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研修所通信:2年生・4月の祭り篇/千田倫子


研修所通信:2年生・4月の祭り篇

さて本日は、2年生の4月の様子をご紹介します。

2年生達は佐渡に来て丸一年が経ちました。これからはすべての事が2回目の体験だ!と思いきや、4月はまだまだ然にあらず。新一年生を迎え、文字通りの先輩という存在になる(その予想を超えた大変さ)。そんな中で、冬期間の稽古の成果を鼓童全メンバー、スタッフの前で発表する(これほど緊張する場はない、と歴代研修生の弁)。そして何と言っても、唯一無二、一生に一度の体験となるのが地元の若衆と認めてもらっての4月15日の柿野浦のお祭りへの参加です。

稽古始めは4月1日で、13日間毎晩神社に通って地元の方々から鬼打ち(鬼の踊り)と、太鼓を習います。一番最初に祭りに受け入れていただいたのは、柿野浦を研修所としてお借りして移り住んだ翌年の1997年。現所長の石原が13晩の稽古に参加し、鬼の衣装をつけさせていただいたと記憶しています。ちょうど研修所が二年制に移行した時期と重なり、その翌年2年目を迎えた研修生も同じように稽古から祭りまでを経験させていただくようになりました。1年生は入所したばかりで参加はできず、2年生もその次の祭りの時には卒業して柿野浦を離れています。集落の一員として、どっぷりと祭りに参加できるのは2年生の4月、たった一度きりなのです。
それが綿綿と続いて20年。毎年毎年、10名ほどの新人を相手に教え続けてくださる柿野浦の師匠の皆さんには、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。そんな集落の方々の愛情を受け取って、現在舞台に上がっているメンバーのほとんど、また、全国にいる研修所で学んでくれた元・研修生の皆さん共通に、この30戸の柿野浦の祭りは心のふるさととして、大切な宝物として、残っているものと思います。

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13晩の神社での稽古。右側の畳に、集落の先生方がズラリと並んで見つめている緊張感の中。

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稽古後は、毎晩この光景が…。見学に来た1年生や、ツアー班の夜の稽古をやりくりして、柿野浦の皆さんに挨拶にくる鼓童舞台メンバーも加わり、すごい人口密度になっています。

Photo: Yasuhiko Ishihara

4月14日、祭り準備の日、幟立て。集落の皆さんと一緒に作業をして、必要な技や知恵、工夫を学びます。

Photo: Yasuhiko Ishihara

女性陣は、提灯張りとお習字担当。

Photo: Yasuhiko Ishihara

4月15日、祭当日の神社の打ち出し。2年生も鬼・太鼓・獅子頭・木遣の音頭取りなどの役をいただいて、新人として晴れ晴れと一生懸命務めます。

Photo: Yasuhiko Ishihara

研修所での門付け。1年生が鬼太鼓連中を迎える祭り料理をこれも懸命に準備しました。舞台メンバーの顔もちらほら…懐かしの研修所とこの祭りの情景に会いに来てくれ、おかげで御花が途切れることなく、1時間も鬼太鼓連中が滞在してくれました。どの御宅でもそうですが、そこに集う人々の顔は笑顔しかありません。今年の祭りは朝7時半の打ち出しから、夜9時まで続きました。

Photo: Yasuhiko Ishihara

翌16日は、祭りの片付け。水のきれいな柿野浦では、川ですべての祭り衣装を洗濯します。それを最初に知った時には、おとぎの国の話かと思ってしまいましたが、昔はこれが当たり前だった訳ですね。佐渡の鬼太鼓組は120あると言われていますが、現在このような所は他に無いのではないかと思っています。

Photo: Yasuhiko Ishihara

集落の方々がササッと干し場を作って、晴天のうちに一気に乾かします。


1年生も研修所でのおもてなし担当の他は、半纏を着させてもらって太鼓を担いだり、台を持ったり、それぞれの御宅のお料理に幸せを感じたりと、祭りの一日を体験しました。2週間の稽古を乗り切ってハレの日を迎えた2年生をまぶしく見つめ、「来年は僕達も…」と心に刻んだであろう春の一日でした。

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