言う展望の中で、世界中の太鼓の叩き手に、宮本さんの考え方を伝えていくことだと思うんですね。」(一九九六年「永六輔の『鼓童で遊ぼう』」のインタビューより)

宮本常一(みやもとつねいち=1907〜1981)/「旅する民俗学者」と呼ばれ、ひたすら歩いて日本中の民俗や民具を調査した、日本を代表する民俗学者。農村や離島の振興に尽力され、また「職人(日本海)大学構想」を提唱するお一人として「佐渡の國鬼太鼓座」誕生に関わられた、鼓童にとって大変縁の深い方。

永六輔さんと本間先生

2000年5月柿野浦の研修所にて 本間雅彦先生もご一緒に(写真:吉田励)

2000年5月柿野浦の研修所にて 本間雅彦先生もご一緒に(写真:吉田励)

永さんは宮本先生のつながりで、本間雅彦先生と知り合います。中でも、一緒に活動をされていた小沢昭一さんが、日本の放浪芸を追求していくなかで目をつけ、一度は完全に亡びたといわれていた佐渡の芸能のひとつである「春駒」の収集を、本間先生がしてくださったことを後々まで語っていらっしゃいます。

2010年6月に、永さんがラジオの仕事で佐渡にいらしたのですが、ちょうどその日が、本間先生の告別式でした。お手紙の中で、その日に佐渡にいられたことに胸を熱くした、と書いていらっしゃいます。

本間雅彦(ほんままさひこ=1917〜2010)/1959年、九学会調査で佐渡を訪れた民俗学者・宮本常一氏と出会い、その人格・研究姿勢に大きな影響を受けた。佐渡の國鬼太鼓座〜鼓童の佐渡で一番の支援者であり理解者。「てずから工房」主宰。佐渡島内の各町村の郷土史や民族研究など執筆多数。

本間雅彦(ほんままさひこ=1917〜2010)1959年、九学会調査で佐渡を訪れた民俗学者・宮本常一氏と出会い、その人格・研究姿勢に大きな影響を受けた。佐渡の國鬼太鼓座〜鼓童の佐渡で一番の支援者であり理解者。「てずから工房」主宰。佐渡島内の各町村の郷土史や民族研究など執筆多数。

鼓童への思い

「僕は、鬼太鼓座初期の舞台から立ち会っているわけだけど、ファンであって、クリエイターではない。応援団かと言われると、応援団でもない。つまり鬼太鼓座が10年、鼓童が25年あるとして、じゃあ、あなたは何をしていたのですか? と言われると、これといって何にもないんですよ。鼓童がこうなるといいなと思う願望はあります。ささやかながら、そういう手伝い方はしてはいるんですけどね。」

鼓童の30周年の記念誌「いのちもやして、たたけよ。」に本間先生と鼓童のあるべき姿を語った、と書いてくださっています。

もっと歌え、舞え、踊れ。
もっと語れ、弾け、遊べ。

追悼 永 六輔さん/青木孝夫

鼓童には遊びがたらん! 圧倒する太鼓は若ければ叩き方次第で誰だってできる。もっと太鼓で歌え、語れ!

衣装にしても、画一的で個がみえない。もっと自由に!

君たちは批判という声にうたれ弱い。もっと強くなれ!

大きい太いバチでなくてもいいだろう。バチでなく手を叩いてほしい

もっと子どもやお年寄りに楽しんでもらえる芸を身につけなさい。

1980年代から、私は永さんにお会いするたびに、このようなお説教を浴びせられ続けました。当時は若さゆえ、その言葉の意味が理解できずによく落ち込んでいました。しかし、2003年、坂東玉三郎さん演出の舞台をご覧いただいた時に、和紙に書かれた棟方志功の版画絵と永さんの直筆のメーセージは嬉しかった。

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「僕の待っていた鼓童に近づきつつあります。声を・・と 三十年! ありがとう 玉三郎さん」

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「人間自分で変えられない時は変えてもらえればいいのです。まだまだ変われます。」

現在、玉三郎さんにご指導を仰ぐ中で、永さんのこの言葉の意味と通ずることがたくさんあります。

「むずかしいことをやさしく、やさしいことをおもく、おもいことをおもしろく」。この、井上ひさし氏の言葉も永さんから教えてもらいました。

いつも愛情深く、厳しい叱咤激励をいただいた言葉のひとつひとつを胸に刻み、まだまだ先は長いと思いますが、永さんに褒めてもらえる鼓童に変わっていけるように自由に「遊びたい」と思います。

ありがとうございました。
合掌

鼓童グループを代表して
青木孝夫

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2003年11月 「鼓童ワン・アース・ツアー スペシャル」をご覧いただいた後に寄せてくださったお手紙。

追悼 永 六輔さん②/永さんからの伝言
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追悼 永 六輔さん③/ありがとう、永さん。鼓童メンバーからのメッセージ
http://www.kodo.or.jp/blog/kikanshi/20160918_10964.html


【出逢い】「浮島神楽」作曲家・伊左治 直氏インタビュー『我が意を得たり 共に紡ぐ伝奇』/寄稿・清川 仁


鼓童創立35周年記念コンサート 第一夜
~出逢い~
8月18日(木) 東京・サントリーホール

<鼓童×新日本フィルハーモニー交響楽団>
ープログラムー
伊左治直作曲 「浮島神楽」世界初演
猿谷紀郎作曲 「紺碧の彼方」世界初演
石井眞木作曲 「モノプリズム」
冨田勲作曲 「宇宙の歌」

「浮島神楽」作曲家・伊左治 直氏インタビュー
我が意を得たり 共に紡ぐ伝奇

文●清川 仁

最初、作曲の話があった時の高揚感は、ちょっと格別でした。鼓童のCDはずっと聴いてきたので、本当にうれしかったですね。僕はブラジル音楽が好きなのですが、ブラジルにはサンバがあるけど日本には鼓童があるぞ、という思いも抱いていました。

Photo: Erika Ueda

今回は、まずワークショップのようなことをやりまして、自分の曲のサンプルをどんな風に叩いてくれるのか、色々な楽器を叩いてもらって音を確かめてみました。そして、練習をしながら、鼓童のみなさんと一緒に曲を作り上げていきました。僕の要求に対して、返ってくる反応が素晴らしいんですね。「こうやると、こう音色が変わります」とか、僕じゃ分からない楽器のことを教えてくれる。

Photo: Erika Ueda

鼓童は、和太鼓だけじゃなくてプラスアルファで色々な楽器を取り入れているので、今回はスリットドラムを入れてみました。また、僕は音だけでなく身ぶりや振る舞いにも興味があるので、音の良さだけじゃなくて、叩くフォームを含めて楽器を選択しました。オーケストラだけの時も身ぶりを取り入れたり、普段使われない打楽器を使ったり、ちょっとしたパフォーマンスも取り入れます。それ以上に鼓童は徹底しますよね。玉三郎さんが演技指導までして下さるんですから。

Photo: Takashi Okamoto

新潟県佐渡市・乙和池。中央、奥に浮かぶのが巨大な浮島。

僕は民俗学や伝奇伝承に興味があり、「浮島神楽」というタイトルをつけました。佐渡島には、巨大な浮島をもつ乙和池という場所がある。神聖で水がきれいだけど、使ってはいけないというタブーがある不思議な場所です。社会の便利さや不便さを問い直すようなテーマも感じるんです。また、僕が好きな民俗学者、網野善彦さんが唱えるように日本地図をひっくり返してみると、日本海が大きな湖のようになっていて、佐渡自体が日本海という湖の中にある大きな浮島に見えるんです。世界各地で演奏している鼓童自体が、南米やヨーロッパに現れる浮島のようなイメージにも通じているのではないかと思いました。

途中、密室のコンサートホールに穴を空けるような仕掛けも施します。動き出した音楽と、それと違う時間軸が入り込む不思議な状況を作ってみたい。精霊のようなものが入り込むイメージです。神楽のコミカルな要素も取り入れ、広い意味での神楽の本質を楽しんでもらえればと思います。

Photo: Erika Ueda

伊左治 直 Sunao Isaji1968年生まれ。日本音楽コンクール第1位、日本現代音楽協会作曲新人賞、芥川作曲賞、出光音楽賞を受賞。現代音楽系の作曲、パフォーマンスや即興演奏から、ブラジル音楽や昭和歌謡曲などのライブまで、様々な活動を展開している。2005年と2012年にはサントリー芸術財団による個展を開催。伝統楽器のための活動として、2013年に雅楽作品《紫御殿物語》、2014年に声明・謡・民謡・ポップスの共演による《ユメノ湯巡リ声ノ道行》などがある。

清川 仁 Jin Kiyokawa読売新聞東京本社文化部記者。音楽担当記者として、邦楽ポピュラーを中心に、ジャズ、クラシック、純邦楽など幅広く取材を行う。年間、100人以上のアーティストに取材し、100本以上のコンサートに足を運ぶ。 「次世代シャンソン歌手発掘コンテスト」(日本シャンソン協会主催)審査員。


news20160818kodo35th_01-1鼓童創立35周年記念コンサート

http://www.kodo.or.jp/news/20150917kodo35th_ja.html

8月18日(木) 第一夜 ~出逢い~
18:00開場/18:30開演
東京・サントリーホール

出演:鼓童、新日本フィルハーモニー交響楽団
指揮:下野竜也

料金:S席9,800円 A席7,800円 B席6,800円(全席指定、未就学児の入場はご遠慮ください。)

お問い合わせ:チケットスペース Tel. 03-3234-9999(月~土、10:00~12:00、13:00~18:00)


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好対照 二つの新曲オーケストラ/寄稿・清川 仁
紺碧の彼方 作曲家・猿谷紀郎氏インタビュー「青い海に潜めた 数字の魔法」/寄稿・清川 仁
浮島神楽 作曲家・伊左治 直氏インタビュー「我が意を得たり 共に紡ぐ伝奇」/寄稿・清川 仁


【出逢い】「紺碧の彼方」作曲家・猿谷紀郎氏インタビュー『青い海に潜めた 数字の魔法』/寄稿・清川 仁


鼓童創立35周年記念コンサート 第一夜
〜出逢い〜
8月18日(木) 東京・サントリーホール

<鼓童×新日本フィルハーモニー交響楽団>
ープログラムー
伊左治直作曲 「浮島神楽」世界初演
猿谷紀郎作曲 「紺碧の彼方」世界初演
石井眞木作曲 「モノプリズム」
冨田勲作曲 「宇宙の歌」

「紺碧の彼方」作曲家・猿谷紀郎氏インタビュー
青い海に潜めた 数字の魔法

文●清川 仁

Photo: Erika Ueda

冷静さの中に血の沸き立つような情熱と魂。それが、何度も演奏を聴かせていただいた僕が感じる、鼓童の素晴らしい魅力です。オーケストラとの共演ではそこに、ストイックなまでの客観性、冷静さを増幅し織り交ぜてゆけないかと考えました。おもむくままに音を大きくする、速くするということも大事ですが、同時に自分が今どういう状況にいてそう叩いているかということを、別の視点で見てみることも重要かも知れません。

Photo: Erika Ueda

新曲「紺碧の彼方」のエッセンスは、3連符と4拍のシンプルなポリリズムにあります。それが細胞のような最小単位であり、なおかつ全体を支配しています。稽古では、この混じり合わない3と4の組み合わせを何度も練習しましたが、終盤では最初と比べものにならないほど緻密になりました。

Photo: Erika Ueda

平胴太鼓3台、締太鼓2台という最小限のユニットでどこまで色んな変化が可能かということにも着目しています。

作曲家には、それぞれの作品ごとにその作品を構成する原理が必要と考えています。思いつきの鼻歌も作曲に違いないけれど、普遍性や客観性には疑問がある。ドの次にレが来る必然性、どうしても次はこの音に行かなきゃいけない、という仕組みを作ることが二十世紀以降の作曲とも言えるでしょう。

Photo: Erika Ueda

伊勢神宮の式年遷宮の曲を創らせていただいたとき、左右対称の神殿の形に倣って、5楽章それぞれを全てシンメトリーの構図にしました。今回は、紺碧の海に囲まれた佐渡の風景と、少しずつサイズが異なる3台の平胴太鼓とを、同居させる仕組みに行き着きました。3台の太鼓の胴の幅はおよそ60センチ、65センチ、70センチ。紺碧という色の由来になったラピスラズリという鉱石は、硬度が5〜5.5。その比を割り出して導いた10:11:12:13:14という数字の組み合わせで、新曲は出来ているのです。

Photo: Kenta Nakagome

タイトルが示す通り、青い海の果てに一体何があるのだろうかという思いも込めています。そうした詩的なイメージと、数学や哲学めいた仕組みとを同居させることが芸術だと考えています。

Photo: Erika Ueda

お聴きになる方には、仕組みを理解していただく必要はありませんが、太鼓が似たようなことをやっているようで少しずつ違う、というデリケートな変化を感じていただければ嬉しいです。また、紺碧の彼方のような広い空間を、オーケストラの楽器の倍音によって存分に感じていただければと思います。

Photo: Erika Ueda

猿谷紀郎 Toshiro Saruya:慶応義塾大学を卒業後、ニューヨークのジュリアード音楽院作曲科、同大学院を卒業。ミュンヘンビエンナーレBMWシアタープライズ最高作曲賞、クーセヴィツキーファウンデイションなど受賞し、1992年武満徹監修サントリーホール国際作曲委嘱シリーズにおいて初演された「Fiber of the Breath《息の綾》」で一躍その名を知られることとなった。芥川作曲賞、出光音楽賞、尾高賞、佐治敬三賞、芸術祭大賞など受賞。2014年には、第62回伊勢神宮式年遷宮の奉祝曲《交響詩「浄闇の祈り2673」》で3度目の尾髙賞を受賞した。

清川 仁 Jin Kiyokawa:読売新聞東京本社文化部記者。音楽担当記者として、邦楽ポピュラーを中心に、ジャズ、クラシック、純邦楽など幅広く取材を行う。年間、100人以上のアーティストに取材し、100本以上のコンサートに足を運ぶ。 「次世代シャンソン歌手発掘コンテスト」(日本シャンソン協会主催)審査員。


news20160818kodo35th_01-1鼓童創立35周年記念コンサート

http://www.kodo.or.jp/news/20150917kodo35th_ja.html

8月18日(木) 第一夜 〜出逢い〜
18:00開場/18:30開演
東京・サントリーホール

出演:鼓童、新日本フィルハーモニー交響楽団
指揮:下野竜也

料金:S席9,800円 A席7,800円 B席6,800円(全席指定、未就学児の入場はご遠慮ください。)

お問い合わせ:チケットスペース Tel. 03-3234-9999(月〜土、10:00〜12:00、13:00〜18:00)


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【出逢い:稽古ルポ】好対照 二つの新曲オーケストラ/寄稿・清川 仁


鼓童創立35周年記念コンサート 第一夜
〜出逢い〜
8月18日(木) 東京・サントリーホール

<鼓童×新日本フィルハーモニー交響楽団>
ープログラムー
伊左治直作曲 「浮島神楽」世界初演
猿谷紀郎作曲 「紺碧の彼方」世界初演
石井眞木作曲 「モノプリズム」
冨田勲作曲 「宇宙の歌」

Photo: Erika Ueda

8月東京・サントリーホールでの「出逢い」公演を前に、鼓童の本拠地、新潟・佐渡島にて作曲家・猿谷氏、伊左治氏、指揮者・下野氏とのリハーサルが行われました。その稽古場の様子を音楽記者の清川氏にレポートしていただきました。

好対照 二つの新曲オーケストラ

文●清川 仁

Photo: Erika Ueda

桜やスイセンの花が今を盛りと咲き誇り、春の訪れを寿ぐ祭りばやしも聞こえてきた4月上旬の佐渡島。風景が色づき、にぎわい始めたこの島に根を張る太鼓芸能集団・鼓童も、新たな芽吹きの季節を迎えていた。8月18日の「創立35周年記念コンサート第一夜〜出逢い〜」に向けた、世界初演となる新曲2曲を含む、オーケストラとの共演曲への取り組みだ。

稽古場には、現代音楽の最先端を走る作曲家、猿谷紀郎さんと伊左治直さん、将来の音楽界を担う俊英、指揮者の下野竜也さん、さらに、坂東玉三郎芸術監督の姿もあった。東京から新幹線と船を乗り継ぎ、なおかつ車で1時間あまり要する鼓童村へ、この顔ぶれを集めてしまう鼓童の行動力、組織力に恐れ入る。

筆者の目には、この稽古場で繰り広げられた1年前の光景が焼き付いている。「混沌」の稽古で、大きな平胴太鼓にメンバーが乗り、コーヒーカップのように稽古場をぐるぐる回る。玉三郎芸術監督がまさにその瞬間にひらめいたアイデアを言い放ち、鼓童メンバーがそれに生き生きと応じて次々に形にしていったのだ。

Photo: Erika UedaPhoto: Erika Ueda

しかし、今回の雰囲気は異なっていた。メンバーの身体は緊張で硬く、表情もこわばって見える。エレクトーン奏者が弾くオーケストラパートにつられてリズムを乱し、頭を抱える場面もあった。普段、奏者同士で呼吸を合わせてリズムを共有する鼓童メンバーにとっては、場を統率する指揮者も詳細に書き込まれた譜面も自由を奪う存在だっただろう。

そんな緊張状態を、テンポ抜群の進行とエネルギッシュな指導で解放させるのが、下野さんだ。「100点です! 1000点満点のね」。親指を突き上げ、いたずらっぽく微笑む。一瞬のリズムのズレも逃さず聞き分け、決して妥協を許さないが、それを明るい冗談に包んで場を和ます。

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隣には、下野さんの指示を丹念にメモするメンバーの坂本雅幸さんがいた。指揮者と作曲家がそろう貴重な場で、彼らの意図する音楽を必死にとらえようとしていた。

「自分たちは楽譜や、オーケストラに合わせることに慣れていないので、指揮者も作曲家もいない時に、僕がどのように稽古を進めていくか俯瞰して見る役割を任せていただいています。自分達が思っている以上にオーケストラと調和するのが難しいので、僕が通訳になれればと思います」

Photo: Erika Ueda

坂本さんは、下野さんから「こういうのは、太鼓の奏法としてありですか?」と問われる場面も多々あった。太鼓奏者側の窓口として、やはり指揮者にとっても良き通訳となっているのだ。同時に、下野さんの太鼓に対する敬意も感じられた。

「太鼓は、誰が叩いても音が出るでしょ。だから難しいんですよね。僕らクラシックの指揮者の中にも、打楽器奏者には平気でバチを替えろと言う人がいるんです。バイオリンに楽器を変えろなんて言わないのに、失礼な話です。誰もが音を出せるものをいかに質の高いものでやるのかは、誰でもできるものではないんです」

Photo: Erika Ueda

さて、今回、鼓童から新曲の委嘱を受けた2人の作曲家は、図らずも対極的なアプローチでこのプロジェクトに臨んだ。2曲の違いは、音にも見た目にも指導にも明白だった。音楽的にもパフォーマンスでも鼓童を伸び伸びと躍動させる伊左治さんの「浮島神楽」と、禁欲的なアプローチを導入して鼓童を新たな次元に立たせる猿谷さんの「紺碧の彼方」だ。

Photo: Erika Ueda
神秘的な燦めきで幕を開ける「紺碧の彼方」は、16分の7、16分の7、16分の5、8分の6・・・と、めまぐるしく拍子が変化。とりわけ、3連符と4拍の異なるリズムを核になって鳴らす締太鼓の2人は、音の強さのばらつきや速度のブレなどが細かく修正された。平胴太鼓を叩く住吉佑太さんは、戸惑いを感じながらも徐々に猿谷さんの狙いを理解しつつあった。

Photo: Takashi Okamoto

「太鼓らしいフレーズというか僕たちの体に染みついているリズムとは異なり、最初は面白くないなと思ったんです。でも、猿谷さんとお話しして、少しずつ理解してきました。楽しく高揚しながら演奏することで人間らしさに繋がるのではないかと思っていたけれど、冷たく研ぎ澄まされた中であっても、人としての呼吸、人間性が滲み出てくるのかもしれない」

Photo: Nobuyuki Nishimura
神楽の雰囲気から太古へ、そして宇宙へと世界が拡張していくかのよう伊左治さんの「浮島神楽」は、丸太形のスリットドラムや、三宅島式の横打ちスタイルなど見た目にもにぎやか。バットばちを両手でブンブン回しながら振り下ろす叩きっぷりながら、音量は確かに抑制されている石塚充さんも印象的だった。

Photo: Takashi Okamoto

「伊左治さんは、僕らを見た目も含めてオーケストラの異物として存在させようとして、打ち方や雰囲気も指示される。太鼓だけの練習の時はフォルテシモで叩いていたのですが、サントリーホールは響くので3分の1の音量に抑え、それでいて雰囲気は大振りしてほしいと。大変ですが、コントロールしています」

オーケストラのバックで、太鼓がそれぞれ割り当てられた7拍子や5拍子のフレーズをバラバラに進行させるパートでは、下野さんからユニークな提案があった。互いの音やフレーズの個性を際立たせるため、キャラクター設定をするというものだ。「怒りっぽい人」「メソメソした人」「勤続40年の幼稚園の先生」「いてもいなくてもいいようなお巡りさん」という個性的な人物設定の中で、「バツ5」担当の蓑輪真弥さんも絶妙に解釈した。

Photo: Erika Ueda

「ある程度人生を経験している人で、いろんな人を見ながら、あ、この人いいな、この音いいなという人にパッと乗っかっていく。またいい音が聞こえたら、そっちに乗り換える心移りが激しい人。でも一途なところもあるような」

たった2日間の稽古ながら、メンバーはオーケストラの緻密な音作りを水が染み込むようにみるみる吸収していった。見所のたっぷりの世界初演曲に加え、太鼓とオーケストラの共演の先駆けである石井眞木さんの「モノプリズム」、日本が世界に誇るシンセサイザーアーティスト、冨田勲さん作曲の「宇宙の歌」も演奏される。

下野さんは「作品群はすべて質感がたっぷりですが、決して食べ合わせが悪いわけではなく、非常に良く練られたプログラムです。素敵なサントリーホールでいっぱいの音を浴びていただきたいと思う」と語った。


IMG_4467-f2016年4月、稽古後に作曲家の猿谷さん、伊左治さん、指揮者の下野さん、エレクトーン奏者の清水さん、松田さん、芸術監督・玉三郎さんと鼓童メンバーでの記念撮影

清川 仁 Jin Kiyokawa:読売新聞東京本社文化部記者。音楽担当記者として、邦楽ポピュラーを中心に、ジャズ、クラシック、純邦楽など幅広く取材を行う。年間、100人以上のアーティストに取材し、100本以上のコンサートに足を運ぶ。 「次世代シャンソン歌手発掘コンテスト」(日本シャンソン協会主催)審査員。

news20160818kodo35th_01-1鼓童創立35周年記念コンサート
http://www.kodo.or.jp/news/20150917kodo35th_ja.html

8月18日(木) 第一夜 〜出逢い〜
18:00開場/18:30開演
東京・サントリーホール

出演:鼓童、新日本フィルハーモニー交響楽団
指揮:下野竜也

料金:S席9,800円 A席7,800円 B席6,800円(全席指定、未就学児の入場はご遠慮ください。)

お問い合わせ:チケットスペース Tel. 03-3234-9999(月〜土、10:00〜12:00、13:00〜18:00)

冨田勲氏と鼓童

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作曲家・シンセサイザーアーティストの冨田勲さんが、今年5月5日にお亡くなりになりました。「宇宙の歌」は、鼓童のアルバム「ナスカ幻想」のために書き下ろされたもので、2008年にオーケストラ版として上演。今回8年ぶりに上演させていただくお願いに、「嬉しいお話です。鼓童村の『和泉邸』に一週間こもって作曲したうちの一曲です。」というご返事をいただき、当日にもご来場いただけるように準備をしていたところでした。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。


<「出逢い」関連記事>
紺碧の彼方 作曲家・猿谷紀郎氏インタビュー「青い海に潜めた 数字の魔法」
浮島神楽 作曲家・伊左治 直氏インタビュー「我が意を得たり 共に紡ぐ伝奇」


芸術監督坂東玉三郎氏演出 第4弾「混沌」稽古場より


芸術監督坂東玉三郎氏演出 第四弾 「混沌」

撮影:岡本隆史

和太鼓の響きの中に、きらびやかなドラムの夢が通り過ぎる… 芸術監督・坂東玉三郎演出の最新作は、次々と現れるイマジネーションの旅。緊張とリラックス、静けさと喧騒、そして混沌と融合。叩き奏でる音色が織りなす心地よい時間をお届けします。

鼓童村での「混沌」稽古より

撮影:岡本隆史

今年4月に行われた「混沌」の稽古の際、メンバーに話を聞きました。

住吉佑太

撮影:岡本隆史

●今回、新しい試みはありますか
今回の「混沌」のメインの要素としては、和太鼓に西洋のドラムを取り入れた内容になっています。そこが、今までにない、鼓童としては一番新しい試みなのではないかと思ってます。
「混沌」の稽古が始まる前に玉三郎さんがお話してくださったことがあり、本当は混沌ではなく、調和を表現したいと仰っていました。ただ、調和するということは、まず混沌としている中で初めて調和が生まれてくる、生まれうるものだということをお話いただきました。

●舞台づくりにどのように関わっていますか
具体的にはフレーズをいくつか提供せていただきました。今まではプレイヤーが曲を作って持ち寄り、玉三郎さんに提案して、そのできた点と点を線でつないでいくという作業をしてきましたが、今回は、初めの新曲のアイデア出しというのは全くありませんでした。本当にゼロの状態でスタートして、玉三郎さんがそこで思いつかれたことを僕たちにお話してくださり、そこから初めて曲にして、フレーズが生まれ、それを広げて一幕と二幕を構成するという創り方をしています。それが、予想以上に難しいですね。いつもは時間をかけて作ったものを玉三郎さんにお見せするのですが、極端な話、「じゃあ午後までにここの部分を作ってきて」ということが多々あり、どれだけ日頃から新しいものを追求し続けていて、自分の中にどれだけバリエーションがあるのか、ということを試されて、すごく勉強になった期間でした。

撮影:岡本隆史

内田依利

●今回の作品で色んなチャレンジがある中で、自分の中で克服すべき課題は
今回は本当にゼロからその場でどんどんどんどん、リズムを作っていくということで、なかなかすぐ対応できない自分もいるので、もっともっと常に新しいものを勉強していかないといけないんだなということを実感しています。

●稽古の雰囲気はどうですか
雰囲気はとても明るいです。今回はスムーズに進んでいる感触があります。玉三郎さんの方からアイデアをいただいて、何人か中心になってリズムを出したり、「適当に遊んでみて」みたいなこともありますね。「タイヤを適当に叩いて」と言われて今取り組んでいるのですが、後から映像で観ると意外に面白くて。その場で適当に叩いたものが、そのまま曲になっている部分もあります。

撮影:岡本隆史

●いつもと違う手法はタイヤの他にありますか
ドラムがまず一番大きいと思います。西洋のドラムと太鼓を単純に一緒に演奏するだけでなく、どの音とどの音が馴染んで違和感なく混ざって行けるか。一つのアイデアをその場でどんどん引き延ばして作って行くので、いつも以上に先入観を持たずに、目の前のものに対応して行くのに必死です。

船橋裕一郎

撮影:岡本隆史●「混沌」というテーマに、どういうイメージを持っていますか
読んで字の如く、訳の分からないような世界であったりとか、英語で言うカオス、そういう整然としていないようなイメージがあるんですけど、街を歩いていても、混沌とした場所とかっていうのはハラハラしたりドキドキしたりしますよね。具体的には都会の中の、ちょっと一本脇道に入ったような所とか。一歩踏み込んじゃいけない世界を味わえるドキドキ感が結構好きなので、そういったものをイメージしています。

●玉三郎さんの演出の進め方はいかがですか  
今は創作初期段階なのでタイトル通り混沌としていますが、その中からちょっと美しい場面であったり整然とする場面が出てきたりしています。今までは曲やモチーフが多かったものが、今回は一つの音から輪のように広がっていくような創り方が多い印象です。一つの音、一つの閃きから世界がどんどん広がっていって、そこを繋ぎ合わせていっている段階という感じですね。自分たちも今、どこに向かうのかまだまだ分からない所もありますが、それがとても新鮮で楽しいですね。
そして新しい楽器にもチャレンジしています。中国の揚琴という、叩いて奏でる琴です。叩きながらもメロディーが出てくる非常に綺麗な音のする楽器なので、「混沌」としている空気の中からそういう綺麗な音色が出せるように、頑張って稽古していきたいと思います。

撮影:岡本隆史


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▶「混沌」作品紹介
▶スケジュール(2015年11月佐渡初演〜12月)


ご挨拶/阿部研三、井上陽介


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阿部研三

この度、今年いっぱいで鼓童を退団させていただくことになりました。私が研修所に入所したのは、2000年の4月でした。これまで14年間、鼓童関係者、舞台に関わる皆様、そして鼓童ファンの皆様に、本当にお世話になりました。心より感謝申し上げます。

私が鼓童に入りたいと思ったのは、演奏者の鍛え上げられた肉体美と、無駄のない動きから生まれるキレに圧倒されたからです。そして、前身の鬼太鼓座時代から培った、人間のエネルギーの限界に挑むという理念、またそれを実際にこなしてきた諸先輩方の築いた鼓童の舞台に、強い憧れを感じたからです。

_MG_9193sss 私自身、人間のエネルギーの限界に挑んだかといえば疑問が残ります。現実に、一生を鼓童に捧げることができませんでした。これは自分自身に刻まれる事だと思います。しかし、人間を圧倒するそのエネルギーは、どうしたら生まれるのか、また本当に自分自身が欲しているのか、またそれは何なのか…。

今、自分が決断した道に後悔はありませんが、いまだ自立できたとは程遠い自分だからこそ、自分の足で立つという意識で、新たな道を歩もうと思います。

なにやら重苦しい最後のご挨拶ですが、如何せん、家族がいますので、学生気分で佐渡に渡って来た時とは、状況も年齢も違います。自分がどうのこうの、理念がどうのこうの言ってる場合ではありません。生きなければなりません。必然的に限界に挑みます…。

鼓童で経験したことは、本当に貴重で、今後の自分自身の大きな財産になると思っています。このような機会を与えてくださった多くの方々に、改めまして、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

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井上陽介

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この度は一身上の都合により鼓童を離れることになりました。

2012年からの3年間、ワン・アース・ツアー「伝説」の舞台から始まり「アマテラス」「神秘」、最後となるこの12月は交流公演に参加させていただきました。沢山の方々と出会え、自分にとって貴重な経験がたくさん出来たこと、とても感謝しています。

今後は理学療法士の資格を取り、身体の勉強やマッサージを学び、鼓童での経験を活かして、新しい道に進みたいと思います。

短い間でしたが、応援して下さった皆様に心より感謝申し上げます。ありがとうございました。


「旦and麻」を訪ねて/藤本吉利


月刊鼓童2014年7月号コラムより

昨年の3月、鬼太鼓座の創設期にマット運動をご指導していただいていた、佐渡金井の畠山茂樹先生のご自宅を容子と2人で訪ねた。一昨年に奥様が亡くなられたことを聞いていた容子が、お線香を上げに伺おうと私を誘ったのです。
佐渡での十二月公演には、いつも二人して仲良く観に来てくださっていました。初めて伺ったご自宅は、古民家の素晴らしさを生かして改造され、様々なアート作品が飾られ、古いものと新しいものが調和し、まるで小さな美術館の様でした。

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左から藤本容子、藤本吉利、畠山茂樹先生

先生は昭和19年生まれで、今年70歳。ご指導していただいた頃は、佐渡農業高校の保健体育の先生でした。鬼太鼓座時代、そして、鼓童になってからも座宛にいただいていた先生からの素敵な年賀状は、奥様の旦子さんとの合作であったとのこと。奥様は佐渡女子高校の家庭科の先生でした。愛する奥様を亡くされた先生は、お二人で考えられていたこと、母屋の前の納屋を改造して仲間たちが集えるアートギャラリーを作るべく、仲間の協力を得ながら、一人でこつこつと取り組まれました。

Photo: Yoshikazu Fujimoto

そして、このギャラリーには、私と容子の共同作品が展示されることと相成りました。私の古い太鼓バチの飾り付けと作品を飾る白のパネルに、先生が三色の色を付けてくださり、三人の共同作品でもあります。ギャラリーの名前は『旦and麻』です。
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浅草便り/井関直美


浅草便り

月刊鼓童2014年7月号コラムより

 

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6月、浅草公会堂での5日間連続公演が、浅草の皆さんはじめたくさんの方々のご協力のもと無事に終了しました。本当にありがとうございました。

ロビーには昨年同様に台東区のお店の皆さんに出店していただきました。鼓童の通常の公演ではなかなか見られない、浅草公演ならではの光景だったと思います。お店の皆さんは揃いの法被を身に纏い、公演を盛り上げてくださいました。

Photo: Takashi Okamoto

また、一階の展示ホールではパネル展と共に太鼓を体験できるコーナーを作ったところ、たくさんの方に太鼓に触れていただけました。今まで太鼓を打ったことのない方にも太鼓を身近に感じていただけたのではないでしょうか。

Photo: Takashi Okamoto

今回は滞在期間中に地元の方々のご理解とご協力で、2校の交流学校公演が実現しました。ワン・アース・ツアー班で臨んだ学校公演。学校公演が初めてのメンバーもたくさんいましたが、児童の皆さんのまっすぐな気持ちと笑顔に包まれた楽しい時間となりました。

Photo: Takashi OkamotoPhoto: Takashi Okamoto

学校公演の様子

浅草公会堂での公演前には「スターの広場」で2曲の演奏をさせていただきました。外での演奏なので近隣の方々に挨拶に伺ったのですが、「どんどん演奏していいよ」「すごく楽しみだな」と、お声掛けいただきました。実際、演奏中には太鼓の音を聞きつけて見にきて下さるお客様の後ろで、ご挨拶させていただいたお店の方々も見にきてくださり、本当に嬉しかったです。最終日は小雨のぱらつく中での演奏でしたが、「結」の演奏が始まった瞬間に太陽の光が差し込んできました。あの光景を私は忘れることはないと思います。

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沢山の皆さんのご協力で、今年の浅草連続公演も無事に終えることができました。三社祭でお神輿と共にお囃子の音が響き渡る浅草。そんな浅草の地に鼓童の太鼓の音が響き渡り、皆さんに鼓童の公演を待ち望んでいただけますように、これからも東京事務所、頑張ります!


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