プレイヤーの目

2008年4月より10月まで掲載されたインタビュー「プレイヤーの目」です。

第一回「石塚充 × 舞台演出」

充さんが初めて鼓童の舞台演出構成を担当されたのは2007年の北米ツアー。以来、ステージを客席から見つめる機会が多くなったと思いますが、その視線の先にあるものは何ですか?

僕にとって舞台、というか、鼓童が魅力的に感じる瞬間というのは、ふっと振り出したバチのその先のほんのちょっとの揺らぎであったり、ほんの一瞬なにかがきらめくような、ちょっとした音色であったり、ふとしたときにみせる演奏者のあごの角度だったり口元だったりします。

舞台から受ける沢山の刺激が、演出や演奏の原動力となっているようですね。太鼓を叩くという行為から、何か得るものはありますか?

僕は、太鼓を叩くということは、躍ることに似ていると思っています。稽古中、繰り返し繰り返し、身体が無理なく無駄なく自然に動くまでひたすら叩き続け、リズムが自分の呼吸のように馴染むまで繰り返し歌う。そんな中に気持ちと呼吸と身体と音が全部ひとつになる瞬間があったりするのです。身体と音と心が一斉に躍りだすような、そんな瞬間...。そうしたとき、自分というよりは太鼓を叩いているその人の全部が、ものすごく魅力的にみえてきて、どれだけ汗だくで汚くても、瞬間的にむちゃくちゃぶさいくな顔になっちゃってても、素敵なんですよ。

叩くことと躍ることが似ている、とおっしゃいましたが、充さんは太鼓を叩くことと身体の動きの関係に興味をもたれているようですね。音よりもビジュアルから受けるインスピレーションのほうが多いのでは?

はい。僕はどうやら「音」とかよりもまず、「人」とか「印象」から入る傾向にあるみたいで。音楽や芸能に携わるグループの演出をやる人間としては、ある意味不向きなのかもしれませんが(笑)
でも、「人」が躍り、きらめくような「音」が躍り、「舞台」全体が躍りだす、そんな舞台ができたらいいなと日々思っています。あ、これも「印象」になっちゃいますね。

いえ、とても自然な流れで舞台ができているように思います。ところで、今年のワン・アース・ツアーの見どころについて、教えてください。

今年の舞台の見所のひとつとしてあげられるのが、女性メンバーの活躍ですね。ここ数年、鼓童では女性の人数も増えて役割も多彩になってきています。舞台に華を添える、癒す、という役割にとどまらず、カッコ良かったり、真っ直ぐだったり。僕は、鼓童の女性たちには何だか独特の、中性的な不思議な魅力があるように思うのですが、そういった視点からも、彼女たちがこの先またどんなふうに変化・進化していくのか、演出する立場としてというより、むしろ、一観客として楽しみでもあります。

最後に、今回の公演に向けて、ファンの皆様にメッセージをお願いします。

昨年の舞台では、「思い」や「願い」、「喜び」という意味合いを込めて「いのる」、「おどる」という二つのキーワードを掲げてきました。今年も引き続き、「祈る」、「躍る」(今回は漢字表記になりました!)が舞台の核となりますが、昨年よりまた少し成長した鼓童を、楽しんでいただけたらと思います。

女性陣だけでなく、男性陣の活躍も楽しみですね。どうも、ありがとうございました。

Top