「太鼓芸能集団 鼓童」メンバー養成コース研修生32期生、鼓童文化財団「地域づくり」コース実習生試行1期生の作文

「太鼓芸能集団 鼓童」メンバー養成コース 研修生32期生の作文

「笑顔を大切に」小池将也(こいけ まさや)

僕は地元にいた頃、人に迷惑ばかりかけてきました。でもそんな僕も、人の笑顔を見るのが好きでした。今もそう。小学生の頃からやっていた和太鼓には、その笑顔を呼ぶ力がありました。鼓童に出会い、憧れ続けて来た研修所には、携帯、テレビ、パソコン…最近の世の中にあたり前にあるものは何もない。けれど、そんなものを必要としなくなるくらい、此処は、太鼓が叩けて、人と話せて、大切なモノを見つけられる場所です。笛という自分の大好きなモノも見つけられたし、一生関わりを持てる家族のような仲間にも出会えました。
そんな僕は、この世で一番大切な母親に何もしてあげられないまま大人になってしまいました。今まで母親が自分にしてくれた事を返そうと思ったら、何年あっても足りませんが、まずは自分が夢を叶えて。そして笑って、研修所を笑顔でいっぱいにして、いつか世界中に笑顔を届けられれば、母親も笑顔になってくれると思います。僕は何が何でも、人が笑っている顔が一番好きです。笑顔で春を迎えます。


「自分を見つめる」 神白佑樹(かじろ ゆうき)

研修所での生活。ここではいくら自分を良く見せようと思っていても、その人がそのまま出てきます。「自分さえよければいい」ここに来る前そういう思いが自分の中にありました。でも気付いていながらそんな嫌いな自分と向き合おうとせず、自分から逃げてばかりいました。自分のことも周りのことも大切にできていませんでした。
「こんなんじゃ駄目だ」分かっていながらなかなか思うようにはいかず…。でもそういうマイナスな感情から逃げていては何も変わらない。弱い自分に流されそうになりながらも、一つ一つ、一歩一歩成長していくために進んでいきたいと思い、二年間ここで生活をして、自分の中に「根気」のようなものが芽生えました。もちろんまだまだ自分に甘いし、できないことも多いです。それでも自分を見つめて自分と向き合って、この研修所に悔いを残さず出ていきます。こんな僕を支えてくれた人、本当に感謝しています。ありがとうございました。そして本当にお世話になりました。


「戯れ言」 池永レオ遼太郎(いけなが れお りょうたろう)

努力なんてした事が無かった。その事実は自分の誇りであると同時に恥だった。努力をしなくても勝てる自分に自惚れ、頑張る人達を見下していた。自分の住む世界の小ささを見ようとせず、苦手な事や嫌な事から逃げてばかりいた。
だが、いつまでも逃げられなかった。米国の大学に進学し、およそプライドと呼べるもの全てをへし折られた。一年目、自分は落第しかけた。遊んでいても取れた点が、取れなかった。勉強と呼べる事をした事が無く、努力はどうやってするのかが分からなかった。卒業するまでには勉強という事を理解できたのか成績も上位まで持ち直し、就職も出来た。だが、自分の全ては出し切れていなかった。
「このままでいいのか」努力せず、のうのうと何も自分で掴まず死ぬのか。嫌だ。
明くる年、研修所に入所した。今まで生きてきた世界と逆の所に飛び込んだ。太鼓・踊り・歌・笛そして日本人としての生活。ほぼ全てが初めてだった。必死だった。
「音楽が好きだから。」「日本を知りたい。」そんなのは上辺の理由。二年近く生活してきてそれが分かってきた。どこへ行っても結局は自分との戦いだ。朝日が昇る前走る事も、倒れるまで太鼓を叩く事も。二十人分の食事を作る事も、鍬を持って田んぼに入る事も。他人を良くする事も、自分を見直す事も…。追い込む。妥協しない。もう逃げない。


「今の私」 三浦友恵(みうら ともえ)

研修所に来て早一年八ヶ月。鼓童のメンバーになりたい一心で来ました。今まで、自分とは深く向き合ってきませんでした。研修所に来て自分のこと、人とのコミュニケーションについて考えるようになりました。自分と向き合うと嫌なところばかりが見えて。今の私は、地元にいる時に比べて変わったと思います。でも、まだ変えたい自分の姿は先にあります。人に優しく、自分に厳しい人、物・道具を大切にする人、立ち居振る舞いが美しい人…などなど。
残りの二ヶ月、もう一度自分と向き合おうと思います、そしたらきっと、太鼓の音、踊りが変わるような気がします。自分の理想が遠すぎて一生かかりそうですが。芸も一生をかけて磨いていけたら幸せです。
研修所に来てよかった。良い同期に恵まれ、佐渡で出会った沢山の方々が支えてくださっている。すごく実感しています。熊本の家族含め、皆さんありがとう。これからも私らしく頑張ります。


「真心」 大塚勇渡(おおつか はやと)

研修所は、生きることの原点に立ち帰ることのできる学びの場です。太陽、月、空、星、海、山…周りには自然が広がり、間近にそれを体感します。先輩、後輩、同期、スタッフや講師、集落の方々。沢山の出会いがあり、その関係性の中で得られたことは、計り知れません。同時に、故郷に居る仲間、家族のありがたさを痛感します。
私は、これからの生きる道を探しに入所しました。今思うのは、まだ道は、はっきりとは見えませんが、常に真心を持ってモノと接する事ができる人になりたいということ。私は、一生懸命に取り組むこと、感謝の気持ちを持つこと、他人に優しくすること。このように当たり前に言われることが、本当に大切なことなのだ、と気付きました。そうやって過ごせた日は本当に気持ちが良い。自分の「真心」に触れられている感覚があります。まだまだ全くの未熟者ですが、これからも、自分の真心に耳を傾け続けたい、と思っています。


「自分の“色”を求めて」 北林玲央(きたばやし れお)

よく「レオらしく」という言葉を言ってもらうことがある。自分らしさって何だろう。そう考えた時、今までの人生、自分と向き合っていなかったことに気付いた。
研修所に来て共同生活の中、太鼓を叩くだけじゃなく、自分を見つめる時間も多くなった。ここでは、全然知らない自分と出逢うことも沢山あり、それは辛いことだったり、すごく面白かったり。そうやってこの二年間は真剣に自分と向き合うことができたと思う。それでもまだ自分というものは分からない。もしかしたら、自分の色は自分じゃ分からないのかもしれない。北林玲央という色が果たしてこの三二期の中で必要な色なのか。鼓童の中で必要な色なのか。
今分かることは、自分に嘘をついた色は面白くないということ。生まれてから今までの人生が自分の色を作っているということ。その色を濃くしたり、良い色を加えていったりすることが大事なんだということ。
この先も全力で自分の色を求めて進もうと思う。こんな経験をさせてくれた母に感謝したい。


「自分にとって」 高倉龍和(たかくら りゅうわ)

私は手首の故障が原因で、一年次修了後、一年間療養させて頂き、一つ下の代に合流する形で戻ってきました。実家での療養生活はひたすら自身の甘さとの闘いで、負けてサボってしまう事も沢山ありました。でもやめようとは思いませんでした。それはもちろん鼓童のメンバーを目指していたからではありますが、それと同時に、また同期と一緒に生活したかったからです。
研修所での共同生活では、全員と家族になり、常に素の自分でいられます。高め合い、また小さな事で笑い合う、そんな環境を求めて戻ってこれた上、新しい同期にも恵まれました。
私にとって研修所の生活は、予定をこなすことで精一杯でした。ですが入所前と比べると、少しではありますが変われた気がします。残念ながら、手首は骨格などの問題もあり完治とまではいかず、今も思うように太鼓を叩く事ができません。自分の未熟さに悔しさを噛みしめる日々ですが、最後まであきらめたくはないです。一番自分を苦しめている分、一番自分を強くしてくれている手首に、今は感謝しています。


「過去・現在-----夢」 米山水木(よねやま みずき)

現在私は、新潟県佐渡市柿野浦という集落(旧岩首中学校跡)で、“ある夢”に向かって、日々集団生活をしている。そして、同じある夢を持つ仲間との出会い、私達を心から支えてくれる集落の方々のやさしさや厳しさ、さらに私のコトを娘のように思ってくれる方等々、本当にたくさんの自然や人々に囲まれている。佐渡に渡って約二年が経つ。私にとってこの島は第二の故郷であり、自分を耕すための場所でもある。
和太鼓に出会ったのは二歳の頃。盆太鼓を中心とした団体に入り、小学生の時初めて鼓童のプレイヤーに憧れ、同じ舞台に立って、この人の音の世界観を感じたいと思い、それを目指して約二年、生活と稽古を続け、今も気持ちはぶれていない。ある夢=憧れの方と同じ舞台に立つ。人の心を動かす演奏者になる。そんな思いを持つ反面、今の私には「不安」「恐怖」「怒り」「焦り」そんな感情が毎日容赦なく降り掛かる。叫びたいし、逃げ出したい。できることなら時間を止めたい。時がどんどん過ぎ去って行くのがたまらなく怖い。消えてなくなりそう。暗くて細い道から見える、かすかな光に向かって、今は一歩一歩前に行くしかない。

鼓童文化財団「地域づくり」コース 実習生試行1期生の作文

「伝えて・承ける」 赤澤 京(あかざわ みさと)

今年の4月から実習が始まり、農漁業そして地域の産業や芸能等々、様々な分野を学び、沢山の人々との繋がりができました。
私には目標としている先生が大勢います。それは、「地域の方々」です。先生方は、昔の佐渡の話や芸能、野菜の育て方等を伝授して下さったりたくさんの知識を私たちに教えて下さいます。「我以外皆我師」という言葉がありますが、自分以外の人々や生き物は皆先生であるということ。本当にその通りだと思いました。
先生たちが歩んで来た時代、その色々な経験知識を学び私達に伝える…つまりこれが「伝承」。読んで字の通り「伝えて承ける」、この繰り返しがやがて「文化」となり、1つの輝くものとして存在するようになるのだと私は思います。今度は聞いた経験知識を、実際に体験して自分の経験に変え、次はその経験をたくさんの人々に伝えて行ける…
そんな素敵な先生を目指して。


「佐渡と木曽をつなぐもの」 中村美沙希(なかむら みさき)

春・夏・秋を小木三崎・深浦学舎で過ごす中、地域に「先生」が沢山できました。稲作の先生、畑の先生、ワカメ刈りの先生、海苔作りの先生、たらい舟の先生、刺し子の先生、小木おけさの先生。そして、大獅子の師匠。
ワカメ刈りの実習時に先生から伺ったお話をもとに、商品化に繋げられそうな「嫁入りワカメ」というアイデアが生まれました。深浦の海から日本各地に、ワカメを「嫁入り」させるのが私の目標になりました。
佐渡へは「お祭り」の作り方を学ぶことが一番の目的でしたが、地域の方々に佐渡での生活を学ぶ中、そもそも「お祭り」とは、その地域の“暮らし”が根付いていることに気がついた今日です。私の実家は長野県の木曽にあり、いつかはその木曽で“地域づくり”に取り組みたいと思っています。とは言えど、佐渡をますます好きになっている自分もいます。
佐渡での経験を木曽でも活かし、海での暮らしと、山での暮らし、双方を“地域づくり”でつなげられる人物になることが目標です。


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