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「坂東玉三郎×鼓童特別公演 幽玄」製作発表


「坂東玉三郎×鼓童特別公演 幽玄」製作発表

Photo: Takashi Okamoto

本日、都内にて「坂東玉三郎×鼓童特別公演 幽玄」製作発表を行い、坂東玉三郎さん、鼓童メンバーの石塚充、中込健太、北前船代表取締役社長の青木が登壇いたしました。会見でのコメントを写真とともにお届けいたします。

坂東玉三郎

Photo: Takashi Okamoto鼓童とは、2006年の「アマテラス」で共演し、その後、2012年から4、5作と様々な作品を創らせて頂きました。そして2017年「アマテラス」に続く共演作として「幽玄」を上演いたします。

これまで、色々な作品を創ってまいりましたが、他の作品のお稽古の中で、ここにいる石塚充さん、中込健太さん、そして本日はいらっしゃいませんが、代表の船橋裕一郎さんたちと、「あなたたちはどんな作品が創りたいの?」という話になったんです。そうしましたら、「“日本のもの”を創りたい」と答えたんです。ただ、日本の様式を創るのはとても大変難しいという話をしました。もちろん和太鼓は日本のものであります。和太鼓の世界であれば、それなりのものができますが、日本の様式をもった美しさのある舞台を創るのは、難しいと思っているからです。しかし、それから色々と考えまして一昨年から“日本のもの”に向かって創りはじめました。

 

“日本のもの”というと、これまでもやってきたじゃないかと言われそうですが、極端に日本的なものというと世阿弥の世界かなと思います。歌舞伎は、世阿弥よりも(年月が)もっと下りますからね。太鼓というのは太古からあります。日本の独特の芸能の世界、舞台芸術というと、「能楽」を題材にした方がいいと思いました。

私が歌舞伎的なものやればそれで済むのでしょうが、鼓童とやるからにはあえて「幽玄」という世界。鼓童(の作品)とも歌舞伎とも違った世界に行きたいと思います。

Photo: Takashi Okamoto

─内容について

第一幕で「羽衣」の物語をやらせて頂きます。第二幕は、はじめ「石橋」だけと考えていましたが、やはり私が歌舞伎の世界からやってきたということもあり、「道成寺」の世界です。私が着ております衣装あるいは様式は、歌舞伎的な雰囲気を持ち込みたいと考えています。

─玉三郎さんの演じる役は?

「羽衣」では、天女を演じます。「道成寺」では、花子を演じます。「石橋」は、獅子として登場します。他にも天女のワキツレ等、花柳流の家元さんやお弟子さん、そして鼓童のメンバーにも出て頂く予定です。

Photo: Takashi Okamoto

─稽古で苦労している点は?

今回鼓童のメンバーは能楽の楽器を用いて、演奏する訳ではございません。その様式をもらって、翻訳していくわけです。ですので、その点は大変です。

歌舞伎にも能楽にも決まり事はあります。しかし、観阿弥、世阿弥の頃は違って、もっと自由だったと思うのです。ただ、決まり事を壊すだけ、自由で楽しければよいというものでもありません。その線引きをしていくのが稽古です。鼓童は、ちゃんとお稽古をしている人たちです。あまりにも芸能の幅が広くなってしまったために修行できる時間と場所が限られている。でも、佐渡というところに入って、ずっと稽古をし、自分たちを理解していくことができる。

この鼓童という素材でどれだけお客様が楽しんで頂けるものをできるか、というのが私の課題です。

Photo: Takashi Okamoto

石塚充(鼓童)

こんなにも早く、玉三郎さんと舞台の上でご一緒させて頂く機会を与えて頂き、さらにオーチャードホールをはじめ、全国各地の名だたる劇場で、上演をさせていただくことは、この上ない喜びであり、そして、身が引き締まる思いです。

今回は日本の伝統芸能を題材にしているということで、これまでよりも敷居が高く、難易度の高く、大変難しい作品にはなるかと思いますが、それをお客様にはシンプルに楽しんで頂けるように、皆さまの記憶に残るような素晴しい作品になるよう精一杯務めさせて頂きます。

能楽の稽古は、まず正座が大変ですね(笑) また、普段鼓童の作品は人間が生活をしている様や呼吸が通った音楽を演奏しますが、能楽は「人間じゃないところに行く」という印象です。先生方の呼吸等を見ていると、人間であるということを超えて行くという印象があります。

玉三郎さんがいらっしゃる前の鼓童は、しきたりのようなものがありました。そこへ玉三郎さんがいらして、何故そうしなきゃならないのかという疑問を投げかけられるんです。否定をするでも肯定をするでもなく、いつもニュートラルな状態で、発想として自分たちには無いことをおっしゃるんです。おかげで、今の鼓童は風通しがよくなり、明るく自由になったと思います。

Photo: Takashi Okamoto

中込健太(鼓童)

今まさに能楽の勉強を皆でしていますが、同じ太鼓でもこんなにも表現が違うものなのかと難しさを感じているところです。いつも玉三郎さんとご一緒するとき、玉三郎さんは今まで気付かなかったような太鼓の響きを気付かせてくださいます。今回もどんな新しい太鼓の響きが発見出来るのか楽しみです。

Photo: Takashi Okamoto

青木孝夫(株式会社北前船 代表取締役社長)

鼓童は2000年に坂東玉三郎さんと出会い、創立25周年の2006年に玉三郎さんとの共演の「アマテラス」という神話を題材にした作品を上演させて頂きました。玉三郎さんと共演ということは鼓童にとっては、夢のようなお話だったのですが、また今年このように実現することが出来ました。この17年間の玉三郎さんのご指導により鼓童が成長した姿をお見せできると思います。

テーマが「幽玄」ということなので、前作と比べ、さらに鼓童のメンバーたちに表現の緻密さと深さを求められることになると思います。一昨年から玉三郎さんのご指導に加え、主に能楽の先生方、花柳流の家元にもお力添えをいただき、とても充実した稽古をさせて頂いています。

世阿弥が言っている「珍しきが花」というように、鼓童の演奏によって、天地をつなぎ、宇宙にも届くような演奏をし、今までにないような作品が生み出せればと思っています。

Photo: Takashi Okamoto

撮影:岡本隆史

会見関連記事

[Astage]「アマテラス(2006年初演)」に続き共演第二弾!坂東玉三郎×鼓童 特別公演 幽玄〜製作発表会見
http://www.astage-ent.com/stage-musical/kodo-yugen-2.html

[RanRanEntertainment]坂東玉三郎、「鼓童」との共演第二弾『幽玄』の製作を発表!
http://ranran-entame.com/eventrepo/44730.html

[エントレ]坂東玉三郎「鼓童でも歌舞伎でもない、幽玄を作る」/「幽玄」製作発表レポート
http://entre-news.jp/2017/02/36204.html

[シブヤ経済新聞]渋谷Bunkamuraで坂東玉三郎さんと太鼓集団「鼓童」再共演へ 能の演目題材に /東京
http://www.shibukei.com/headline/12107/

[ステージナタリー]渋谷Bunkamuraで坂東玉三郎さんと太鼓集団「鼓童」再共演へ 能の演目題材に /東京
http://natalie.mu/stage/news/219169

[スポーツ報知]坂東玉三郎、太鼓集団「鼓童」と「アマテラス」以来2度目共演
http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170201-OHT1T50138.html

[スポニチアネックス]坂東玉三郎 太鼓集団「鼓童」と共演再び「魅せる舞台にしたい」
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/02/02/kiji/20170201s00041000328000c.html

[デイリースポーツ]坂東玉三郎、鼓童と2度目の共演「僕にとってもトライだった」
https://www.daily.co.jp/gossip/2017/02/01/0009878311.shtml

[テレ朝news]玉三郎、和太鼓集団と2度目共演!能を表現
http://news.tv-asahi.co.jp/news_geinou/articles/hot_20170201_160.html

[演劇キック]坂東玉三郎×鼓童の共演第二弾 『幽玄』!製作発表レポート
http://kangekiyoho.blog.jp/archives/52018710.html

[歌舞伎美人]玉三郎が演出・出演『幽玄』を語る
http://www.kabuki-bito.jp/news/3842

[東京中日スポーツ]玉三郎×鼓童 再コラボ 花柳流お家騒動「影響なし」
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2017020202000149.html

[日刊スポーツ]坂東玉三郎、太鼓集団・鼓童と再共演 能演目を表現
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1772990.html

[サンケイスポーツ]坂東玉三郎が密着カメラに苦笑「稽古はしにくいです。言いたいことが言えない」

http://www.sanspo.com/geino/news/20170201/geo17020119440039-n1.html


鼓童の歴史 青木社長が語る35年/文・伊達なつめ


鼓童の歴史 青木社長(株式会社北前船)が語る35年

文●伊達なつめ

美しく厳しい自然に囲まれ、民俗芸能の宝庫である佐渡で文化のあり方を学び、地方から日本と世界を見つめ直す──。1981年にベルリンでデビューを飾った鼓童は、’60~’70年代の大学紛争を経た若者たちが、理想郷を求めて結成した佐渡の國鬼太鼓座が、その前身。大自然の中で生かされているという自覚を保ち、佐渡に活動拠点を定める基本理念と、プロフェッショナルの音楽芸能集団として、高度な芸術性の追求に努める新たなミッション。両輪の充実を目指して歩んできた鼓童の35年間を、青木社長が振り返る。

Photo: Takashi Okamoto

宮本常一先生(※民俗学者で鬼太鼓座設立時のアドバイザーでもあった)が力説されていた『地方から発信できる力を持つ』ことを可能にし、地域に根付くためには、会社組織にしてみんなが生活できる最低限の基盤を調えなければならない。そのために奔走したのが、初期の鼓童でした。豊かな自然と芸能文化が残っている環境が大事だと思い、佐渡にこだわりましたが、当時のメンバーみんなが、単純に佐渡が好きだった、という面も多分にありましたね。

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琉球舞踊の佐藤太圭子先生と鼓童・初期のメンバー

現実的な問題として、たとえ佐渡でも、周囲に民家があると太鼓を叩く音が騒音になってしまうので防音設備が必要ですが、1986年に現在の鼓童村がある場所(佐渡南西部の小木金田新田)を確保できて、まわりに何もないという、夢にまで見た環境を実現できました。

ただ、当時はこの「鼓童村構想」にみんなの意識が傾き過ぎていたところがあり、創造活動に集中したかった創立メンバーの林英哲さんは、一年で鼓童から去って行かれました。鬼太鼓座を始めた当初から集まっていたのは必ずしも芸能に興味のある若者ではなかったので、こうしたギャップが生じたんでしょうね。私個人は、英哲さんの演奏に感銘を受けて佐渡にやって来た口なので、この時は「もう鼓童は駄目かな」とほんとうに思いましたし、他のメンバーも、同じ気持ちだったかもしれません。その後太鼓も一度すべてなくなって8ヶ月活動を休止しましたが、1984年にはワン・アース・ツアーを開始し、1986年にはサントリーホールのこけら落としに参加させていただけるまでになりました。

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しかし、鼓童村建設が具体化した矢先の1987年には、構想を主導していた代表の河内敏夫が、事故で急逝しました。資金調達もすべて彼がしていたので、最初はその年の海外ツアーの費用を捻出するのにも想像を絶するくらい四苦八苦しましたが、掲げた理想を実現するために、いろいろな方に協力していただきながら、なんとか困難を乗り切ってきました。

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やっと運営も軌道に乗り、1993年には念願だった高い天井と、舞台と同じ広さの空間がある稽古場ができました。鼓童の活動も順調だった1999年頃、理屈ではうまく説明できないんですが、私の中に「このままでは鼓童は続かなくなる」という危機感が芽生え始めました。すでにいろいろなプロの太鼓グループが出現していて、鼓童がやってきたことは、みなさん大体できてしまっている。これからはプロの太鼓芸能集団として表現を深め幅を広げて他と差別化していかないと、淘汰されてしまうと感じたのです。

とはいえ、それを自分たちだけでやることには限界がある。どんな組織でも同じだと思いますが、20年もやってくると、組織の形とやり方が固定されてきて、新しいことに挑戦しにくくなってしまいます。そうなったら外から違う風を入れて固まったものを壊さないと、組織自体が駄目になってしまう。

そう思って、メンバーの意見を確認することもまったくせず(笑)、独断で玉三郎さんに鼓童との共演をお願いしに行きました。玉三郎さんは「最初から共演は難しいが、演出なら」とお引き受けくださって、2000年から佐渡の稽古場にお越しいただくようになりました。

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鼓童のメンバーにとっては、今までとはまったく異なる体験となり、戸惑いも大きかったようですが、玉三郎さんはそれを感じながらも、根気よく関わってくださいました。その時準団員だったのが、いま代表になっている船橋裕一郎や、石塚充の世代です。現在では、玉三郎さんが何かひとこと言うだけで、みんなすぐに理解するので、稽古は実にスムースに運んでいます。2012年からは芸術監督をお願いし、作品だけでなく、メンバーの体調管理から研修所の整備に至るまで、全体にわたる指導をしていただくようになっています。

Photo: Eri Uchida

振り返ってみると、35年間もよくやってこられたな、というのが実感ですが、自分たちの生きている時代だけで終わろうとしていたら、ここまでは来ていなかったと思っています。私には、太鼓芸能文化を、能や狂言や歌舞伎と同じように、何百年も引き継がれ、世界中の人々に楽しんでいただける芸能に引き上げたい、という夢があるんです。とても自分が生きている間にかなうことではありませんが、今やっておくべきことはあるはずです。玉三郎さんに指導をお願いしていることもそのひとつで、この貴重な時間にさまざまなことを学んでおくことが、10年後、20年後、30年後…100年後くらいに、必ず活かされると信じています。

これからも、生きている間にやらなければならないことを、精いっぱいやっていくつもりです。鼓童のメンバーたちも勉強を重ねて、もっともっと自身の表現を磨いてほしいと思っています。

ー鼓童創立35周年記念コンサートパンフレットより

 


追悼 永 六輔さん①


追悼 永 六輔さん

2003年鼓童村にて(写真:田中文太郎)

2003年鼓童村にて(写真:田中文太郎)

放送文化のひとつの時代を創り、多くの方々に影響を与えてこられた永六輔さんがお亡くなりになりました。鬼太鼓座・鼓童の出自に関わり、長年にわたり私たちに厳しくも温かく叱咤激励してくださいました。心からご冥福をお祈りするとともに、その言葉の数々をあらためて胸に刻みたいと思います。

佐渡、宮本常一先生、鬼太鼓座、鼓童
鬼太鼓座、鼓童の始まり

永さんとの出逢いは45年前、鬼太鼓座を始めるきっかけとなる、人を集めるところからになります。

1970年、当時パーソナリティーを務めていたラジオの深夜番組で、鼓童の前身「佐渡の國鬼太鼓座」が誕生するきっかけとなった「おんでこ座夏期学校」開催を呼びかけたのが、永さんでした。永さんのお話によれば、詩人の谷川俊太郎さんから「佐渡で島興しをやろうとしている若者がいる」という連絡があり、田耕氏が谷川さんの紹介状を持ってTBSへ来社。ちょうど「パック・イン・ミュージック」というラジオ番組をやっている頃で、その話がそのまま放送で流れた、という、このグループの生まれるところからの関わりです。実はそれ以前から、宮本常一先生と本間雅彦先生のつながりで佐渡へのご縁はつながっていました。

永六輔さんと宮本先生

宮本常一(みやもとつねいち=1907〜1981)/「旅する民俗学者」と呼ばれ、ひたすら歩いて日本中の民俗や民具を調査した、日本を代表する民俗学者。農村や離島の振興に尽力され、また「職人(日本海)大学構想」を提唱するお一人として「佐渡の國鬼太鼓座」誕生に関わられた、鼓童にとって大変縁の深い方。

永さんは戦後、日本の歴史観が大幅に変わる中で歴史を学ぼうと志します。なかでも、一番身近にあった民俗学を宮本先生に学びました。

20歳の頃、テレビ開局を機に、放送業界へ進もうとする永さんに、宮本先生が贈った言葉は「放送の仕事は電波の仕事。電波は山や海を越え、どこまでも行く。我々は今まで歩いて日本中を調べてきた。君は電波を発信して日本を調べなさい。だけど、一つだけ約束してほしい。電波を出すだけではなく、届いている電波の先へ行ってほしい。どういう風に情報が受け止められているかを調べて、スタジオに持ち帰って話をしなさい」というこの言葉を支えとして活動されていらっしゃいました。

宮本先生への思い

永さんが、鼓童と接するときにいつも心を配られていたのは宮本先生ならどう思うか、ということだったように思います。

「鼓童と一緒に仕事をする時に僕が一番したかったのは、宮本先生のやり方なんです。歯食いしばって、何かするんじゃなくて、できることだけしていればいいんだから。あるものを大事にして、そこでできることだけでそれで満足しなくちゃいけないと。もっとよくしようとか、もっと豪華にしようとか、それは宮本さんのやり方じゃないの。宮本さんはそんなこと全然考えない。時間の流れの方が大切なんだ。だから、今回は衣裳にしても鼓童にあるもので、それを如何に工夫して生かすか、という発想でやりました。(中略)宮本さんは、あくまで日本の国の中の人で、世代的にもそういう時代の人だから、海はあるんだけれど、世界は見えてこないんですよ。だけど、それを受け継いだ鼓童の世代は、佐渡だけじゃない日本だけじゃない、アジア、世界って言う展望の中で、世界中の太鼓の叩き手に、宮本さんの考え方を伝えていくことだと思うんですね。」(一九九六年「永六輔の『鼓童で遊ぼう』」のインタビューより)

宮本常一(みやもとつねいち=1907〜1981)/「旅する民俗学者」と呼ばれ、ひたすら歩いて日本中の民俗や民具を調査した、日本を代表する民俗学者。農村や離島の振興に尽力され、また「職人(日本海)大学構想」を提唱するお一人として「佐渡の國鬼太鼓座」誕生に関わられた、鼓童にとって大変縁の深い方。

永六輔さんと本間先生

2000年5月柿野浦の研修所にて 本間雅彦先生もご一緒に(写真:吉田励)

2000年5月柿野浦の研修所にて 本間雅彦先生もご一緒に(写真:吉田励)

永さんは宮本先生のつながりで、本間雅彦先生と知り合います。中でも、一緒に活動をされていた小沢昭一さんが、日本の放浪芸を追求していくなかで目をつけ、一度は完全に亡びたといわれていた佐渡の芸能のひとつである「春駒」の収集を、本間先生がしてくださったことを後々まで語っていらっしゃいます。

2010年6月に、永さんがラジオの仕事で佐渡にいらしたのですが、ちょうどその日が、本間先生の告別式でした。お手紙の中で、その日に佐渡にいられたことに胸を熱くした、と書いていらっしゃいます。

本間雅彦(ほんままさひこ=1917〜2010)/1959年、九学会調査で佐渡を訪れた民俗学者・宮本常一氏と出会い、その人格・研究姿勢に大きな影響を受けた。佐渡の國鬼太鼓座〜鼓童の佐渡で一番の支援者であり理解者。「てずから工房」主宰。佐渡島内の各町村の郷土史や民族研究など執筆多数。

本間雅彦(ほんままさひこ=1917〜2010)1959年、九学会調査で佐渡を訪れた民俗学者・宮本常一氏と出会い、その人格・研究姿勢に大きな影響を受けた。佐渡の國鬼太鼓座〜鼓童の佐渡で一番の支援者であり理解者。「てずから工房」主宰。佐渡島内の各町村の郷土史や民族研究など執筆多数。

鼓童への思い

「僕は、鬼太鼓座初期の舞台から立ち会っているわけだけど、ファンであって、クリエイターではない。応援団かと言われると、応援団でもない。つまり鬼太鼓座が10年、鼓童が25年あるとして、じゃあ、あなたは何をしていたのですか? と言われると、これといって何にもないんですよ。鼓童がこうなるといいなと思う願望はあります。ささやかながら、そういう手伝い方はしてはいるんですけどね。」

鼓童の30周年の記念誌「いのちもやして、たたけよ。」に本間先生と鼓童のあるべき姿を語った、と書いてくださっています。

もっと歌え、舞え、踊れ。
もっと語れ、弾け、遊べ。

追悼 永 六輔さん/青木孝夫

鼓童には遊びがたらん! 圧倒する太鼓は若ければ叩き方次第で誰だってできる。もっと太鼓で歌え、語れ!

衣装にしても、画一的で個がみえない。もっと自由に!

君たちは批判という声にうたれ弱い。もっと強くなれ!

大きい太いバチでなくてもいいだろう。バチでなく手を叩いてほしい

もっと子どもやお年寄りに楽しんでもらえる芸を身につけなさい。

1980年代から、私は永さんにお会いするたびに、このようなお説教を浴びせられ続けました。当時は若さゆえ、その言葉の意味が理解できずによく落ち込んでいました。しかし、2003年、坂東玉三郎さん演出の舞台をご覧いただいた時に、和紙に書かれた棟方志功の版画絵と永さんの直筆のメーセージは嬉しかった。

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「僕の待っていた鼓童に近づきつつあります。声を・・と 三十年! ありがとう 玉三郎さん」

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「人間自分で変えられない時は変えてもらえればいいのです。まだまだ変われます。」

現在、玉三郎さんにご指導を仰ぐ中で、永さんのこの言葉の意味と通ずることがたくさんあります。

「むずかしいことをやさしく、やさしいことをおもく、おもいことをおもしろく」。この、井上ひさし氏の言葉も永さんから教えてもらいました。

いつも愛情深く、厳しい叱咤激励をいただいた言葉のひとつひとつを胸に刻み、まだまだ先は長いと思いますが、永さんに褒めてもらえる鼓童に変わっていけるように自由に「遊びたい」と思います。

ありがとうございました。
合掌

鼓童グループを代表して
青木孝夫

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2003年11月 「鼓童ワン・アース・ツアー スペシャル」をご覧いただいた後に寄せてくださったお手紙。

追悼 永 六輔さん②/永さんからの伝言
http://www.kodo.or.jp/blog/kikanshi/20160918_10963.html

追悼 永 六輔さん③/ありがとう、永さん。鼓童メンバーからのメッセージ
http://www.kodo.or.jp/blog/kikanshi/20160918_10964.html


「鼓童創立35周年記念コンサート」記者発表より


「鼓童創立35周年記念コンサート」記者発表より

Photo: Takashi Okamoto

5月31日、都内で8月開催の「鼓童創立35周年記念コンサート」に向けての記者発表を行いました。坂東玉三郎芸術監督、鼓童メンバー(船橋、石塚、坂本、住吉)4名、社長の青木が登壇し、それぞれ35周年への想いを語りましたので、コメントの一部をご紹介します。

Photo: Takashi Okamoto

◆坂東玉三郎コメント
鼓童とは2001年から一緒にお仕事をさせて頂きました。25周年の時には「アマテラス」という大きな公演で共演しました。2012年からは芸術監督を努めさせていただき、今回の35周年記念公演の演出もさせて頂きます。8月の記念公演では、第一夜「出逢い」は、オーケストラとの共演の集大成となり、第二夜「螺旋」は鼓童のみで、古典的なものと、将来に向かっての新作が回転しながら進んで行くイメージの演目に致しました。第三夜「飛翔」では、ダンサーと共演する公演となります。これまで創り上げてきた様々な作品が3日間に集約されています。また各公演で、鼓童のメンバーや、私が作曲した演目もあります。皆様にお楽しみ頂ければ幸いです。


Photo: Takashi Okamoto

◆船橋裕一郎コメント
素晴しい芸術監督のもとで35周年を迎えられるのが嬉しいです。玉三郎さんからは生き様全て、普段の食事や振る舞いなどの行動全てが舞台に繋がっているという覚悟やこだわり、突き詰め方など、演奏者としての心構えを教えて頂きました。8月の公演は、鼓童のこれまでとこれからが凝縮された内容で、太鼓、鼓童の可能性を十分にお見せ出来る3日間になると思います。太鼓の音色を無限に広げている最中ですので、より多くの皆様にご覧頂けたらと思います。

Photo: Takashi Okamoto

◆石塚充コメント
以前は、いかに力強い音を出せるかにこだわっていたのですが、玉三郎さんからは音色の違いが分かるくらいに、大きな太鼓でも「小さい音や優しい音、弱い音を大事にしなさい」と教えて頂きました。8月の公演は35周年の集大成ではありますが、これからの鼓童を担って行く20代、30代のメンバーが中心となっており、ここからスタートという意味も込めた公演でもあります。長年やってきた曲にも新しい解釈・切り口などを加え、新曲も上演しますので、これからの鼓童、太鼓の可能性を感じて頂けると思います。

Photo: Takashi Okamoto

◆坂本雅幸コメント
玉三郎さんの言葉で芸術に対する指針になる2つの言葉がありまして、「自信過剰とうぬぼれは芸の妨げになる」と「舞台上では、大きく、正しく、エレガントに」という言葉が、演奏者としての私の道しるべとなっています。8月の公演の第一夜「出逢い」は、これまでも演奏してきた石井眞木さん作曲の「モノプリズム」、冨田勲さん作曲の「宇宙の歌」に加え、世界初演となる猿谷紀郎さん作曲で拍子が複雑で挑戦しがいのある「紺碧の彼方」や、伊左治直さんとともに佐渡で音を出しながら作った動きのある、視覚的にも考えられた「浮島神楽」など、4曲全て印象が違う曲となっているので楽しんで頂ければと思います。

Photo: Takashi Okamoto

◆住吉佑太コメント
私は2012年に玉三郎さんが芸術監督になられた年に正メンバーになりまして、研修生の時から様々な価値観や技術を教えて頂き、当たり前のように考えていた固定概念に対して改めて考えるきっかけを頂きました。8月の公演でも作曲をさせて頂いたのですが、作曲する際に太鼓打ちでは思いつかないようなアイディアを頂きながら、固定概念に捕らわれない曲づくりが出来たと思いますので楽しんで頂ければと思います。

Photo: Takashi Okamoto

◆青木孝夫コメント
30年前にサントリーホールのオープニングシリーズで石井眞木さん作曲の「モノプリズム」という演目を小澤征爾さんの指揮で演奏させて頂き、今年鼓童創立35周年の記念の年にまたサントリーホールで公演させて頂ける事がとても感慨深いです。3日間それぞれ異なった演目を上演させて頂きます。これからも柔軟性と多様性を持って新しいものを創り上げていきたいと思います。

撮影:岡本隆史

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多くのメディアに取り上げられました

◆新聞
・読売新聞水曜夕刊「Pop Style」
・スポーツニッポン
・東京中日スポーツ
・デイリースポーツ
・日刊スポーツ
・サンケイスポーツ
・スポーツ報知
・公明新聞
ほか

◆雑誌
・「シアターガイド」8月号:7月2日発売
・「演劇界」:7月5日掲載
・「家庭画報」8月号
・「ミセス」
・「音楽現代」
ほか

◆WEBサイト
OZmall:熱い男たちの大地を揺らす音色に感動!太鼓芸能集団「鼓童」35周年記念コンサート開催http://www.ozmall.co.jp/oznews/06204/

デイリースポーツ:玉三郎「鼓童」演出へのこだわり
http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2016/05/30/0009135193.shtml

デイリースポーツ②:坂東玉三郎「鼓童」演出にこだわり
http://www.daily.co.jp/gossip/2016/05/31/0009136220.shtml

テレ朝芸能特報:玉三郎&鼓童が35周年公演!
http://www.tv-asahi.co.jp/smt/f/geinou_tokuho/hot/?id=hot_20160530_100&

映画.com:坂東玉三郎、芸術監督務める「鼓童」35周年公演に自信「連綿と続けてきたもの詰まっている」
http://eiga.com/news/20160530/17/

日刊スポーツ:太鼓集団「鼓童」が35周年公演、演出は坂東玉三郎
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1655603.html

SPICE:坂東玉三郎が芸術監督を務める「鼓童」の35周年記念コンサート、今夏開幕
http://spice.eplus.jp/articles/58815

サンケイスポーツ:鼓童、35周年公演で集大成!坂東玉三郎も激励「素敵な太鼓を」
http://www.sanspo.com/geino/news/20160531/geo16053105010011-n1.html

スポーツニッポン:玉三郎が演出“太鼓判”公演「大太鼓抜きの歌舞伎は考えられない」
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/05/31/kiji/K20160531012691620.html

ローチケHMV 「鼓童創立35周年記念コンサート コメント動画が到着!」

news20160818kodo35th鼓童創立35周年記念コンサート
http://www.kodo.or.jp/news/20150917kodo35th_ja.html

2016年8月18日(木)、19日(金)、20日(土)サントリーホール
8月18日(木) 第一夜 〜出逢い〜
出演:鼓童、新日本フィルハーモニー交響楽団/指揮:下野竜也
8月19日(金) 第二夜 〜螺旋〜
演出:坂東玉三郎/出演:鼓童
8月20日(土) 第三夜 〜飛翔〜
演出:坂東玉三郎/出演:鼓童、ゲスト:BLUE TOKYO、DAZZLE

プレイガイド
・チケットスペース Tel. 03-3234-9999(オペレーター) WEB「チケットスペースオンライン」検索
・サントリーホールチケットセンター Tel. 0570-55-0017
・チケットぴあ Tel. 0570-02-9999 [Pコード:286-898] http://pia.jp/
・イープラスhttp://eplus.jp/
・ローソンチケット Tel. 0570-000-407(オペレーター 10:00〜20:00)Tel. 0570-084-003 [Lコード:30118] http://l-tike.com/
・セブンチケット http://7ticket.jp/ 全国のセブン-イレブン店頭マルチコピー機
・東京文化会館チケットサービス Tel. 03-5685-0650


【プロジェクト達成 ! 】皆様からのご支援、心より感謝申し上げます/上之山博文


【プロジェクト達成 ! 】
皆様からのご支援、心より感謝申し上げます

プロジェクト終了まであと4日 ! 目標額を超えた分は、更に寄贈する図書館を増やします。READYFOR(レディフォー)というクラウドファンデイング・サイトを通じたご支援を、5月14日まで募集中です。

https://readyfor.jp/projects/inochi_moyashite_tatakeyo

株式会社北前船 代表取締役社長 青木孝夫 Photo: Hirofumi Uenoyama

株式会社北前船 代表取締役社長 青木孝夫

■「いのちもやして、たたけよ。」84〜85ページ(第一章 原点)より抜粋

穏やかに明けた1987年の正月、鼓童の電話が鳴った。留守番をしていたメンバーが受話器を取ると、「河内敏夫さんらしき人が、フィリピンの海で亡くなった」という知らせだった。(中略)

「とにかく自分が何とかしなければと思いました。取引銀行の支店長の自宅の電話番号を探し出し、正月にもかかわらず面会を申し込んで必死に事情を説明しました。それまでのアメリカ公演の成果を説明し、支店長の決断で融資が決まるまで必死でした」青木は、ツアー班をなんとか送り出した。

1983年佐渡・大小稽古場にて

■「いのちもやして、たたけよ。」87ページ(第一章 原点)より抜粋

運営面で河内の後を引き継ぐことになった青木は、判断に迷うと、「ハンチョウ(※河内敏夫の愛称)だったらどうするか」と考えながら進めた。(鼓童村の)建設予定地の変更により計画は大きな変更を余儀なくされたが、手に入れた土地に本部棟や住居棟、稽古場などを建てるかどうか決断しなければならなかった。

「(中略)でも、佐渡から世界に向けて発信するための拠点が必要でした。旅と定着のバランスをとりながら集団を続けていくためにも、とにかく一つずつでいいから建てることに決めました」

1988年7月、鼓童村開村コンサート。1992年には舞台部分に稽古場が建設された

1988年7月、鼓童村開村コンサート。1992年には舞台部分に稽古場が建設された

■「いのちもやして、たたけよ。」160ページ(第四章 磁場)より抜粋

青木は、初代代表の河内敏夫亡き後、代表として舵を取る鼓童の在り方と未来を見据えてきた。

どんなに時代が変わっても根源的な感動や共感を生むものは過去も未来も変わらないと信じている。その本質において変わらない鼓童であり続けるために、これからも高い意識で挑戦を続けて、成長していく集団にしなければならないと自身を戒める。多様に広がったそれぞれの意志、夢や目標を、鼓童の実現したい未来の姿に結びつけながら、これからの時代に歩み出そうとしている。

2015年新年、集合写真

2015年新年、集合写真

Photo: Takashi Okamoto

100年先、200年先にも鼓童であり続けたい。その真ん中にはいつも、人間が太鼓にまっすぐに立ち向かう姿がある。その眩しさの中に映し出される「鼓童」という精神を皆が抱いている。

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■「いのちもやして、たたけよ。」プロジェクト達成状況(5月10日現在)

546,000円(目標金額 500,000円)[達成率 109%]
プロジェクト終了まで、あと4日。引き続き皆様のご支援、お願い致します !

この『いのちもやして、たたけよ。』を全国の図書館に寄贈する活動を、ご支援いただけないでしょうか。全国各地の50の図書館に寄贈したいと目標を立てました。送料や宣伝費、書籍原価を含めた費用として50万円が必要です。

鬼太鼓座や鼓童が、日本や世界、そして地域という私たちの住む社会を、よりよいものへ変えていきたいという思いから生まれ、歩んできたことを伝えるメッセージでもあります。太鼓に関わらない方でも、より良い社会を願う多くの人に届けたい1冊です。

鼓童の演奏が皆様の心に響き、記憶に残ってくれることを祈りますが、舞台表現はその場に留めておくことができません。「書籍」という形で鼓童が皆様の地域にとどまり、公演をご覧になった方も、そうでない方にも多様な鼓童の魅力をお伝えできればと思います。

全国の図書館に本書を寄贈することで、公演会場でお会いする以上に大勢の方と出会い、より多くの皆様と共感できることを強く願っています。

「いのちもやして、たたけよ。」プロジェクト
http://www.kodo.or.jp/news/20150316readyfor_ja.html


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