子ども達から学ぶもの/中込健太
子ども達から学ぶもの
2013年の末から学校公演のツアーメンバーとなり旅をし、もうすぐ1年が経とうとしています。自分が学生の頃には学校にはなるべく行かず、毎日日曜日か夏休みであればいいのにと願っていたころがありました。それを考えると、今こうしてまた学校に通う日々をとても不思議にも感じています。
自分達は芸術鑑賞の授業の一環で公演をさせて頂いています。
子ども達に本物の太鼓の音を届け、太鼓という楽器についてなにかを教えたり、自分達のメッセージを伝えたり、本当に手をのばせば届く様な身近な距離で太鼓を通して交流していく。それがツアーの目的です。
約1年間、学校を巡る旅をして自分も叩き一緒に過ごして来たメンバーの姿をみてきて思うのは、子ども達に何かを伝えたり、こちらから発信するのもそうですが、子ども達からもらっているものの方が多いなあという事です。
子どもという存在はすごいなあと思います。
子ども達と接している時のメンバーをみると、なんとも安心したような、例えようのない穏やかな顔をしています。舞台をしに来ているのに妙な気負いがない。その人の本来の姿がそこに見える気がします。
演奏は「鼓童」として、自分達のプライドをもってがっちりやる。いい音をとどけよう。良い演奏をしよう。その姿勢はみんなとても強く持っています。でも子ども達にとっては「鼓童」という名前も知らなければ太鼓を聴いた事のない子もいます。
実際子ども達はどう思っているか分かりませんが「鼓童」とか「舞台人」とか「音楽家」とかそういう肩書きを取っ払って、それよりも、太鼓を叩いているメンバーの一人一人の個性だとか性質をとても感覚的に見抜いてくれている気がします。
太鼓についても演奏の善し悪しを本当に感覚的に、おもしろいかおもしろくないかしっかりと判断してくれています。
学校の体育館が僕らの演奏場所です。
劇場よりももっと近い距離で太鼓を聴いてもらっています。音が大きすぎれば耳を塞いでしまう子もいますし、演奏が単調であれば喋りだしてしまう子もいます。演奏が良ければじっと集中して耳を傾け、体を揺らして気分良くきいている姿も、演奏している最中に見つけることができます。そういう瞬時の反応が面白く、心地よい緊張感があります。子ども達によって、太鼓の音を届ける感覚を磨かれている気がします。
とにかく力強く打つばかりだった自分も、とても近い距離で、相手が子どもとなると自然に音が柔らかくなったり、逆にもっと強い音を必要としたり、『その時その時で本当に届く音はどんな音だろう?』と考えるようになりました。
「鼓童」というグループのもつ意味のなかでこういう演奏をしなければいけないとか、こうあらねばならないとか、そういう思いのなかで叩いてきましたが、学校で子ども達に演奏することを通して、改めて、『太鼓』というものに真正面から向き合えている気がしています。
『自分の出す音』について省みるとても良いきっかけをもらっています。
その瞬間瞬間、演奏されるべき音とは、その空間を共有している子ども達と、自分達の中にこそある。
そんなことを考えながら今、面白がって学校に通っています。
【動画メッセージ】鼓童交流公演
http://www.kodo.or.jp/blog/productions/20141204_4144.html