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「螺旋を描いて進む未来」鼓童・船橋裕一郎×石塚充×坂本雅幸×住吉佑太 座談会


鼓童・船橋裕一郎×石塚充×坂本雅幸×住吉佑太 座談会
螺旋を描いて進む未来

聞き手◎伊達なつめ 写真◎岡本隆史

Photo: Takashi Okamoto

船橋 僕と(石塚)充の場合は、ちょうど準メンバーになった頃に、初めて玉三郎さんが佐渡にいらしたんです。

石塚充 Photo: Takashi Okamoto

石塚 その頃はまだ、そんなすごい方がいらっしゃると聞いても、自分のことで精いっぱいで、ことの重みをよくわかっていなかったんですけど、そんな状況下で、玉三郎さんから大太鼓を打つように言われたんです。当時の鼓童では「このパートはこの人」というのがほぼ決まっていて、特に大太鼓は固定メンバーが2人いたので、若手がやるという発想自体ありませんでした。だから先輩たちの反応も「えっ、おまえなの?」という感じ。毎日全体の稽古が終わった後、玉三郎さんと先輩たちがズラーッと居並ぶ中で僕と小田洋介の2人が大太鼓の裏打ちの稽古をする、というのが一ヶ月続きました。体力的にもきついですし、まだ右も左も分からない分際で、全員の目に曝されて大太鼓を打つ毎日というのは、ほんとにもう大変でした。

船橋 苦しかったよね(笑)。

石塚 ただ、そうやって叩き込まれたせいで、鼓童の先輩に教わっただけでは気付かないことにいろいろ気付くことができて、自分の中にも何か芽生えたものがある気がしました。玉三郎さんは、それまでの鼓童ではあり得なかった身体の使い方や考え方を示されるので、僕らよりもむしろ先輩たちの間で「そんな教え方あり!?」という戸惑いが強くなり、2、3年は重苦しい状態が続いたんですけど、『アマテラス』(’06年初演)のころには、もうすっかりいい雰囲気になっていましたね。

坂本雅幸 Photo: Takashi Okamoto

坂本 僕は『アマテラス』の稽古時は準メンバーだったんですが、佐渡の民俗芸能「鬼太鼓」を取り入れた場面で、玉三郎さんにその踊り手をやるように言われて、ものすごく丁寧に教えていただきました。研修生の時に、研修所がある柿野浦という集落に伝わる鬼太鼓を、土地の方に教わっていたのですが、玉三郎さんは「こうした方がいい」と、どんどん動きを変えていくんです。最初は、教わったものを壊す気がして抵抗があったんですけど、言われた通りにしてみると、身体の軸がきれいに見えたり、腕の広がりを大きく見せられたりと、元々あったものを、舞台で演じるためによりよくしていただいている、ということがわかって、さすがだと思いました。あの時教わった身体の軸の保ち方は、今でも常に意識するようにしています。

住吉 僕は、玉三郎さんが鼓童の芸術監督に就任した’12年に準メンバーになったんですけど、研修生の頃から、玉三郎さんは研修所に稽古を付けに来てくださっていたんです。

船橋 その年は、たまたま作品創りに取りかかる時期に、メンバーの多くが出払っていたんですね。でも(住吉)佑太たちの年の研修生は優秀な人材が揃っていたので、玉三郎さんのおっしゃることに対応できたんです。

住吉佑太 Photo: Takashi Okamoto

住吉 僕たち研修生は、最初は稽古を見学させていただくということで正座して並んで見ていたんですが、休憩時間に玉三郎さんがテクテク歩いていらして、「ちょっと見よう見まねでいいからやってみなさい」とおっしゃるので、やってみたら「ああ、意外とできるね…」と言われ、「(よっ)しゃぁ、ここでぶちかましたる!」って気合いが入りまして(笑)。実際には、ほとんどできてなかったはずなんですけど、気概を感じていただけたのかなと。

船橋裕一郎 Photo: Takashi Okamoto船橋 そうやって玉三郎さんは、特に若手にどんどん挑戦させていくので、先輩たちはそれを見て焦りながらも、自分の足元を見つめ直す、という感じでしたね。今から思えば、僕たちが入った頃は、鼓童には閉塞感があって、そこに外部から玉三郎さんがやって来たことで、物事が先に進み始めたんです。ただ、キャリアのある先輩たちにとっては、自分たちが築き上げてきたものを否定されたように感じたところもあると思います。僕自身は、(石塚)充やその下の世代が抜擢され活躍するのを、後ろから見ていた方なので、焦りはあったし、まあ今もあるんですけど、自分はパッと要求に応えられるタイプではないし、人とうち解けるのにも時間がかかるので、自分のペースで、一歩一歩やるしかない、と思っていました。精神的にはきつかったですけど、そのうちだんだんと、玉三郎さんに声を掛けられるようになりました。

Photo: Takashi Okamoto

現在も、若いメンバーの中には抜擢される者と、そうでない者がいるので、不安を抱くことはあると思います。でも、まじめに頑張っている人間のことは、玉三郎さんはちゃんと見ていて、何らかの形で、いいところを見出してくださるので、信じて努力を続けてほしいと思います。玉三郎さんのこういう指導者としての面も、とても勉強になります。

Photo: Takashi Okamoto

坂本 僕たちの世代以降は、わりと戸惑うこともなく、羽根を伸ばして自由にやらせてもらっていますけど、

住吉 いやぁ、『ワン・アース・ツアー~伝説』(’12)の時の逆風はすごかったですよ(笑)。

船橋 あれも大きな転換期でしたね。

住吉 終演後のアンケートが「こんなものを観に来たんじゃない!」みたいな感想ばっかりで、激しく凹みましたけど、その後アメリカでもツアーがあって、一年後にまた日本で上演した際には、ガラッと評価が変わったんですよね。

石塚 僕たちの世代は、それ以前から『アマテラス』みたいに演劇的な世界や、『打男 DADAN』のように振り切った大胆な作品で、「こんなおもしろい世界があるんだな」ということを経験してきていたんです。むしろ、けっこう長い時間をかけて、段階を踏んで変化してきた自覚があったので、『伝説』についても、別に驚かなかった。まぁ最初のうちの何年かは、ちょっと大変かもしれないけど、そのうち落ち着くだろうと、漠然と思っていましたね。

住吉佑太 Photo: Takashi Okamoto

住吉 心強かったですよ。僕たちの感覚では『伝説』では、「えっ、こんなことすんの!?」って躊躇するようなこともあったんですけど、充さんは「はい、じゃ、やりましょか」って淡々とやっていた。僕たちに「玉三郎さんがおっしゃってるのはこういうことだよ」ってわかりやすく説明してくださって、いわゆる従来の鼓童的なことと、玉三郎さんのおっしゃることの中間地点にいてくださる感じで、とても有難かったです。

坂本雅幸 Photo: Takashi Okamoto坂本 いわゆる「昔ながらの鼓童」が観たいという方は多いですし、その一方で新たな挑戦を評価してくださるお客様も、もちろんいらっしゃる。そして回数を重ねるごとに、だんだんと、挑戦と変化を楽しみに観に来てくださるお客様が、多くなってきていると感じます。玉三郎さん無しには不可能だったこの大変革を活かして、これからも自由に、いろいろなことに挑戦していきたいですね。

船橋 僕は、こうやって先を行ってくれるメンバーには、どんどん先に行ってほしいし、そうではない、別のおもしろい面を持っているメンバーには、その個性を活かした、別の表現を目指してほしい。将来も鼓童がそういう多様なグループとしてあり続けられるよう、その通過点の一人となることを目指したいと思います。

船橋裕一郎 Photo: Takashi Okamoto

ー鼓童創立35周年記念コンサートパンフレットより

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