【プロジェクト達成 ! 】皆様からのご支援、心より感謝申し上げます/上之山博文
【プロジェクト達成 ! 】
皆様からのご支援、心より感謝申し上げます
プロジェクト終了まであと4日 ! 目標額を超えた分は、更に寄贈する図書館を増やします。READYFOR(レディフォー)というクラウドファンデイング・サイトを通じたご支援を、5月14日まで募集中です。
https://readyfor.jp/projects/inochi_moyashite_tatakeyo
株式会社北前船 代表取締役社長 青木孝夫
■「いのちもやして、たたけよ。」84〜85ページ(第一章 原点)より抜粋
穏やかに明けた1987年の正月、鼓童の電話が鳴った。留守番をしていたメンバーが受話器を取ると、「河内敏夫さんらしき人が、フィリピンの海で亡くなった」という知らせだった。(中略)
「とにかく自分が何とかしなければと思いました。取引銀行の支店長の自宅の電話番号を探し出し、正月にもかかわらず面会を申し込んで必死に事情を説明しました。それまでのアメリカ公演の成果を説明し、支店長の決断で融資が決まるまで必死でした」青木は、ツアー班をなんとか送り出した。
■「いのちもやして、たたけよ。」87ページ(第一章 原点)より抜粋
運営面で河内の後を引き継ぐことになった青木は、判断に迷うと、「ハンチョウ(※河内敏夫の愛称)だったらどうするか」と考えながら進めた。(鼓童村の)建設予定地の変更により計画は大きな変更を余儀なくされたが、手に入れた土地に本部棟や住居棟、稽古場などを建てるかどうか決断しなければならなかった。
「(中略)でも、佐渡から世界に向けて発信するための拠点が必要でした。旅と定着のバランスをとりながら集団を続けていくためにも、とにかく一つずつでいいから建てることに決めました」
1988年7月、鼓童村開村コンサート。1992年には舞台部分に稽古場が建設された
■「いのちもやして、たたけよ。」160ページ(第四章 磁場)より抜粋
青木は、初代代表の河内敏夫亡き後、代表として舵を取る鼓童の在り方と未来を見据えてきた。
どんなに時代が変わっても根源的な感動や共感を生むものは過去も未来も変わらないと信じている。その本質において変わらない鼓童であり続けるために、これからも高い意識で挑戦を続けて、成長していく集団にしなければならないと自身を戒める。多様に広がったそれぞれの意志、夢や目標を、鼓童の実現したい未来の姿に結びつけながら、これからの時代に歩み出そうとしている。
2015年新年、集合写真
100年先、200年先にも鼓童であり続けたい。その真ん中にはいつも、人間が太鼓にまっすぐに立ち向かう姿がある。その眩しさの中に映し出される「鼓童」という精神を皆が抱いている。
■「いのちもやして、たたけよ。」プロジェクト達成状況(5月10日現在)
546,000円(目標金額 500,000円)[達成率 109%]
プロジェクト終了まで、あと4日。引き続き皆様のご支援、お願い致します !
この『いのちもやして、たたけよ。』を全国の図書館に寄贈する活動を、ご支援いただけないでしょうか。全国各地の50の図書館に寄贈したいと目標を立てました。送料や宣伝費、書籍原価を含めた費用として50万円が必要です。
鬼太鼓座や鼓童が、日本や世界、そして地域という私たちの住む社会を、よりよいものへ変えていきたいという思いから生まれ、歩んできたことを伝えるメッセージでもあります。太鼓に関わらない方でも、より良い社会を願う多くの人に届けたい1冊です。
鼓童の演奏が皆様の心に響き、記憶に残ってくれることを祈りますが、舞台表現はその場に留めておくことができません。「書籍」という形で鼓童が皆様の地域にとどまり、公演をご覧になった方も、そうでない方にも多様な鼓童の魅力をお伝えできればと思います。
全国の図書館に本書を寄贈することで、公演会場でお会いする以上に大勢の方と出会い、より多くの皆様と共感できることを強く願っています。
「いのちもやして、たたけよ。」プロジェクト
http://www.kodo.or.jp/news/20150316readyfor_ja.html