追悼 永 六輔さん②/永さんからの伝言
2007年の月刊「鼓童」新年号に、永さんのインタビュー記事を掲載しました。その中から、寄せてくださった言葉を抜粋して紹介させていただきます。いただいた時から10年経った今の私たちが、あらためて胸に刻まなくてはいけない言葉の数々です。
永さんからの伝言
ほめ言葉なんていくら集めても何の役にも立たないですよ。アンテナを研ぎ澄まして悪口を集めないとだめですよ。
だって鼓童は、ただ叩いているだけなんだもん。始めは叩いている行為に感動して「鼓童っていいね〜。すごいね〜」って皆言うけれど、その後は何が残るか。圧倒するのはね、若ければ叩き方しだいで誰だってできることですよ。
リーダーとしての意識があるんだったら、全国の太鼓をやっている人に、「太鼓とは本来どういうものか」っていう問い直しをしないと。
八丈太鼓なんて習ってできることじゃないでしょ。太鼓が「あ、歌ってる」「あ、語っている」っていう聴こえ方がするんですよ。これは習ってできるものじゃありませんよって、そういうことを伝えるのも大事なことじゃない? そういう考え方ができるようになると、太鼓に向かう姿勢が謙虚になるでしょ。太鼓の音をどういう感性で受け止めるかっていうこともね。
「打ち手は同時に語り手で…」っていったけど、太鼓で語ればいいの。それは絶対に伝わるものだと思う。
楽しさってこういうもんですよ、ということを、太鼓を通して、どれだけ他のものにつなげられるか。僕はそれを作りたくて佐渡に通ったんです。
鼓童はとってもブレーンの作り方が下手なんだよな。だから遠慮するじゃない、こちらも。お互い遠慮しない関係でいることができれば、いろんな人も呼べるでしょ。そして、呼んだ人からいろんな芸を絞り取らなきゃ。僕も絞り取られたって記憶ないもの。それはとっても損なことだよ。
皆、年とっていくんです。老化とか年をとっていくことの怖さっていうのは年をとらないと分からないんですよ。爺さんばっかりのグループも作っていくことをしないと、みんな無理がいくよ。無理がいく仕事なんだもん、叩くってことは。大きな太鼓なんか持ち歩けないからね。
小皿叩いても鼓童でなきゃ。
これからの宿題とすれば、芸能集団としての鼓童と、それから最初からやろうといっていた学校づくり、民芸・工芸を含めたものづくり。今、やりつつあるじゃないですか。それが、もう少し形にならないかなって思うんですよね。舞台とは別でいいんですよ。今までを振り返って、何が足りなかったのか、だめだったのかっていうマイナス面を全部ピックアップして、直すんじゃなくて、マイナスをそのまま魅力にするっていう発想でね。
追悼 永 六輔さん①
http://www.kodo.or.jp/blog/kikanshi/20160918_10962.html
追悼 永 六輔さん③/ありがとう、永さん。鼓童メンバーからのメッセージ
http://www.kodo.or.jp/blog/kikanshi/20160918_10964.html