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船橋裕一郎インタビュー by ジョニ・ウェルズ


ジョニ・ウェルズ氏が、船橋裕一郎にインタビューを行いました。英語のブログに掲載されているインタビューを和訳して、皆さまにお届けします。

船橋裕一郎インタビュー by ジョニ・ウェルズ

船橋裕一郎(写真:ジョニ・ウェルズ)

船橋裕一郎(写真:ジョニ・ウェルズ)

船橋裕一郎は、1974年5月9日に、サラリーマンの父と病院勤務の母の間に生まれる。神奈川県南部の二宮町出身。6歳上の姉がいる。子供の頃は周囲の盛り上げ役で、サッカーと野球に興じる日々を送っていた。その当時はコマ回しが一大ブームで、コマ回しにも夢中になった。裕一郎が生まれたのは第二次ベビーブームの終わり頃で、どこも子供で溢れかえっていた。小学校には1,000人以上の児童が通っていたため、友達と遊ぶには事欠かなかった。

中学校ではバレーボール部に入部。以来、高校に上がるまでバレーボールに明け暮れる日々を送った。高校は近所にあったものの生徒数が非常に多く、知らない顔に囲まれてどこか浮いているような感じだったと言う。アメリカン・フットボールと茶道という全く異なることを習いながら、遺跡発掘のアルバイトにも通い、とても物憂い3年間をやり過ごした。その後、京都造形芸術大学へと進む。大学では考古学と発掘物の保存を学んだ。発掘を楽しみ、水中考古学にも興味を持ち始めた。スキューバダイビングの免許取得のための準備をしていた時、人生の岐路に差し掛かる。太鼓が人生に登場したのだ。
ある日友人に誘われ、大学に新しく出来た太鼓クラブに顔を出すようになった。10人ぐらいの男女が1週間に数度の活動を始め、「和太鼓しん」というグループ名を背中に入れた法被を作るまでになった。京都の和太鼓奏者から指導を受け、ついには地域のイベントに出演できるほどになった。裕一郎曰く、「当時の私は技術を情熱でカバーしていました。」

大学2年のある日、裕一郎は鼓童のコンサートを観る。「これは一体何だ?!」。鼓童の演奏は見せ方も音も全く違った。鼓童のスタイルはシンプルで真っすぐで、余分な物を削ぎ落としたものだった。そして卒業後、プロの太鼓奏者を目指し鼓童に入ることを考えはじめた。第10回目のアース・セレブレーションを観に佐渡へ渡ったことがあり、全く知らない世界に飛び込むわけではなかった。鼓童と佐渡はとても楽しいように見えた。しかし、それは8月のこと。鼓童の研修生に応募することを決め、次に佐渡へ渡ったのは1月のある日。吹雪の中、荒れる海を渡った。冬の雷を目の当たりにしたのはその時が初めてだった。研修所への入所試験は上手く行き、合格。両親の応援を受けて佐渡へやってきた。

研修所での2年間は、人生を変える経験だったと振り返る。稽古と生活スタイルはとても厳しいものだったが、辞めようと思うことはなかった。一番辛かったのは、遠く京都にいる彼女(現在の妻)と離ればなれになっていることだった。

そして研修所の2年生の時、数人の先輩プレイヤーが佐渡南東部の柿野浦にある研修所に来た。初めて間近で彼等の演奏を聴いたことはいつまでも忘れられない。自分が出す音とは、音量だけではなく質も全く異なり、自分にはそんな音を出すことは無理ではないかと痛感した。この時、今まで太鼓について学んできた全てのことを忘れ、もう一度ゼロからスタートを切ることを決意した。

稽古以外にも、研修生は多種多様な活動に取り組む。農作業、茶道、狂言、様々な物作り。本当に沢山の科目が詰め込まれているので、太鼓の稽古にもっと時間を使えたら良いのに、と思うほどだった。

Photo: Takashi Okamoto

2年間の研修所生活の後、新しいミレニアムの最初の年に、鼓童への入団を認められた。他の準団員らと共に春の学校交流公演ツアーに参加した。裕一郎は今日まで、研修所で共に過ごした仲間との強い絆を感じている。その後14年間に渡り太鼓や歌、踊りを担当してきた。またアース・セレブレーションの城山コンサートの演出も何度か担当した。

Photos: Takashi Okamoto

裕一郎は現在、鼓童ワン・アース・ツアーの最新作「永遠」に深く関わっている。坂東玉三郎氏の演出による舞台は「アマテラス」には出演していたが、「伝説」と「神秘」の公演時には学校交流公演ツアーに回っていた。

「伝説」は、鼓童がこれまでに積み重ねてきたものを土台に、新しい作品を織り交ぜたものだった。「神秘」は島根県・石見神楽の蛇舞に取り組む等、日本の伝統的な芸術モチーフを含んでいた。

Photo: Takashi Okamoto

しかし「永遠」は全てが新しい。演奏される曲の一つ一つがこの舞台のために作られたものだ。1年前に舞台の創作が始まる時、玉三郎氏は作曲や舞台のアイデアを練る際に心に留めておいてほしいことを書き示した。例えば、「季節」、「朝日」等についてである。それから演奏者達は作曲に励み、玉三郎氏に披露した。「永遠」は、玉三郎氏が選んだアイデアを使いながら徐々に形になり始めた。

Photo: Takashi Okamoto

Photos: Takashi Okamoto

玉三郎氏は折に触れて小さな音の重要性を説く。速度と密度が増して減ること、初めに戻りまた繰り返すことを好む。それは大きな輪の中の人生のようであり、時間そのもののようでもある。裕一郎は初めはよく分からなかったが、今ではプレイヤー達は皆「永遠」の感覚を掴みはじめていると言う。鼓童の舞台は、これまで演目の集合体を一つの作品として仕上げるものだったが、玉三郎氏は舞台を一つの創作と見ている。これまでは一つの曲が静けさから爆発的な盛り上がりまでを網羅していたが、玉三郎氏との舞台づくりでは、それぞれの曲は、一つの大きな絵の一部になっている。ある曲がある一定まで進んだら、終わりに向けてボルテージが上がることなく、そのまま終わることもある。そして次の曲はさらに盛り上がる、というような感じだ。

Photo: Takashi Okamoto

演奏者達は、一つ一つの曲のために感情をコントロールして抑制することを稽古しなければならない。裕一郎はそれはとても難しいと思うが、反面とても自由であるとも感じている。古くからの鼓童ファンも、鼓童が挑戦し、新しい太鼓芸能を切り開いていることを理解してくれることを願っている。

Photo: Takashi Okamoto

裕一郎は、鼓童の従来の演目を繰り返し演奏することも好きだが、成長したいとも強く思っている。新しい方向性に向かうことに喜びを見出しているが、不安な要素もある。公演日まで1、2か月しかないのに、まだ舞台が完成していないのだ(2014年秋現在)。玉三郎氏は「大丈夫!何とかなりますよ!」と言うが、曲はどれも技術的にとても難しく、全て一から学ばなければならない。裕一郎は不安であることを隠さない。

インタビューにて(写真:ジョニ・ウェルズ)

インタビューにて(写真:ジョニ・ウェルズ)

裕一郎は定期的に舞台に立つ団員の中で、最も年輩になったことを自覚している。太鼓芸能集団鼓童の副代表として、団員を管理し舞台をやり遂げることへの責任も強く意識している。どうすればこのグループをより良くできるのか。どうすれば団員として、また観客から見て楽しいグループになるのか。一人一人が自分の力を最大限に発揮するにはどうしたら良いのか。不惑を迎え、裕一郎は先輩プレイヤーと若いプレイヤー達、鼓童の偉大な歴史とまだ見ぬ心躍るような未来とを繋ぐ責任を感じている。

(インタビューは2014年秋に実施)
稽古・舞台写真:岡本隆史

20150607oet

「永遠」6〜7月、9〜10月国内ツアー
http://www.kodo.or.jp/news/20150606oet_ja.html

▼船橋の母校公演!京都造形芸術大学内・春秋座「永遠」公演
7月11日 http://www.kodo.or.jp/oet/20150711a_ja.html
7月12日 http://www.kodo.or.jp/oet/20150712a_ja.html
【問】京都芸術劇場チケットセンター Tel. 075-791-8240


ジョニ・ウェルズ(Johnny Wales)

1953年、カナダ・トロント生まれ。トロント大学卒業(学士号取得)。1975年に初めて日本を旅行、その際、鼓童の前身である「佐渡の國 鬼太鼓座」に出会う。また文弥人形の師匠である浜田守太郎氏にも出会う。1976年カナダに帰国、鬼太鼓座の初めてのカナダツアーの制作を担当。1977~78年、佐渡に住み文弥人形を学ぶ。それ以来、鬼太鼓座、そして鼓童の仕事にたびたび関わりながら、文弥人形の指導、通訳、翻訳、また舞台照明の仕事に従事。その後、文弥人形の指導、活動をしながら木彫師として鼓童の舞台で使用する面を作成。1987年には The Kodo Beat(英文ニュースレター、2011年春に終刊)の最初の編集者として活躍。写真家、イラストレーター、そして Kodo eNews(英文電子ニュースレター、2013年12月に終刊)やブログ作成にも関わる。現在、ジョニ・ウェルズはフリーランス・イラストレータ、アニメーター、木彫師、人形遣い、そして作家としての肩書を持つ。カナダでは7冊の児童向け作品の挿絵を描き、その中の一冊『Gruntle Piggle Takes Off』(Viking Childrens Books出版)において、1996年、カナダの文学作品賞であるThe Governor General’s Awardの候補となる。1995年より、読売新聞にて、東京についてのイラストによるコラムを連載。現在、佐渡にて妻・智恵子と秋田犬のKyla (カイラ)とともに暮らす。

Website: www.johnny-wales.com (英語・日本語)

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