プレイヤーの目

2008年4月より10月まで掲載されたインタビュー「プレイヤーの目」です。

第五回「砂畑好江 × 歌うこと、叩くこと」

今回のツアーでも、太鼓と唄の両方で活躍している好江さん。佐渡に渡り、鼓童の研修所に入る前に歌のレッスンなどは受けていたのですか。

鼓童に来る前の歌の経験というのは、学校での授業で歌ったということだけでした。歌うことは好きだったので、合唱コンクールでは張りきってましたね。でも、吹奏楽部だったので、指揮者とかピアノ伴奏になってしまったりして…。そういえば、幼い頃に『家族の歌』というのを即興で作って歌ったのを覚えています。誰も聞いていませんでしたけど。両親も歌が好きな方なんです。台所から鼻歌が聞えてきたり、お風呂場から演歌が聞えてきたり。

和太鼓の演奏や、作曲の経験についてはどうでしたか?

中学生の頃から吹奏楽部で打楽器をやっていましたが、自分が和大鼓の世界に飛び込むとは思っても見なかったことです。でも、舞台で唄を歌うということは、それにも増して、考えても見なかったことです。友人たちも驚いたと思います。人前で一人で歌うことはなかったので…。カラオケも恥ずかしい方でしたから。それが、研修生になってから少しずつ、いつかは舞台で歌を…、と思うようになりました。

そういった心境の変化は、自然と生まれてきたものですか。それとも何かきっかけがあったのですか。

写真: 岡本隆史

ある人が貸してくれた一本のテープに入っていたある民謡を聞いて、それまで民謡に興味を持ったことは無かったのですが、すごくいい唄だなぁって思ったのがきっかけだったような...。言葉なのか、メロディなのか、それを超える何かなのか、何かに感動したんです。それで、その唄を覚えたいと思って練習を始めました。

普段聴く曲などは、自分が歌うときにいろいろ影響するものですか? 

自分がCDを選んで買う時は、歌詞を聞くよりもメロディやその人の声や雰囲気で選ぶことが多いです。自分が歌う時も、漠然としたイメージの中で気持ちを込めて歌う、ということを今まで意識していました。

最近は、言葉のもっている力というのがある様な気がするんです。だから、ちゃんと発音することを意識しています。言葉の意味が伝わらなかったとしても、言葉ひとつひとつの音を、しっかりと届けたいです。

でも実は私、喝舌が悪いんです。そこから直さないといけませんね…(笑)。がんばります。

歌うときの発音というのは、会話するときとまた違いますものね。ところで、公演の演出、演目の並び順によっては、唄と太鼓の演奏の切り替えが難しいこともあるのでは?

時々、激しい太鼓を叩いた後に掛け足で着物に着替えて、舞台にでる時もあります。そんな時は気持ちを切り替えて舞台に出ていきますが、汗が止まらなくてピカピカの顔で歌ったこともあります。あ、あとは余談になってしまいますが、太鼓を担いで、皆の先頭をきって勢い良く舞台に飛び出したその瞬間、太鼓が外れて床をシューっとすべり、慌てて袖に出戻ったこともあります。他にも、暗い転換明かりの中、場ミリ(楽器を置く目印)を見つけられず、“勘”で(楽器を)置いて演奏を始めたら、私だけ一人明かりからはみ出していた…、ということも。

舞台はDVDなどと違って巻き戻しややり直しができないですものね。お客さんはステージに立っているプレイヤーの皆さんだけを見ていますが、プレイヤーの皆さんは舞台と舞台袖、舞台裏、開演から終演までのすべてが一つの公演。さて、「叩くことと歌うこと、どっちが好きですか」、という質問に答えるのは難しいと思いますが…(笑)、二つの異なる表現方法で、目指すゴールというのは変わってくるものですか。

舞台で歌うようになった今も、唄と同じように太鼓も好きです。唄と太鼓では、言葉の有無で違いはあるけど、どちらも、深い響きを出せるように、と思っています。でも、もっと歌う様なリズムを叩きたいと思う時もあれば、もっと力強い声をだしたいと思う時もある。踊る様に歌えたらなぁと思う時もありますし、踊りだしたくなるような太鼓を叩けたらいいなと思う時もあります。ほんと、いろいろです。

今回のツアーでは、太鼓と唄、それぞれの表現方法を通して凛々しく、やさしく、儚く、楽しく、そんな、様々な好江さんの表情が見られる気がします。これからも、心に響く音が全国の皆さんに届いていきますように。ありがとうございました。
それから… いつか、『家族の歌』も披露してくださいね。(笑)

Top