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本日、「混沌」新潟公演/渡辺健吾
本日、「混沌」新潟公演
本日は「混沌」新潟公演! 僕が鼓童の舞台を初めて観たのが、ここ新潟県民会館です。今日は新潟の皆様に思う存分楽しんでいただきたいです!ご来場お待ちしています。
【当日券】18時より販売いたします。
全国11都市で公演!
鼓童ワン・アース・ツアー「混沌」に寄せて/本間教子
鼓童ワン・アース・ツアー「混沌」
文●本間教子 写真●岡本隆史
かつて東京でホールやライブハウスをめぐる日々を過ごした時期があった。ステージで炸裂するのは、まぎれもないロック。ギター、ベース、そしてドラム。3つの楽器とボーカルで構成する何組ものバンドと向き合った。バンドはドラマーとベーシストによるリズム隊が基本、ドラムがブレると正確なリズムを刻めない。リズムをとらえようと目を閉じると、浮かんでくるのは何故か「鬼太鼓」だった。佐渡の郷土芸能との不思議な既視感。
鼓童「混沌」の舞台にその答えを見つけた。
ステージには3組のドラムセット。三者三様のドラミングに鳥肌が立つ。渾身の一打が心に響く、打つという行為の普遍性。地球に誕生した音に変わりがないということ。それは今回登場したフルートやティンパニ、揚琴などほかの楽器にも言えることだった。その人でなければ出せない音、この瞬間にしか出会えない音。それが外部の演奏家とのコラボではなく、鼓童のプレイヤーによって届けられたことの意味。客席も共鳴の拍手で応えた。
見えない壁をひらりと超えて、「音」を楽しませた。打楽器を基本として、弦楽器あり、管楽器あり、ボーカルあり、手作り楽器あり、なんでもあり!
鼓童という究極の「バンド」が魅せてくれる可能性にわくわくする。
本間教子氏/鼓童の前身「佐渡の國鬼太鼓座」創設当時より長年にわたり鼓童をご指導くださった本間雅彦先生のお嬢様。11/23 佐渡公演にご来場。
全国11都市で公演!
新作「混沌」開幕/西村信之
新作「混沌」開幕!
構想を含めて4年の歳月をかけて取り組んできた「混沌」の舞台がようやく初日を迎えました。全国ツアーに先駆けて地元佐渡での封切りとなります。佐渡での公演は鼓童創設当時より長くご覧いただいている方々が多いこともあり、新作を披露するにあたっては作品を受け入れていただけるか緊張が増すものでした。劇場に入り、稽古してきた作品に照明があてられ、お客様をお迎えする。ようやく幕が開けるのだと気持ちが高ぶりました。公演が始まると舞台を見ながらすでに次の作品のことを考えている自分に気がつきました。鼓童というグループの可能性をどこまで広げられるだろうか。そのようなことを考えるとまた興奮して眠れない日々が続きそうです。
「混沌」バスドラムのヘッド/西村信之
昨日はキックペダルの異常をお伝えいたしましたが、実はもう一つ。バスドラムのヘッドが熱で溶けているということが判明しました。
どれほどの熱が発生したのでしょうか、キックペダルのビーター(ヘッドに当たる部分)はとても硬いので、相当な摩擦が起きていたのでしょう。
【佐渡へ初演を観にいこう!】
23日、新作「混沌」佐渡初演!
http://www.kodo.or.jp/oet/20151123a_ja.html
11/22 17時まで受付:アミューズメント佐渡 Tel. 0259-52-2001、蔦谷書店佐渡佐和田店(窓口へ)
(鼓童チケットサービスでの受付は終了しました)
当日券は23日14時より劇場で販売
舞台稽古 ドラムキックペダル/西村信之
ドラムキックペダル
いよいよ「混沌」幕開けへ向けて舞台稽古に入りました。劇場へ入るとこれまで起きなかった様々なトラブルも出てきます。
まず見つけたのはドラムのキックペダル。
叩きすぎてベルトの付け根は広がり、ネジが土台の部分にあたり大きな穴が空いていました。
おまけにシャフトは大きく曲がるという始末。梶原さんも「長いドラム生活の中でこんなの見たことない!」と驚いていらっしゃいました。鼓童の演奏者はドラムでも未知の体験をしているようです。
【佐渡へ初演を観にいこう!】
23日、新作「混沌」佐渡初演!
http://www.kodo.or.jp/oet/20151123a_ja.html
11/22 17時まで受付:アミューズメント佐渡 Tel. 0259-52-2001、蔦谷書店佐渡佐和田店(窓口へ)
(鼓童チケットサービスでの受付は終了しました)
当日券は23日14時より劇場で販売
『タイヤ、揚琴、ドラム、そして太鼓』2015 真夏の「混沌」稽古場レポート/伊達なつめ
タイヤ、揚琴、ドラム、そして太鼓
2015 真夏の「混沌」稽古場レポート
文●伊達なつめ 写真●岡本隆史
「まだ、まとまらないんですけど」
「いいの、〝混沌〟だから」
「ちょっと、ごちゃごちゃしちゃって」
「まさに〝混沌〟じゃないか」
2015年8月上旬に訪ねた佐渡の稽古場では、何かにつけて今回のワン・アース・ツアーの新作タイトルが連呼されて、場をなごませていた。
「〝混沌〟は、辞書には『ものごとが整っていないさま』とあるけれど、本来、世の中ってそういうものでしょう。システム化されて国だの政治だのになってはいても、人間は、整理整頓などされていませんからね。これまで『伝説』では各時代の作曲家の作品を並べ、『神秘』で闇というものに向き合い、『永遠』では曖昧な雰囲気が繰り返されるものを表現してきたので、今回は〝グチャグチャで楽しめる〟感じでいこうと思います。とにかく、いろいろな楽器が出てくることにしたいんです。ドラムも、タイヤも、揚琴も」
と、玉三郎芸術監督。そんなわけで今回は、つねにも増してユニークな楽器が登場している。まず、目を引くのは、冒頭にコロコロと転がってきて、その後、楽器と化すタイヤ。これは小田洋介さんのアイデアで取り入れられた。
「アメリカ・ツアーに演出補佐で参加していた際にワークショップをやったんですが、そこで、アメリカの人たちがタイヤを叩いているのを見たんです。あくまでも、高価で太鼓が買えないための代用品なんですが、タイヤを楽器として使ったら喜ばれるんじゃないかと、フッと玉三郎さんのことが頭に浮かびまして。提案したら『音が聞きたい』ということだったので、いくつか曲を作ってみたら、けっこう音が出たんです。皮の代わりに張ってあるのはビニールテープなので、耐久性を心配したんですけど、フルパワーで2時間叩いても、大丈夫だったんですよ。大きなバット撥で叩くと、意外といい音が出ます」
これを実際に舞台で叩くのは、主に三人の女性たち。そのうちのひとり内田依利さんは、カナダに留学していた学生時代にも、タイヤを楽器として叩いた経験があるそう。
「わりと、日本より海外の方が多いかもしれないですね。タイヤとか、水道のパイプみたいなものにテープや皮を貼って、人前で演奏していました。そうやってふつうにやってはいましたけど、タイヤは、打ってもぜんぜん撥が跳ね返ってこないので、意外ときついんですよ。振動がまったくなくて、ニュアンスが出ないので、とにかくウワーッと力を込めて叩きます。ビート感はわりと出るので、細かいことはあまり考えずに、どんどんとノリをよくしながら、ただただ振り回す感じです(笑)」
女性たち3人は、第一幕は太鼓のコミュニティーにドラムやタイヤという異物を持ち込み混沌をもたらす、アウトサイダー的存在として登場。 バット撥を力任せに振り下ろす姿は、かなり迫力があってコワい。
荒っぽいタイヤに比べて、より繊細さが強調されるのが、中国の打弦楽器、揚琴(ようきん)。船橋裕一郎さんが、メロディアスな音色に挑戦している。
「こういう音を入れてみたいという話は、最初から聞いていたんですけど、まさか自分がやることになるとは。たまたま、ほかのメンバーがほぼ全員出ているシーンを眺めていたら、玉三郎さんと目が合ってしまったんです(笑)。先日、揚琴の演奏家の先生に来ていただいたんですが、あまりにもすご過ぎて、汗が出ました。一弦叩くと、ひとつの音に三〜四本のワイヤーが触れて和音になるんですが、メロディー楽器をあまりしていなかったので、間違いなく決まった音階のある細い弦を叩くのが難しいです。叩くといっても打ち付けるのではなく、一瞬のタッチでないと鳴らないし。とはいえ、同じ打楽器の仲間ではありますから、共通点はあるはず。いちばんいいタッチのしかたを、見つけられればと思います」
さて、混沌をもたらす3つ目の楽器は、ドラムだ。スネア(スタンドで腰の高さに設置したドラム)やタムタム(ドラムセットでは上部に設置される2つ並んだドラム)といった単体で使用されるほか、今回はドラムセットによる三人のソロ演奏まで披露される。そのうちのひとり坂本雅幸さんは、かつてプロのドラマーを目指した経験者。
「学生のころずっとやっていたので、太鼓を始めたころは、『打ち方がドラムっぽい』と散々言われていました。ドラムは手首を使うんですが、和太鼓は肩と全身を使って打つものなので、同じ太鼓でもぜんぜん違うんですよ。昔から感じていたことですが、ドラムと和太鼓を合わせるのは、すごく難しいものなんです。まず、響きのタイミングが違う。ドラムはヒットした瞬間の音がすべてですけど、和太鼓は打った後の響きの方が、大きくなります。それから音色自体も、ドラムはガシャガシャしているように聞こえますが、実はかなり豊かで、洗練されている。これと比べると和太鼓は、だいぶ原始的なんです。
今までもいろいろな楽器を使ってきましたけど、ドラムは、和太鼓に対してもっとも違和感があって、手をつけにくかったんです。今回は、それに敢えて挑戦する、ということになるので、今は和太鼓の打ち方を変えて、合わせていこうとしています。いつものようにドスンと打ち込むと、深く響き過ぎてしまうので、表面の音を出そうと、探っている最中です。和太鼓とドラムのセッションはよくありますけど、想像できるようなものになってしまうと意味がないので、ぶっ飛ぶようなものにしたいんですよね。僕はドラマーとしては技術屋の方だったんですけど、小手先のドラマーって、あまりおもしろくないじゃないですか。すごいドラマーというのは、技術ではない、もっと別の次元のものを持っています。鼓童には〝別のもの〟だけはあるので(笑)、それが出せるようにならないと」
住吉佑太さんは、作曲で大忙しのなか、ドラムにも挑戦して、坂本さんの言う「別のもの」ぶりを遺憾なく発揮している。
「玉三郎さんは、『ドラムを力いっぱいぶっ叩け。クレイジーになりなさい』とおっしゃるんです。これは僕の認識ですけど、大太鼓を叩く場合は、その行為は音楽的な部分を超えて、精神的な部分が重要になってくるんですよ。手先でできるものではないので、体力をめっちゃ使って打ち込んで、しんど過ぎて何も考えられなくなってきて、若干トランス気味になるくらい。そんな状態であるために、叩く際にウォーッっという底力が自然と沸いてきて、太鼓に打ち付ける感じなんですけど、『それと同じことを、ドラムでやってみなさい』と言われている気がするんです。太鼓とドラムの、外側ではなく、内側にある共通項を見つける作業なんじゃないかと。だから、今はとにかく思いっきり叩いています。立ち上がって叩くは、シンバルのネジは飛ぶは、もうすごいです(笑)。
楽器としてのドラムと和太鼓の違いも、強く感じます。そもそもドラムセットは、人数が足りないからひとりで叩けるようにという、利便性でつくったものじゃないですか。すごく合理的なんですよね。それに引き替え和太鼓は、なんでこんな打ち方しなきゃいけないんだというほど、不合理で理不尽。屋台囃子なんて、腹筋しながら(無理な体勢で)打つわけですからね。この相反する二つをどう合わせていくかは、ただいま模索中です。ドラムの基礎は習ったんですが、ぜんぜんできてなくて、マイナスからのスタートですけど、『太鼓打ちのドラムを』と玉三郎さんに言われているので、なんとか新しい音を見つけたいと思っています」
ドラムのソロを披露する小田さん、坂本さん、住吉さんの三人は、三年前から元ザ・ブルーハーツのパワフルなドラマー、梶原徹也さんの指導を受けてきた。『混沌』における三人三様のまったく異なるソロは、タイトルにふさわしい見どころ・聴きどころのひとつとなっているが、そこには時間をかけて彼らと向き合ってきた、梶原さんの尽力がある。
「坂本雅幸くんは、プロのドラマー志望だっただけあって、最初からわりと何でもできたので、速いパンクなども含めたいわゆるロック・ドラムを。小田洋介さんは、僕と同じ猪突猛進型なので、『ブルーハーツ仕込みの伝家の宝刀を君に伝えよう!』と、まっすぐなエイトビートを伝授しました。住吉佑太くんは、エイトビートがうまくいかない代わりに、ワールドミュージック系のなまった感じのビートを出すのが得意なので、足を省略して手のニュアンスで攻めるようにしたら、いきなり伸び始めました。ふつうのロック・ドラムとはぜんぜん違う彼の持ち味が、そのままドラムに反映されています。彼らはみな超一流の打楽器奏者ですから、爆発していくシーンで、自分のエネルギーを楽器に託して表現する術を、知っているんですよね。先日の練習でそれが確認できたので、もう何も心配する必要はないと思っています。バッチリです!」
こうした新たな楽器へのチャレンジが続くなかにあって、中込健太さんは、ワン・アース・ツアーとしては久しぶりとなる大太鼓(※)に向き合っている。
※平桶大太鼓による「大太鼓」スタイルの演奏
「これまで鼓童がやってきた、屋台の上に載せて打つ大太鼓のスタイルでは、ある形式ができあがっていて、先輩たちが創り上げたものに自分が乗っかっていき、そこから外れないようにしつつ、自分ならではの個性を出す、ということが求められていたんです。今回は、そうした今までの鼓童の大太鼓とは違う役割で、単にひとつの楽器として存在すればいいのかな、と思っています。でも、大太鼓には、どうしても楽器ではない存在感を感じてしまうんですよ。〝樹齢何百年という木に、生きていた牛の皮を張ったすごいもの〟に対峙するためには、それなりに自分の気持ちをととのえて向かわなければいけないので、音楽をやっているという意識が持てないんです。音楽として構成されているものの中に、そういう気分を持ち込んだら、どうなるのか。もしくは何か違うものが出てくるのか。そこがとても楽しみですね」
未知の楽器へのチャレンジと、西洋楽器ドラムの鼓童的解釈、そして、築かれた伝統を問い直す姿勢。どこまでもアグレッシブなアプローチが、〝混沌〟を生み出そうとしている。
【佐渡へ初演を観にいこう!】
23日、新作「混沌」佐渡初演!
http://www.kodo.or.jp/oet/20151123a_ja.html
11/22 17時まで受付:アミューズメント佐渡 Tel. 0259-52-2001、蔦谷書店佐渡佐和田店(窓口へ)
(鼓童チケットサービスでの受付は終了しました)
<当日券>23日14時より劇場で販売
伊達なつめ(だて・なつめ)
演劇ジャーナリスト 演劇、ダンス、ミュージカルなど、国内外のパフォーミングアーツを追いかけ、女性誌『InRed』、『CREA』、新聞”The Japan Times” などへ寄稿。”The Japan Times” に英訳掲載された日本語のオリジナル原稿は http://natsumedate.at.webry.info/ で公開中。著書『歌舞伎にアクセス』(淡交社)ほか。
「混沌」舞台稽古も大詰めです/齊藤栄一
「混沌」稽古も大詰め!
メンバー・スタッフ・裏方・関係者一同、芸術監督のもとに集結し、仕上げ作業に入っております。11月23日の佐渡を皮切りに、11都市を巡ります。皆さまと劇場でお会い出来るのを楽しみにしております。
【佐渡へ初演を観にいこう!】
23日、新作「混沌」佐渡初演!
http://www.kodo.or.jp/oet/20151123a_ja.html
11/22 17時まで受付:アミューズメント佐渡 Tel. 0259-52-2001、蔦谷書店佐渡佐和田店(窓口へ)
(鼓童チケットサービスでの受付は終了しました)
当日券は23日14時より劇場で販売
<対談>梶原徹也氏が鼓童・見留知弘に突撃インタビュー
新作「混沌」のドラム監修の梶原徹也さん(元ザ・ブルーハーツ)と鼓童代表・見留知弘の対談をお届けします。大太鼓のこと、舞台や衣装の変化、太鼓への想いなど、梶原さんが見留へ突撃インタビュー。ぜひご覧ください。
<対談>
「混沌」ドラム監修・梶原徹也氏 × 鼓童代表・見留知弘
2015年8月5日 鼓童村にて
写真:岡本隆史
梶原徹也(以下、K):鼓童さんに関わらせてもらって、早4年が経ちました。今まで外から見ていた部分と、最近では鼓童の中に入ってみての部分と、色々なものが見えてきました。鼓童ファンとしてですね、率直に、色んな質問させていただきたいなと思っていましたので…もう色んなこと聞きますけど良いですか(笑)。
見留知弘(以下、M):はい(笑)。
K:知弘さんが代表になられたのは何年ですか?
M:2012年からになります。
K:それまでは、藤本吉利さんとかが?
M:いえ、鼓童の演奏者の中では代表者はいませんでした。それまで鼓童の代表は、北前船の社長の青木孝夫が兼ねていたのですが、2012年に太鼓芸能集団鼓童とそれを支える3法人(株式会社北前船、公益財団法人鼓童文化財団、有限会社音大工)に分かれました。マネージメントする北前船は引き続き青木が立って、私は演奏者の代表として就任させていただきました。
K:なるほど。じゃあ組織として、かなりシステムが変わったっていうことなんですね。その趣旨っていうか、大きな意味はどういうことだったのでしょうか。
M:それまでは、演奏者もスタッフも含めて「鼓童」っていう所がありましたが、それをもう少し、役割分担を明確にするためにも、しっかり演奏者の代表を立てた方が良いっていうことがあり、話し合いました。
K:鼓童の一つのメインの顔として大太鼓っていうのがありますよね。それをまず吉利さんがずっとやってこられて、その後知弘さんが受け継いだ転換期のお話を伺えますか。
M:遡っていくと鬼太鼓座時代の時には、林英哲さんがずっと大太鼓をされていました。鼓童になって英哲さんが抜けてから、吉利さんが大太鼓を打ってこられたんですね。その間に、今は離れてしまっているメンバーや、(齊藤)栄一さんが大太鼓を打っていた時期もありました。
そして、1980年代の後半ぐらいから大阪の高槻で3年に一度、高槻市内の全中学生対象の公演をやっていたんですね。で、自分が鼓童に入った年(1990年)に一番若手で参加しました。この公演は若手が中心で出演をし、普段は大先輩が叩いているパートを与えられて演奏する、とても貴重で実りある3年に一度の学校公演でした。
そして、その3年後の公演で「大太鼓をやりなさい」っていう風に言われまして、そこで初めて大太鼓を叩いたんですね。またその3年後の1996年の時も大太鼓を叩きました。そうやって場数を踏んでいく中で、1997年に初めてツアーでやってみないかという話がありました。吉利さんの次に私が続けて叩いていく形になり、その時代のメインは吉利さんでしたが、ツアーごとに代わりながら叩かせてもらいました。そして、何年も経験するようになってから自分に任せてもらった感じです。
K:今も玉三郎さんが “お仕置きタイム” と称して、若手メンバーに大太鼓を教えられてますけれども、あれがもう、見てて興味津々、面白くてしようがないですよね。その場にいる吉利さんも一つ一つ解説してくださるので(あ、そういうふうに打ってるんだ)と見ていて興味深いですし、知らない世界というか。そういう、手ほどきみたいなことは、昔からあったのでしょうか。
M:当時、具体的な手ほどきというのは、まぁ、ほとんど無かったと言っても良いかもしれないですね。もちろん、吉利さんの構成を参考にさせてもらって、自分なりに、自分の手を入れつつ作っていきました。吉利さんのスタイルは、どちらかと言うと裏打ちがあって一人で自由に打っていくっていうものでした。自分は最初そのスタイルから、裏打ちと一体感をもって作り上げていくっていうスタイルに変えていったんです。なので結構、裏打ちに助けられてる所もありますね。
K:へー、そうなんですか。
M:はい。だから、昔の大太鼓っていうと、裏打ちはもう淡々と叩いているだけという感じだったんですけれども、それを二者で一つのものを作り上げて相乗効果が出るスタイルにしました。私の場合は手(リズム)をほとんど決めてしまって、それに裏打ちも添わせて打ってもらっています。
K:そういうアイデアが出てくるっていう過程に、自分のスタイルや得意なものを追求していったことがあるのでしょうね。
M:自分なりの色んな手を考えていかなくてはならなかったので。今、”お仕置きタイム(大太鼓稽古)” でやっている、私の大太鼓の手を、今度は若手メンバーが最初の骨組みとして始めて、そこから自身オリジナルの手を入れてるんですけれども。吉利さんは持ち前のキャラクターで即興に近い形で叩いているところがありますね。私は逆に一個ずつ山を作って、それがトータルとしてクレッシェンドになるように考えたりしています。13分ほどの長い時間の演奏になると、それなりに展開していかないと同じ手が出てきてしまうので。
K:そして基本的にテンポが正確ですよね。
M:そうですね。でもやっぱりフレーズによってどうしても大太鼓って、テンポが揺れるんですよね。速くなったりとか遅くなったりとか。それに、裏打ちが結構合わせてくれていたりして。
K:一時期、小田洋介さんがずっと裏打ちをやってたっていう話を聞きましたが。
M:彼の感性って凄いですよ。何かこう、野生の勘と言うか。それで、表打ちの言いたいことを後押ししてくれたりとか、隙間をどういうふうにアクセントを入れたらいいか、感じて打ってくれました。そういう意味では洋介と一緒に作り上げた感じです。
K:玉三郎さんが芸術監督として関わられるようになってきて、舞台芸術として洗練された世界を追求する、というような流れになってきたじゃないですか。そのことについて最初はどういうふうに理解して消化していかれましたか。
M:遡ると、2000年から玉三郎さんに関わっていただいて、まず「鼓童ワン・アース・ツアー スペシャル」というのが、一番最初に玉三郎さんに3年かけて作品を作っていただきました。その時に、まず白い半纏を作られたんです。今まで着てる藍染の半纏を私たちはずっと着てきたんですけれども、それの白バージョンを作られました。
K:あ、写真で見たことある!
M:その時に、今まで自分たちは藍染しか着たことがなかったので、正直最初は(白ってどうなんだろう)と思いました。その後に「アマテラス」を経て、2009年に「打男」があり、佐渡での最終通しが終わって、翌日から東京に乗り込むという時に、玉三郎さんに「ちょっと髭生やしてくれない?」って言われて、「えっ!」って(笑)。更に、初めてタンクトップを着たり、頭にウィッグを付けたりしました。実際、髭を生やして普段と違う衣裳を着ると「自分じゃない」という感覚がありましたね。そして、2012年の「ワン・アース・ツアー〜伝説」の舞台で初めて半纏ではなくタンクトップとジーンズ姿、2部はきらきらの衣裳。
K:はい、きらきらでしたね(笑)。
M:そうなった時に、最初はみんなにも戸惑いはあったと思います。なので、その戸惑いがお客さんに伝わってた部分もあったのかと、今振り返って思いますね。
K:あぁ、なるほどね、そうかぁ…
M:舞台の内容としては、1部の「カデン」は新作でしたが、でもそれ以外で、新しいスタイルの曲というのはなかったと思います。それに対して、タンクトップであったりとか、きらきらの衣裳だったっていうことが、それまでの鼓童とのギャップがあって。そこに対してお客様の戸惑いがあったと思うんですけれどね。アメリカではタンクトップというのは、どちらかと言うとあんまり良い印象がないようで、少し暴力的なイメージがあるらしいんです。なので日本ツアーではずっとタンクトップで通してきて、アメリカツアーでは腹掛とパッチで行いました。自分はアメリカ公演ではお客さんとして観たのですが、初めて観た時に、逆に凄く、その姿(腹掛やパッチ)に違和感があったんです。
K:あぁ、逆に。
M:「カデン」みたいな、ああいう自由な、今までに無かったセットの中での腹掛姿が、逆にこう、凄く違和感があったというか。それは、今まで自分が感じなかったことでしたね。「カデン」っていう曲にはタンクトップの衣裳の方が良かったんだと、初めてアメリカで感じました。
K:なるほどね。へぇー。そっかそっか。じゃあ、もうそれはある意味の固定観念みたいなのがあったり、半纏とかにとらわれてたりした所を、良いふうに崩して変えていただいたということなんですかね。
M:そうですね。自分たちにも固定観念がありましたし、観ているお客様もやっぱり、鼓童の衣裳っていうのは半纏・腹掛というのが定着していたのですが、玉三郎さん的にそれは和太鼓の伝統的な衣裳ではないというお考えもあるので。「何でも着られる、何でも叩ける表現者であってほしい」っていうことを仰っていました。そういう意味で、「剥がしてもらった」って言うんですかね。自分たちだけではできなかったことだと思うんです。
今までの舞台は、自分たち鼓童の中だけでほとんど演出してきました。なのでどうしても演奏者の視点で構成を考えていた部分があったと思います。やっぱり玉三郎さんは外から見られているので、その舞台を、芸術作品を見るっていう視点で作られているのだろうと思いますね。お客様が観た時に作品として完成するよう、玉三郎さんが整えてくださった。「伝説」はちょっとずつ移行しながら、「神秘」はもうほとんど新曲で、「永遠」ももう全くゼロから作られたというように、少しずつ新しい要素を加えながら。演奏者も「神秘」の時から、玉三郎さんの作品としてゼロから一緒に作っていった経験が大きく、衣裳が半纏とは違うことには全然、抵抗感なかったと思います。なので、それもお客様に伝わって、衣裳に対する固定観念が払われた感じがやっとしました。
K:ちなみに次の作品の「混沌」では、その固定観念を破るという意味でドラムが出てきたり、タイヤが出てきたりするんですけれども、どういう風に、見えていますか。
M:玉三郎さんは、芸術監督になられた際に「鼓童の振り幅を大きくして、とにかく大きく振ってみて、何が返ってくるのかっていうのを見たい」っておっしゃっていたんですね。そういう意味では、段々段々振り幅が大きくなってきて。お客様も徐々にそういう新しいことに鼓童がチャレンジしている姿を受け入れてくださってきたと感じますし、玉三郎さんの演出の舞台から観ている方には最初からこういうものだと思われているので、そういう意味では、違和感を感じなくなってきているように思います。
K:そうなんですね。
M:老舗のお店とか、何でもそうなのかもしれませんが、やっぱり長く続いていくものは、その時代の新しいものをどんどん取り込んでいますね。本質がちゃんとあれば、どんなものでも受け入れられていくのかもしれないですね。和太鼓の舞台芸能のこれから先についても、ずっと同じものだと、いずれ飽きられてしまうと思います。自分たちの昔のスタイルっていうのは、一個しかなかったんですよ。「鼓童ワン・アース・ツアー」といえば、「三宅」があって、「大太鼓」があって、「屋台囃子」というものがいつも登場する舞台でしたが、玉三郎さんは歌舞伎とかクラシックと同じように、レパートリーをたくさん作ってくださっているんです。「伝説」、「神秘」、「永遠」、それから「混沌」、その先にまだ作品を一緒に考えてくださっていますが、そういうのがあれば作品として繰り返し上演していけるし、人が代わってもその作品自体が残っていく。舞台芸術としてちゃんと成り立つように、先のことを考えてくださっています。そして、音楽的にも整えてくださいました。今までは「行け行け!」と大きな音で感情的な演奏もあったと思いますが、今はもっと抑制されて、作曲者の意図に沿ってできるようになってきましたね。そういう意味では凄く、表現の幅が広がったと思います。音も強いか弱いかだけではなく、何段階もの表現ができるようになってきたことは、玉三郎さんのご指導のおかげです。
K:一つ一つが本当に勉強になって、何か嬉しいというかね、本当に幸せな空間で。毎回、稽古が楽しいんですけれども。本質の部分というか、変わらない「核心」の部分で言うと、やっぱり人間の生きているエネルギーとか、自然と一体になるというか、そういうものを感じてそれを表現するみたいなことだと思うんですけれども。例えば「屋台囃子」は秩父の夜祭の太鼓を舞台向けにアレンジされていると思いますが、そういう所は、意識して鼓童で伝承されているのでしょうか。
M:研修所では必ず「屋台囃子」、「三宅」、それから伝統芸能の踊りなどを学びます、そういうものはやっぱり根っこになるんですよね。植物で言ったら舞台は花の部分で、研修所っていうのは見えない根っこの部分を作るところ。そこでやっぱり、どれだけ色んな経験してきたのか、どれだけ努力して頑張ってきたかっていうのが舞台に上がった時に光るものになると思います。でもあまりにも舞台と研修所がかけ離れているとギャップがあるので、最近は舞台でやっている演目も指導するようにしています。
K:この間、研修生の発表会も見させていただいて、技術云々じゃなくて、本当に何か必死にやっているっていう所で伝わってくる部分が凄くあって感動しました。「屋台囃子」にしても秩父の夜祭というのがあって、その秩父の神様や大自然の八百万の神々に対して、太鼓を叩いているということが基本じゃないかなと思っていて。獅子躍や鬼剣舞など他の芸能もそうですが、そういうものは全部こう、鎮魂だったりとか、感謝の気持ちだったりとか…研修所で田んぼや畑の作業をする中で、そういう自然への感謝を実感したり、学んでいることが凄いと思います。
M:そうですね。まず、研修所がある地元のお祭りに、担い手として参加させていただいてます。神事というか、そういう経験が凄い大きいと思いますね。例えば「屋台囃子」とか「三宅」は、現地を訪れることがなかなか難しいので、ビデオとか写真を見せて、「実際のお祭りはこういうものですよ、ここでこういうふうに叩かれてますよ」というのをまずちゃんと知ってもらうんですね。それを知らないと、ただ鼓童の舞台に上がっている太鼓だけを見て習得することになってしまうので。「元の芸能についてきちんと知った上で、鼓童のアレンジされたものを勉強していきましょう」というふうにしています。また太鼓は、それ自体にエネルギーがあると言うか、牛や大木、生きていたものから成っているので、そこに対する感謝っていうのを大事にしなくてはならないことも伝えています。
K:素晴らしいですね。そうやって追求していくと、自分も自然の一部であって、周りに感謝しているということは、自分も生かされているっていうことでもあると思います。自分にも一所懸命何かこう、自然界に還元しているっていう所に行き着く感じがして。叩いている中で、個々と個々とが凄い繋がって、どーっと響き合っているような、そんなとっても幸せな瞬間があるんですよね。
M:太鼓も結局「言葉」だと思います。何千人というホールで一番遠くの人に届かせるためには、きちんとしっかり、大きな声で喋らなきゃいけないというのと同じで、太鼓も滲んだような音ではなく、しっかりと伝わるような太鼓を叩かなくてはいけない。例えば、地打ちであったら「ソロを打つ人にしっかり伝えることを意識して、ちゃんと自分の音に責任を持ちなさい」という風に。「自分が出している音にちゃんと責任を持たないといい加減な音になってしまうので、そこをしっかり、もっと意識して、疲れていても口唱歌だけはちゃんとしっかり言い続けなくては」と。
K:なるほど。ドラムでは、その人の持っているエネルギーがぽーんと爆発していれば格好良いと思いますが、その代わり、スタイルだけ格好良さを持ってきちゃうと薄っぺらいものになっちゃいますね。そういうのはいつもね、心に留めていますけれども。
M:そういう意味で、私がやっぱりドラムの人の凄いと思うところは、テンションが上がっても、しっかりバンドを支えているっていう。どんなにテンションが上がってもテンポがキープできて、「ノリ」もきちんとキープできるところが素晴らしいと思います。
K:いやいやいや、それは人それぞれですよ。僕も走る方が好きなので、あんまり気にはしてないんですけれども。「全員走っていっちゃったらもう全然気にならない。」っていうバンドにいましたけど(笑)。
では最後に、見留さんとしての音楽観というか世界観というか、展望みたいなことを教えてもらえますか。
M:自分は、従来の鼓童のスタイルでずっとやってきた人間なので、やっぱり何かこう、何て言うんですかね。自分に正直に真っ直ぐぶつかっていくことしかできないので、そういう意味ではあんまり変化球は投げられない。直球勝負しかできないので、それでも自分はそうやって演奏してきたので、最後まで貫いていきたいなという部分はありますね。
K:それは格好良いですね。
M:どっちかって言うと演奏者っていうよりは、まぁ職人に近い感じかもしれないんですけれども。
K:これからも真っ直ぐな太鼓をどうぞ叩きつづけてください。
M:ありがとうございます。
梶原さんと見留、対談後に固い握手。
【佐渡へ初演を観にいこう!】
23日、新作「混沌」佐渡初演!
http://www.kodo.or.jp/oet/20151123a_ja.html
11/22 17時まで受付:アミューズメント佐渡 Tel. 0259-52-2001、蔦谷書店佐渡佐和田店(窓口へ)
(鼓童チケットサービスでの受付は終了しました)
当日券は23日14時より劇場で販売
梶原徹也 かじわら・てつや
1963年福岡県生まれ。ロックバンド「ザ・ブルーハーツ」の元ドラマーであり、世界中で演奏活動を続けるドラム奏者。ロック、和太鼓やダンス、アクロバット飛行機とのコラボなど、ジャンルにこだわらずパワー全開でドラムを叩いて、爆発する生命エネルギーを伝えている。また、バリアフリー・ロックバンド「サルサガムテープ」やフリースクールでの音楽講座など、大人数でリズムを自由に叩きながら、参加者全員で音楽の楽しさを共有する、という活動を積極的に行っている。2015年3月からは、鼓童メンバー・小田洋介とのバンド「えびす大黒」も始まった。
見留知弘 みとめ・ともひろ
1970年8月17日生まれ。東京都足立区出身。5歳より地元の太鼓グループで太鼓を始める。1989年研修所入所、1990年よりメンバーとして活動。国内外のツアーで三宅や屋台囃子などの演目で数々の舞台に立つ。1997年からは大太鼓を担当し、長年にわたり舞台の精神的な柱として活動。2006年、樹齢600年の大木から太鼓をつくる「手作り欅太鼓プロジェクト」で棟梁を務めるなど、ものづくりへの情熱も熱い。2012年4月より4年間、太鼓芸能集団鼓童の初代代表に就任。ソロ・小編成公演、ワークショップなどで活動の幅を広げる一方、一打一打へのこだわりと正確な技術で、研修生への指導にも尽力する。
「混沌」いよいよ劇場へ/蓑輪真弥
新作舞台「混沌」の初日、佐渡公演まであと2日となりました。稽古も大詰め、鼓童村から場所を移し、昨日から舞台稽古が始まりました。
「混沌」というだけに”カオス”状態。その中で生み出される音色はなぜか心地が良く、調和のとれた舞台になっていると思います。この舞台を作っていってる中で、和太鼓、鼓童とはこういうものだと、自分の中にあった固定概念が自然と消えていき、ニュートラルな感覚で音を出している自分がいます。
タイヤであろうが、西洋打楽器であろうが、音を出している自分には変わりはない。新しい感覚で、それでいて”素”でいられることがとても楽しいです。
佐渡初日までの2日間で更に進化していく舞台。皆様、お楽しみに!
【佐渡へ初演を観にいこう!】
23日、新作「混沌」佐渡初演!
http://www.kodo.or.jp/oet/20151123a_ja.html
11/22 17時まで受付:アミューズメント佐渡 Tel. 0259-52-2001、蔦谷書店佐渡佐和田店(窓口へ)
(鼓童チケットサービスでの受付は終了しました)
当日券は23日14時より劇場で販売
梶原さんによるドラム知識講習/西村信之
梶原さんによるドラム知識講習
昨日、稽古場にて混沌へ向けてドラム監修の梶原さんより演奏者へドラムについての知識講習をしていただきました。
ブルーハーツ仕込みのセッティングや扱い方などこれからの新作へ向けて学びます。
間もなく初日・佐渡公演です!