プレイヤーの目

2008年4月より10月まで掲載されたインタビュー「プレイヤーの目」です。

第四回「堀つばさ × インスピレーション」

曲作りや衣装デザインなど、様々な視点と観点から創作活動をしているつばささん。つばささんにとってのインスピレーションとは?

もう何事も、インスピレーションが頼りです。モノ創りをする人にとっては、みんなそうなのかもしれないけど、何かをひらめいてドキドキしたことが全ての発端となって苦悩と幸福がはじまるというか....。 そういうドキドキがないと苦悩の先に残るものはただの疲労だったりもします。モノ創りだけではなく、たとえば稽古の方法ひとつにとっても、インスピレーションがないと成長は見込めないと思うし。

そういう、ドキドキする瞬間というのは、日常生活の中にたくさんあるものですか。

はい、ぽつぽつと。実際、作曲する時や、衣裳のイメージ、デザインの柄を作成する時などは、先にイメージやアイデアがある場合もありますが「インスピレーション待ち」をすることも多いんです。ぎりぎりまで降りてこなくて焦ることもあるし、無理矢理机に向かって考えた構想なども、結局は直前に降りてきたインスピレーションによって覆されることもよくあります。そういう意味では私は全然器用ではないですね。

インスピレーションというと、一般的にはアイディアが「ひらめく」という感じですが、つばささんのインスピレーションは「降りてくる」という感覚なのですね。その、始めに降りてくるアイディアというのは、作品の土台として最後まで持続しますか。それとも形を変えて最終的にはまったく違うところにたどり着きますか。

何か作るときって、「かわいいっっ」とか「こりゃスゴイかもっっ」ってビビッときて自分の血がぐっと沸騰したような感覚、私はそれがインスピレーションだと思っているのですが、そういう感覚が発端となるのだけれど、その興奮を持続して作品につくり上げるのは、結構大変で、でも、まあそれが私の仕事なんですけどね。降りてきたインスピレーションをどこまで自分で信用し続けてあげれるか、ってことなのですが、結構な確立で、「やっぱこれっていけてないんかなあ?」と不安になります。

自分が絶対の自信をもったものでも、周囲にとっては、それがウケるとは限らない、というのは不安ですよね。

それも確かにありますね。「勘違いだったのかも...」、「思いつき程度なのかな...」、「これって趣味悪い?」、とか 思っちゃうこともよくあります。インスピレーションを受けてグッときた感覚は自分の中にしかないもので、他の誰も見た事がないものだから、誰かの共感を得るのって難しくて、また不安になっていく...。これが私が良く陥るパターン。なんか暗いなあ、私(笑)。って言いながら、私は不安になっても痩せ我慢して強がるタイプなのか、そんな自分自身に助けられながらいつも物創りしているわけです。

最近、何かインスピレーションを受けた出来事や、風景などはありましたか。

最近受けたインスピレーションですか。何日か前の夜にすっごく月が明るくて木陰がくっきりできていたのも印象的だったし、朝、家から鼓童(稽古場)へ向かう道すがらにある小さな枝垂桜の木のほとんど葉桜の状態にはかなく残る桜色がなんとも繊細で... 美しすぎて脳裏に焼き付いています。あとはこの前ドイツでみた本物のゴッホの絵。黒沢監督の「夢」という映画の中でゴッホの絵の世界に主人公が身を置くように、私も本当に自分があの空間で風に吹かれて立ちくしているような錯覚に陥りました。あとは、Krimtの画集を見ていてあらためてぐっときたり。
昨晩は、寝る前に読んだHundertwassaerの本の中の「私たちは食前食後に祈りを捧げる。排泄物を出すときに祈りを捧げるものはいない。地球が産み出した日々のパンに対して、神に感謝する。しかし、排泄物が大地に再び返ることを祈りはしない。ゴミは美しい。ゴミの分別と再利用は、美しく楽しい活動である。」という一文も印象的でした。土へ返ることのない自分の排泄物の行く先を自分が知らない不自然さにガ〜ンとなったり...。これってインスピレションとはまた別のものなのかもしれないけれど。でも、こういう小さな日々の心の揺れがインスピレーションに繋がっているのかなと。

つばささんを刺激する様々なインスピレーション。舞台の上で、それらが目に見える形や耳に聞こえる音、肌で感じられる振動となって、お客様に伝わるのが楽しみです。ありがとうございました。

Top