山口幹文インタビュー by ジョニ・ウェルズ
ジョニ・ウェルズ氏が、山口幹文にインタビューを行いました。英語のブログに掲載されているインタビューを和訳して、皆さまにお届けします。
山口幹文インタビュー(Johnny Wales)
山口幹文 インタビューにて(写真:ジョニ・ウェルズ)
1954年茨城県生まれ。5歳の時、東京へ引っ越す。高校と大学でクラシック音楽(作曲、チェロ等)を学んだ。作曲や編曲の他、笛をはじめ、箏、三味線、胡弓等の和楽器以外にも、フルート、チェロ、ピアノも演奏する。
「クラシック音楽を学んでいた頃、同級生、そして先生までもが日本の伝統音楽をやや軽視する傾向にありました。ドイツやイタリアの音楽と比べて、まだ“本物”ではないと考えられていたんです。そこで、何かがおかしいなと思いはじめた。日本人なのに、日本文化にもっと敬意を持たなくて良いんだろうか。それから、能や歌舞伎の公演に足を運び、三味線、箏の演奏や声明も観るようになりました。それを聞いていると、自然にすとんと入ってきた。それで、西洋音楽をやるよりも、邦楽の方が自分を表現できるんじゃないかと考えはじめ、18歳の時に近所の三味線と箏の先生の所へ通いはじめました。とても早く上達できてびっくりして、西洋音楽ではない、自分にとって自然な道に進みたいと思いました。」
「同時に、都会での生活にうんざりしていて、田舎で音楽に関わりながら生活できたら良いなと思っていた。ある日、車でラジオを聞いていたら、宇崎竜童さんが、佐渡島で“佐渡の國鬼太鼓座”と一緒に音楽を作ってきて楽しかったって興奮気味に話していたんです。『太鼓が凄くて』と言っていて、太鼓か…..と思っていたら、『箏と三味線も良かったよね』と続いた。その話しに魅了され、すぐに鬼太鼓座のレコードを2枚買いました。それで人生が変わりましたね。箏と三味線を習っていたから、もしかしたら自分も何かできるかもしれないと思いました。鬼太鼓座の厳しいトレーニングについて聞いていたので、自転車を買いました。自転車で佐渡まで行けば、体が鍛えられるだろうと思ったんです。アルバイトを辞めて、銀行口座のお金を全部引き出して3ヶ月の旅に出ました。」
「1980年11月の半ばに佐渡に辿り着きました。その頃の鬼太鼓座は、真野湾を見下ろす古い校舎にありました。連絡せずに行ったものだから、『事前に連絡しなさい』って怒られたけれど歓迎してくれて、明け方に一緒に走ったり、炊事や掃除を手伝ったり、トレーニングを見学したりして3日間一緒に過ごしました。そこで1月には佐渡に引っ越すこと決めて、一度東京に戻りました。その頃は入団試験も研修制度もなく、やる気さえあれば誰でも入座できました。もし今だったらとても入れなかったと思います(笑)。」
「当時はちょうど鬼太鼓座が田耕(でん・たがやす)さんとの分裂騒ぎの最中で、グループとして揺れている時期でした。一旦東京に戻った時に田さんと会って、1週間ほど東京事務所でお手伝いをしていました。鬼太鼓座の人から、田さんはひげは好みではないと聞いたので、気を利かして剃っちゃったんですが、『ひげを生やせ。笛を吹け』と田さんに言われました。何でひげと笛なのかと妙な気持ちになりましたが、まあ、この一言でぼくの運命が決まったことになります。年が明けて佐渡に渡り、皆がツアーに出掛けている間、6か月間留守番をしながら笛の稽古をしていました。それから間もなく一緒にツアーに行くことになり、以来演出にも携わるようになって、35年以上そんな生活を続けてきました。」
「1年の内9か月はツアーに出掛ける生活を続けて25年目くらいから、そんな生活に疲れ始めました。この10年ぐらいは舞台は若手に任せて自分は身を退くようになりました。ソロ活動にもっと時間を使えるように、役員の仕事も辞めさせてもらいました。若いメンバーがどんどん演出も担当するようになってきていたので、ちょうど良いタイミングだったんじゃないかと思います。」
鼓童の舞台で
山口幹文は2年前に鼓童の名誉団員となった。還暦を迎え、鼓童のマネジメントを行っている北前船から退職したが、今後も鼓童研修所での指導は継続し、舞台のメンバーとして鼓童の法被は着続ける。佐渡で過ごす時間が増えたことで、これまでよりも佐渡の人々や環境、文化について知ることができるようになってきたと言う。何年も前に思い描いた、“音楽に関わりながらの田舎暮らし”が、いよいよ実現しようとしている。
5年前に、ソロでは第一作目となるCD『一管風月』を鼓童の音大工レーベルから発表。間もなく2枚目のCD(タイトル未定)をリリースする予定だ。哀愁を帯びた美しい曲の数々を集めており、そのうちの一曲は第一作目でピアノを担当したジャズピアニスト、故・二野明氏に捧げるものとなっている。CDでは笛(篠笛と真笛)だけでなくチェロも演奏した。その他、辻幹雄氏が11弦ギター、野上結美氏が歌とピアノ、鼓童の阿部好江が歌と竪琴で参加している。このCDを新しい始まりとして、山口幹文は太鼓や鼓童のファンだけではなく、多くの人々に演奏を聞いてもらいたいと願っている。そして、「鼓童の山口幹文」としてだけではなく、「笛奏者 山口幹文」として見てもらえるように活動していくつもりだ。
2014年12月「銀いろの風コンサート」(於東京)のゲスト出演者と共に。
西洋のクラシック音楽を学び、日本文化の世界に没頭してきた山口幹文は、芸術活動を一周して初めに戻ってきた。今、「西洋」と「日本」の壁は消え失せた。これからは、その両方を融合させて自分の世界と音を紡いでいく。長く鼓童で活動してきたことで、山口幹文は世界の様々なジャンルの一流アーティストたちと一緒に舞台に立つ機会を得た。それらの全てが、現在の自身の音楽の糧となっている。
山口幹文のソロ第2弾CDの詳しい情報は、近日鼓童サイトでお知らせします。山口幹文が奏でる、竹の管に穴を開けただけのシンプルな楽器から響く佐渡の海の音や世界中の調べを、どうぞお楽しみに。
▶YouTubeで再生 https://www.youtube.com/watch?v=r1N2ME9rH4E
鼓童特別公演2015「道」
http://www.kodo.or.jp/news/20150319michi_ja.html