プレイヤーの目

2008年4月より10月まで掲載されたインタビュー「プレイヤーの目」です。

第二回「齊藤栄一 × 『モノクローム』」

鼓童のスタンダードナンバー、「モノクローム」。この曲の演奏については、技術的にも精神的にも非常に難しいとされていますが、この作品に出会ったときの第一印象は?

初めて演奏を聴いた人が皆ビックリする様に、僕も人間業とは思えない演奏に度肝を抜かれた一人なので、鼓童のメンバーになった時も、まさか自分が演奏出来るとは思いませんでした。

そんな大曲の舵取りの役割でもあるセンターを、約20年近くも任されている栄一さん。どのようにして、曲を勉強し、自分の頭や身体に吸収させていったのですか?

実は、曲のコンセプトを知ったのはモノクロームのキャストに選ばれて7〜8年位経ったころでして…(笑)作曲者である石井眞木さんが佐渡に来られて、稽古付けて頂いたのですが、その時も曲の細かい説明やイメージの話は一切ナシ。とことんひたすら稽古。そんな感じでしたからね。

作曲者自らが立ち会う稽古。思い出に残っているエピソードや場面などはありますか?

稽古時のエピソードとういうか、眞木さんの口癖は印象的でしたね。稽古中はよく「お肉食べてパワー付けて頑張ってよぉ」、とか、曲の最初のピアニッシモ(=とても弱く)では「ダメだよ、そんな音じゃ。もっとこう(大きな身体にギュゥッと力を込めて)小さくしてよぉ。」って。また、トレモロの稽古では、「まだまだ細かくっ早くっ強くっ。ほらっ君、気を抜くなっ!。」って。緊張解くヒマなんてありませんって。こんな具合だからフォルテッシモ(=とても強く)の時はどこまでも強く。実際、譜面をみるとf(フォルテ=強く)という記号がいっぱい並んでいるんですよね。

一般的には「楽譜を読む」というのは先に頭で理解して、そこに並んでいる情報を音として再生する、という行為の連続だったりしますが、眞木さんとの稽古では、「身体で楽譜を読む」、そんな稽古だったわけですね。

そうですね。「取りあえずやってみてよ。」と言われて、皆、あらん限りの力を振り絞ってドッカァーンって音を出すでしょ。そしたらそれを聞きながら指揮棒を真上に振り上げて「もっとぉっ」って要求するので、グゥウォォーッって頑張る。そうすると空いた方の手をぐぐっと持ち上げてクレッシェンド(=だんだん強く)のジェスチャー。げげぇーと思いながらも何くそぉって負けじと音量を上げようと努力するでしょ。それを確認した眞木さんは足をドンと踏み鳴らして振り上げた両手を拳にして振るわせながら頷いて「そのままキープ」って。もう徹底的に叩いて叩いて叩き尽くすわけ。で、やっと指揮棒を降ろして「そうだよ、今のがフォルテッシモなんだよねぇ。でさぁ、本番ではここから2〜3段階上げたいよねぇ。」ってキラキラの目で僕達を見つめる汗びっしょりになってた眞木さんを覚えています。

このような稽古からスタートした「モノクローム」。頭で理解する前に取りあえずやってみた結果、どうでしたか。

そもそも、この曲のコンセプトに『「人籟(人間が声や楽器を通して生じる音)」と「地籟(風などの自然の生み出す音)」とを統合させて、そこから「天籟(人籟・地籟を超えた根源的な力の音)」に近付く』って事と、東洋と西洋融合という事があったそうなんですが、もし稽古する前にそんな説明を受けてたら、きっと頭デッカチになってしまって、音に凄みというか説得力みたいな物が無くなっていたでしょうね。

演奏する側だけでなく聴き手側も、予備知識などなしにまずその世界を視聴覚で体感し、そのあとで曲に込められたメッセージを受け取ると、作品の地の部分と艶の部分、自分なりの形や色を想像しながらそれぞれの「モノクローム」を楽しめるかもしれませんね。

そうかもしれませんね。思うに、あの稽古では、先ずは叩き続ける事によって「東洋的な忘我の世界」に引き入れてから「西洋的な計算された緻密な世界」に無理なく連れて行き、そして各自の個性や解釈を越えて純粋に演奏出来た時に初めて、聴衆のイメージが解放されるという事を教えて頂いたような気がします。

最後に、先日、大盛況のうちに千秋楽を迎えたヨーロッパツアー中に、眞木さんのお墓参りをされたそうですが、「モノクローム」に今の気持ちを一言、お願いします。

今回モノクロームって曲を見つめ直して思ったのは、全く古く感じないって事。鼓童の三宅や屋台囃子などとも通じるけど、時代を越えて受け入れられる存在ってやはり自分の目標ですね。それと僕は眞木さんから直接教えを受けている、今では数少ないメンバーになってしまった事と、恐らく現時点でモノクロームの演奏回数は世界で一番多いだろうし(笑)、映像や録音だけでは伝えられない大切なエネルギー感などを次の世代に確実に繋げて行く事を、眞木さんのお墓の前で誓って参りました。あっ、でも僕はやめろって言われるまで、まだまだ演奏続けますよ。

楽譜からだけでは読み取ることが難しい作曲者の意思や意図を継承し続ける鼓童の「モノクローム」、今後の演奏も楽しみにしています。ありがとうございました。

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